明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 続きもの春秋

4. 若者ときもの(着物)

続きもの春秋

 私も四十を過ぎると「若い者」などという言葉が口について出るようになった。

 私は、「今の若い者は云々」という言葉は好きではない。そこには日本人特有の年上の者が年下の者を軽く見る、といった態度が読み取れ、私は嫌悪感を感じる言葉の一つである。いつまでも若い気持ちで、というよりも若い人も年上の人も同じ目線で付き合っていきたいと思うのだけれども、最近それも難しい事に気がつかされるようになった。

 二十(はたち)の学生と話をすると、数年前までは未だ気持ちが分かるように思えたが、最近(二十才以上歳が離れると)どうも感覚の違いを諸に感じてしまう。以前から歳の差による感覚の違いは感じていたけれども、それでもお互い理解することはできた。しかし、最近は時の流れが急に速くなったのか、それとも若者が私の射程距離外に出て行ってしまったからなのか分からないが話が噛み合わない。

 きものの感覚となると尚更である。もともと現代の若者ときものの縁は薄い。まして若者の男性ときものの結びつきは皆無と言って良い。

 私の店には若い女子高生がよく入ってくる。しかし、お目当てはきものではなく安い小物の類である。留学生におみやげにとか、最近増えた海外への短期留学のおみやげ用にと買っていくのである。そんな姿を見ていると、きものには関心がなくとも、やはり彼女らの心の中には和の心が有るんだなと、安心感を覚えてしまう。そして、彼女らが成人になった時にはきものにも関心を払ってくれるだろうと淡い期待をもかけてしまうのである。

 きものを買いに来る若者と言えば、親につれられて振袖を買いに来る人を除けば、浴衣を買いに来る人達ぐらいである。ゆかたブームなどと言われて若者の間にもゆかたに対する関心はあるらしく、ゆかたの時期には品定めに来る若者もいる。

 ゆかたでも親のおさがりのきものでも、何でも良いから若者にきものを着て欲しいというのは私の持論である。きものは長く世代を越えて着られるけれども、高価であるというきものの性格を考えれば若者に丸々一式きものを新調しろと言うのは無理がある。かと言って初めて着るきものが振袖では高価で着にくいきものの印象ばかりが先行してしまう。ゆかたでもウールでも、きものを着慣れていれば、初めて振袖を着たときの印象はかなり違うはずである。

 きものを着る機会が少なくなり、若者ときものが縁遠くなったとはいえ、全ての若者がこれから先きものと全く無縁でいられるわけではない。中にはきものを着る機会に遭遇する人もいるのは間違いない。茶道に入ったり日本の伝統芸能に携わったりして、必然的にきものを着る人もいるだろうけれども、きものを着る多くの(今の)若者は偶然的にきものを着る場合が多いのだろう。そういった場合に全く予備知識なくしてきものを着ようとすればいったいどのように思うのだろう。

 今の若い人達のきものを見る目を一口で言えば「洋服と同一感覚」といえる。

 母親と供に店にやってきて振袖を選ぶ時、十人中九人は色が地味な、いわば洋服感覚の色を選ぶ。洋服では若い人がシックで地味な色を選ぼうと一向に構わない。逆に六十も過ぎた人が赤やピンクを着こなしているのもステキである。

「年をとるほど赤い服を着たがる。」という冗談めいた話があるけれども、最近は若い人程地味な洋服を着ているように思われる。そんな影響もあってか、従来和服は若い人が赤系をはじめとする派手な色、年配者は地味な色という傾向があったけれども、最近はそれが急速に崩れている。

 おばあさんが孫娘を連れてきものを作りにやってくると、その感覚の違いは歴然としている。おばあさんは孫娘にかわいい着物姿を期待するのだけれども、さてその孫娘が選ぶ着物の色は茶色やグレーといった昔の感覚でいえば老人の着物である。
「私はもう若い人の感覚には付いていけない。」
と言っておばあさんは白旗を掲げるのである。

 私はどちらかといえばおばあさんの感覚に肩を持ちたい。私も若い娘さんにはかわいい着物姿を期待している。私の好みをお客様に押しつける訳にはいかないけれども、昔ながらの若い女性向きの訪問着や小紋は常に店に用意しておきたいと思う。しかし、最近はそれも叶わなくなってきている。

 東京や京都に仕入れに行っても昔ながらの若々しい色の着物は少なくなっているのである。染屋さんに、
「若向きの訪問着を見せてください。」
と言っても、持ち出してくるのは地味な色ばかりで、
「いや、もっと若向きの。」
と私が言うと、染屋さんは地味な色の訪問着を広げて、
「今、これが若い人に良く売れているんですよ。」
と言う。
「私が欲しいのは昔で言う若向きの色、赤系とか黄色とか青でもスカイブルーのような・・・。」
 そう言うと、染屋は、私がどんなきものを欲しているかは理解してくれたが、困った顔をして、
「今はそういうのは余り売れないので・・・。」
と、結局そこでは仕入れることができずに他の染屋に行ってみるけれども、さんざん探し回ってもなかなか見つけることはできない。

