全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題
Ⅶ-77 寿司屋と呉服屋(その7)
高級寿司店と安い回転寿司の価格はどの位違うだろう。銀座の高級店など行った事は無いが、私など到底暖簾をくぐれない店である。一方安い回転寿司では昼食に1,000円も出せば食べられる。値段を気にせずに、どちらを食べたいかと万人に問えば、十人中十人が銀座の寿司屋を選ぶだろう。それは、どちらが高いかではなく、どちらが美味しいかという尺度で判断される。つまり、寿司の価格は、料理本来の美味しさとほぼ比例している。美味しい寿司は高い、のである。
昔は、寿司にありつけるのは特殊な時だけ。何故ならば高いから、だった。しかし、現在は、財布に応じて寿司が食べられる。そう言う意味では、閉店した寿司屋さんには申し訳ないが、寿司業界は庶民にとって良い方向に行っていると言えるかもしれない。
しかし、呉服業界では本来価格の低下をもたらす技術革新が必ずしもその任を負っていない。
インクジェットの振袖は、型糸目の振袖の三~五分の一程度で仕入れられるが、市中の価格はそうはなっていない。型糸目の訪問着は、手描きの訪問着よりもずっと安くできるが、市中価格は必ずしも反映されていない。それどころか型糸目の訪問着があらぬ付加価値を付けられて本来の妥当と思われる価格の十倍以上で売られた例を知っている。
呉服業界での技術革新は、消費者に還元するのではなく業界の取り分に貢献している様にも思われる。
高級寿司屋で回転寿司の寿司が出され、高級寿司の値段を請求されたとしたら、ほとんど皆が「これはおかしい」と思うだろう。庶民は誰しも高級寿司と回転寿司の違いは舌で見分けられる。高級寿司屋で請求される代金は、それが自分にとって妥当かどうかはそれぞれの判断であるが、回転寿司の方が安い事は知っている。それ故に高級寿司屋で回転寿司並みの寿司を出して高額な請求をする事もないし、出す事すらしない。
しかし、呉服業界ではそのような事が平然と行われている。
捺染プリントの江戸小紋を職人が染めた本型染の江戸小紋として、本型染の江戸小紋並みの値段で売られている。型糸目の訪問着を友禅作家の作品だと言って高額で売られている。
そんな例はいくらでもあるが、そのような事がまかり通るのは、消費者が着物の見分けがつかなくなっているからである。どちらが美味しい寿司かは分かっても、どちらが手描き友禅なのか型糸目なのか、はてまたインクジェットで染められた物かは分からない。
高級寿司屋では、回転寿司で供される寿司は、その名誉にかけてでも供されることは無いが、一部の呉服屋では平然と行われている。
技術の発達は、庶民の手が届かなかったものを身近な処へ引き下ろしてくれる。車やテレビ、時計等、昔は高級品で金持ちしか持てなかったものが、技術の発達で今は誰でも持てるようになっている。
それによって寿司は庶民の食べ物としての地位を得たが呉服はそうはならなかった。
着物がみじかになり、誰でも手が出る衣装となり、着物の文化を広く継承できなかったのは、偏に呉服業界自身である。