明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 続きもの春秋

9. 伝統文化を伝える難しさ

続きもの春秋

 大仰な話をするようだけれども、国際理解には相互の文化への理解は欠かせないものと私は思っている。昨今の日本の諸外国との摩擦は、お互いに相手の文化を理解しないばかりに起こっているものが多い。

 天平の昔から、シルクロードという一本の糸で西洋と結ばれていたとは言え、お互い壁の向こうの未知の文化の触れ合いに過ぎなかった。明治維新を迎えて、西洋の文化は日本に濁流のごとく入ってきたが、一方的な流入であったことは否めない。浮世絵や仏像、根付などの美術品が多数欧米に流出したけれど、それらはその形骸の紹介にしか過ぎなかった。

 戦後、交通、通信手段の飛躍的な発達によって、日本は諸外国との距離が急速に縮まり「国際化云々・・」の言葉がもてはやされるようになったけれども、経済的には大きな影響力を持ちながらも、諸外国から理解を得られないのは、日本人自らが日本の文化を正しく諸外国に理解してもらおうとしないことに起因していると思われてならない。

 きものは伝統文化の一翼を担っている。浮世絵や能、狂言、茶道その他数え切れない日本の文化の一つである。

 パリコレクションの情報は逐一我々の耳元に届くけれども、日本のきものの事情は外国へは伝えられない。もっとも、今日のライフスタイルを考えれば、外国人にきものを着せようというのは無理な話で、少なくとも日本の文化であるきものを正しく外国人に伝える義務を我々呉服業界の人間だけでなく、日本人には課せられていると思うのである。そして、それが日本人を理解してもらう切っ掛けとなり、日本の国際社会における理解も進むだろうと思うのである。

 外国人は日本のきものにはたいそう興味を示している。

 私の母はいつでもきものを着ている。洋服よりもきものが楽、靴よりも草履が楽なのである。その母が十年ほど前に中国へ行った時きものを着ていった。現地ではたちまち黒山の人だかりとなり、人気スターにでもなったような気分だったと言う。同行した人の中には、「私もきものを着て来れば良かった。」 と言う人もいたそうである。人の多い中国ということもあるけれども、少なくとも日本のきものには関心を示したと言うことだろう。

 私にも、同じような経験がある。十年ほど前に女房と三歳の子供を連れて京都に行った時のことである。私が世話になった商社の祝い事があったので、蹴上の都ホテルにきものを着て行った。私と女房はもちろん、子供も紋付袴姿である。三歳の子供に着せた紋付は私の祖母が生前着ていた鮫小紋を潰して作り、張り紋をして袴をはかせた。

 都ホテルは外国人観光客の宿泊が多い。時間待ちの為にロビーにいると、たちまち外国人に囲まれた。京都できもの姿は、そう珍しくはないけれども、子供の紋付袴姿が目に止まったらしい。
「写真を撮って良いか。」
と言われ、我が子はフラッシュを浴びることになった。外国人のきものに対する興味は並々ならぬものがあると思えた。

 私の店には外国人が良く入ってくる。私が子供の頃には考えられないほど多くの外国人が街を歩く。目的は興業の為の芸術家であったり、学術関係者であったり、国際交流の目的の人もいる。果てはバックパックを背負った個人旅行者も時折訪れる。

 こんな田舎に外国人が良く訪れるようになったものだ、と日本の経済発展を喜ぶ一方、益々日本を正しく理解させなければと思えてくる。

 私の店にやってくる外国人は日本らしい(日本の文化の香りのする)土産を求めてやってくる。浮世絵やすもうの柄のハンカチや風呂敷。名物裂で作った小物など。中には浴衣を買っていく人もいる。大概は通りすがりの外国人なので、既製品の浴衣を買って行く。しかし、中にはしばらく滞在するので、と誂えて行く人もいる。

 ある時、外国人の男性が自分の浴衣を作りたいとやってきたので浴衣の反物を見せた。黙って見ていると、彼は色付の女性物の浴衣を広げて見ている。そして、赤や黄色の花柄の浴衣を気に入ったようなので、私はもう一度、誰の為の浴衣なのかと聞くと、やはり自分の浴衣だと言う。
「男物はこちらです。」
と、藍染めの縞柄や格子柄の浴衣を見せるが、気に入らないらしい。もっとはっきりと日本的と分かるものが良いのかと思って、『団十郎』や『隈取り』の柄の浴衣を見せたけれども、それも気にいらないらしい。

 男物の浴衣はいずれも単色である。紺か茶又はグレーの浴衣ばかりだけれども、その外国人男性が好むのはカラフルな柄である。考えてみれば、きものの世界では男が多色染の色物を着る事はほとんどない。落語家が派手な色のきものを着たり、浪曲師が絵羽のきものを着ているのは例外で、(派手な)色物を着る男性は余程の粋な人である。いくら粋な人であっても、女物に比べればはるかに地味なのだけれども。

 その外国人男性の持つ浴衣のイメージは、アロハシャツのようなものかもしれない。洋服の世界で男性が派手な色の服を着るのは一向に構わないし、アロハシャツのようなリゾート着では尚更のことである。白髪の老人が真赤なセーターを着こなし上品にゴルフをする姿などは絵になっている。しかし、いかに上品であろうと老人が真赤なきものを着ていては後ろ指を指されることになる。

 私はその外国人に、日本では男性は赤や黄色の浴衣は着ないことを説明し、裄の長い外国人にはキングサイズの男物でなければ仕立てられないことを説明した。私のブロークンイングリッシュでも言うことは分かったらしいけれども、結局柄に(色に)納得しなかったのか浴衣は買わないで行った。