 それでも昔ながらの色の着物を欲する人もいるだろうと、何とか苦労して品揃えをすると、他の店では置いていないらしく、
「ああ、こういった若向きの着物は今もあるんですね。」
と、喜んでくれる客もいる。 とは言っても、昔ながらの派手な色を好む若者は確実に少なくなっている。

 若者の目はまちがいなく洋服の感覚になっているように思える。  

 浴衣の季節に若い人が店にやって来た。
「すみません。浴衣の巾着はありますか。」
「はい、こちらにいろいろとございます。」
 浴衣の時期には私の店も浴衣の小物で埋まる。その人はいくつか手に取って見ていたが、
「あの~、黒い巾着はないですか。」
「黒ですか、これはどうですか。」
私が見せたのは黒と緑の生地が切り返しになり、黒の生地には水玉模様のある巾着だった。 
「いえ、そういうんじゃなくって、真っ黒の・・・。」
「えっ、真っ黒ですか?、お葬式かなんかで・・・。」
「いいえ、浴衣に持つ巾着で・・・。」
 真っ黒の小物は不祝儀の時に持つ物だと説明したがピンとこないようすで、真っ黒の巾着がないと分かると出ていってしまった。

 また、母親と共に娘さんが草履を買いに来た時のことである。
「草履見せてください。」
「はい、どういう時に履かれる草履ですか。」
「娘が結婚式で留袖を着るので。」
母親が言うので、
「フォーマル用ですね。」
そう言って私は、金や銀の綴れの草履、佐賀錦の草履を見せた。娘さんは余り気に入らないらしく他の草履を見ていたが、
「私、これがいい。」
その娘さんが手にしたのは喪服用の黒の草履だった。私はあわてて、
「それは喪服用の草履です。黒留袖でしたら祝儀用ですのでこちらの草履になります。」
しかし、その娘さんは、
「着物も黒だから草履も黒のほうが似合うし・・・。」
和服の仕来りでは黒留袖に黒の草履は履かない事を話したが良く分からないらしい。

 私は母親が娘さんを諭してくれるのを内心期待したが、それもままならない。

 私はその場の商売を諦めた。商売に徹すれば、(何を着るのかを)知らない振りをして黒の草履を売ることもできたかも知れない。しかし、それはできることではなかった。洋式のお葬式に赤いワンピースで出席したいと言う人に平気で赤いワンピースを売るようなものである。

 洋服の世界では黒のバックや靴は特別なものを意味しない。若い人達は黒い皮のバックを選ぶ感覚で浴衣の帯を見ていたのだろう。

 着物の色について、若者の感覚がどうあろうと、私がとやかく言う筋合いではないかもしれない。

 色の好みは人それぞれであって、世代ごとにその感覚が変わってもおかしくはない。むしろそうやって時代とともに着物の色を創ってきたといえる。大正時代や江戸時代の着物を見ても現代とは違った色の感覚なのもそのせいである。私が着せたいような若向きの着物は今後益々少なくなってくるのだろう。それは私が年をとった証左かもしれない。

 着物の色については次世代の感覚に任せるとしても、私は若者の着物に対する感覚で憂慮していることが有る。

 きものは洋服と同じ土俵では比べられないことは『きもの春秋、きものは高いか安いか』ですでに述べた。同じ衣料としての着物と洋服だけれども、メンテナンスや成り立ち、寿命、その他あらゆる面で歴史的にも成り立ちも異にする着物と洋服は同じ価値観では比べることはできない。

 しかし、現代の若者は、着物を着る機会が無く(着たことのない人が大半かも知れない)、着物の知識もない(教えてくれる人がいない)。そして、着物と触れあうのは商業ベースにのった浴衣や振袖の表面的な知識のみである。その浴衣や振袖を見る目は衣料としての洋服と同一感覚で眺めている。 若者の普段着であるGパンと紬を同じように考えられるだろうか。使い捨ての感覚で紬を着るには紬は高すぎる。結城紬や大島紬など高級紬ではなおさらである。

 最近、「着物はファッション」という立場から、より若い人達に着物を着てもらおうと、あらゆる試行実験が行なわれている。


 浴衣にサンダル。ミニスカートのような短い浴衣。結びにくい帯を省略したもの。洋服と着物の中間のようなものなど様々ある。それらはいずれも洋服という目を通して、着物の欠点を省こうという試みである。高価で、一人では着られず、活動しにくい。確かにそれらは洋服の目で見れば欠点である。

 若い人の着物は若い人の感覚で、というのでそれらの企画は若い人があてられている。その企画する人達はもちろん洋服で育った人達である。次世代の人達が着物をどこへ持っていこうとしているのかは分からない。

 しかし、着物の欠点を省くことは、着物の良さを否定することにもつながりかねないということを若い人達の頭の片隅に置いてほしい。

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