 その外国人が好む浴衣を勧め、作らせることもできたかもしれない。しかし、日本の文化を正しく伝えようとすれば、それはできることではなかった。

 私の友人がフランスへ行った時の事である。その友人は舞踊、謡曲、小唄、その他日本の伝統芸能に精通し、獅子舞も踊る。その彼がフランスに行ったと言うので、遊びにでも行ったのかと思ったらさにあらず。獅子舞を踊るために招請されて行ったと言うのだから驚いてしまった。

 パリ郊外、ルイ十六世ゆかりのベルサイユで祭があり、日本の文化を紹介する行事に参加するために渡仏したのである。きもののファツションショーが行なわれ、その前座として多くのフランス人の前で獅子舞を舞ってきたという。彼の熱演に観衆が沸き、拍手喝采だったらしい。

 ファツションショーの方は、モデルが現地のフランス人だったので、どうも歩き方がぎこちなかったと言う。フランスの女性が日本のきものを着るのだからぎこちないのは当たり前で、それは文化交流のエピソードとして微笑ましくも思える。

 しかし、彼の話を聞いていくうちにどうも疑問に思えてきたことがあった。

 その祭りでは日本文化を紹介するいろいろなイベントが行なわれていたが、その中で茶道を紹介するコーナーもあった。茶道は日本の文化の中でも難解な部類に入るだろう。私は茶道についてそれほど詳しくはないけれども、茶道を良く知る人の話を聞けば茶道はいかに奥深いものかが良く分かる。

「形式が決められたセレモニーを行なって何がおもしろいのか。」
と西洋の人達は思うかも知れない。茶道を一度披露したところでどれだけその真髄が伝わるのかは疑問だけれども、日本文化の紹介という意味では良い機会を与えることになるのは間違いない。

 しかし、彼の話では、その場でお茶を沸てていた人達のきものは、キンキンギラギラの舞台衣装のようだったというのである。私のその友人もお茶をたしなみ、始終きものを着ている人である。いったいどのようなきものを着ていたのかは知らないけれども、お茶の場には似合わない派手なきものだったという。

 私は、外国人にきものをアピールしようと、わざと派手なきものを着たのだろうと思い、
「ついでにバアサンが振袖でも着て出たんじゃないの。」
と言うと、案の定、
「そうなんですよ。六十も過ぎたバアサンが振袖を着ていたんですよ。」
という言葉が返ってきた。

 キンキンギラギラのきものに老人の振袖姿。私はどうも恥ずかしくなってしまった。私が恥ずかしがる必要もないと思われるかも知れないけれども、日本を代表していった人達の事である。外国人に対して日本人として恥ずかしいと思う。

 その茶道の席は、どちらかの社中の人達がしきっていたという。おそらく社中をあげてきものには相当に気を使ったのだろう。日本のきもの姿をアピールし、最も晴れやかなきものである振袖を外国人に披露したかったのかも知れない。しかし、かかる諸行は日本が国際社会から疎外される原因を自ら作っているように思えてならない。

 老人が振袖を着るというのは普通ではありえない。『袖を振る』『袖を留める』という深い意味を持つきものの本性を無視して老人の振袖姿を日本の文化として紹介するのは誤解を生む原因になりかねないのである。

 日本の『わびさび』、そしてきもののしきたりなど簡単に外国人に伝えられる事ではないけれども、そうかといって、日本にありもしない日本文化を紹介するのは間違っている。
 浅草の仲見世、成田空港など外国人の出入りする所に土産物屋が軒を連ねている。日本人も外国に行けばそうであるように、その国らしいみやげを買いたいと思うのは外国人でも同じである。私も外国へ行けばその国の香りを感じられる土産を買いたいと思う。しかし、日本の外国人向けの土産物屋を覗いてみると、どうもここは日本なのかと疑ってしまう。「KIMONO」と、横文字で書かれたハンガーにはバスローブのような、浴衣のような、そして背中には竜の刺繍や毒々しい色で描かれた浮世絵であったりする。果たしてこれは日本のものなのかと思ってしまうのである。

 商売は売れるものを売るのが鉄則である。外国人の出入りする店に擬似日本的な商品が並んでいるのは、それらが売れているからに他ならない。外国人はそのような商品に日本のイメージを重ね合わせているのだろう。ゲイシャ、サムライ、ハラキリ、フジヤマなど日本文化には間違いないけれども、それらは極端に誇張され彼らのイメージを形作っているらしい。

 彼らの持つ日本のイメージに合わせた商品を作り、並べて商売するのは商売の本筋から言えばまちがいない。しかし、これらが日本の文化をゆがめて外国に紹介することにならないのか私は心配である。

 日本の慣習文化の中に、相手の気持ちを尊重するというのがある。相手の心を傷つけるような事はずけずけとは言わずに湾曲な表現で言う。できるだけ相手の気持ちに沿って話をしようとする。それらは日本と言うムラ社会を保っていくのに必要なことで、日本の大切な文化であるといえる。しかし、それが国際社会に出たときには誤った方向に行く場合がある。私も外国人と英語で話をするときには良く理解していなくとも相槌を打ったりすることもあるが、それは反省せねばならない事である。

 老人の振袖姿を披露したり、外国人の目を通して創られたありもしない日本文化を自ら創り、日本の土産物として売るのは、そうした事と無関係ではない。振袖姿を見せれば外国人は喜ぶだろうと思って老人の振袖姿となったのだろうが、どこかおかしくはないだろうか。

 日本の文化を正しく外国人に伝えるという事は何と難しいのだろうかと思える。そして、その原因は我々日本人の心の中に存在するのも事実なのである。

 お互いが正しく相手の文化を認識することは国際社会における相互理解の第一歩だと思える。

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