明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋

2. きもの(着物)は高いか安いか

きもの春秋

「きものは高いか安いか」
と言う疑問は良く聞かれるところである。

「きものは安いですよ。孫、末代まで着られますから。」
というのは呉服屋の売口上である。しかし、これはちょっと説得力に欠けるように思われる。ファッションがめまぐるしく変化する現代の世の中で「孫、末代」の話が通用するのかどうか、疑問を持つ方も多いと思う。

「きものは洋服に比べて高いし、安いと思っても仕立て代やその他で高くなってしまう。襦袢や帯、小物まで揃えると相当の金額になってしまう。」
これもお客様の声として良く聞かれる文句だけれども、きものの本質を言い当てているとは思えない。

 きものは代々日本人が衣装として纏ってきたもので、それ程きものが高ければ日本人は古来裕福であったと言えるけれども、そんなことはない。百姓、町人から侍、貴族までみんなきものを着ていた。現代の世の中きものが高くて着れない、というのであれば何かが間違っている。

「高い」「安い」と言うのは相対的な問題である。「きものが高い」という裏には「洋服に比べて」という比較が伴っている。それでは「きもの」と「洋服」はどう違うのだろうか。

「きもの」も「洋服」も衣装である。衣装とは衣食住の衣であり、人間の体温を保護し生きるために必要かく可かざるものである。衣の初期の役目は人間が生きるための必要で十分な条件を満たす程度の物であったけれど、文化の発達と伴に衣装は体温を保持する為だけではなく自分を着飾り、個性を発散するための手段となってきた。故に世界中には国ごと民族ごとに衣装が生まれ、それぞれの個性を発散してきた。

 きものもその一つであり日本人の民族衣装である。洋服はその機能性が指示された事と、産業革命以後西洋文明が現代の世界の主導権を握ったことなどが手伝って現在世界の衣装の主流となっている。スーツにネクタイ姿は世界中どこへいっても通用する男性の正装である。日本の天皇陛下、タイのプミポン国王、最近は中国の高官も人民服に換えてスーツを着て公の場に出ている。

 洋服が特定の国や民族の衣装であると思っている人はいない。それ程洋服が普及している日本では、洋服は一般の衣装、呉服は特殊な衣装という見方が出てきても当然であるし、洋服ときものを比較して考えてしまうのももっともである。

 洋服ときものの最も大きな違いは「洋服は形」「きものは柄」と言えるのではないかと思う。例えて云えば「洋服は彫刻」「きものは絵画」である。

 洋服はその色や柄も大切な要素ではあるが、きものと大きく違うのは、その形を競っているという点である。パリコレクションやミラノコレクションを見ていると、デザイナーはその作品の形をアピールしている。スカートの丈、衿幅、ボタンの位置、どれをとってみても形をより美しく見せる工夫である。

 呉服の場合、形はその個性にほとんど影響が無い。式服から普段着まで、又夏の着物と冬の着物も基本的に形は全く同じである。普段着である紬と式服である黒留袖とを比べても、形はほぼ同じである。

 強いて言えば普段着は式服よりもやや袖が短かめであり、袖の端は元禄袖と云われる丸みをつけたりすることがある。衿もバチ衿と呼ばれる仕立てをすることもある。しかし、バチ衿も仕立ての上のことで着た形は広衿のきものと変らない。 

 江戸時代の小袖と今日のきものを比べれば確かに形が変わっている。

 しかし、形の変化は五百年かかって徐々に変わったものである。十年や数十年の単位で考えれば着物の形は全く変わらないと考えても差し支えはないように思う。

 きものの形をデザインする試みが無かったわけではない。私が京都にいた十五年程前に、西陣の機屋さんの新作発表会を見に行ったことがあった。その当時は既に呉服業界も下り坂に入っていた頃ではあったけれども今日に比べればまだまだ活況であり、機屋さんや染屋さんの力も有り、いろいろな試みがなされていた。その時発表された振袖には思い切った大胆なデザインが提案されていた。

 振袖の長い両袖先を後ろで繋げ、と云うよりも両袖を一枚の生地で作ったものだった。着ているモデルさんが手を広げると、あたかも天女が衣を翻しているような姿だった。このような振袖がこれから出てくるのかと、当時思ったものだが、その後その振袖が市販されたという話を聞いた事もないし、成人式でお目にかかったこともない。
 
「ニューきもの」も一時話題になったこともあった。帯は使わずに上下に別れたきもので、上っ張りと巻スカートを組み合わせたようなものだった。これは化繊のプレタのきものの普及と伴ってかなり市販されていた。しかし、これも本格的な市民権を得られずに市場から姿を消してしまった。最後は大量の在庫が残ったのかデパートなどのバーゲンで安売りされていた。

 きものの着難さが指摘され、きものを上下二枚に分ける二部式のきもの、そして帯の結び難さを改善するために「つけ帯」「作り帯」も考案された。女性のきものの「おはしょり(御端折)」といわれる独特の着方がきものの着にくい原因の一つである。このおはしょりをしなくても良いように上下別々のきものにして若い人にもきものを着てもらおうと云うわけである。

 帯の結び方も複雑で、特に袋帯は二重太鼓という複雑な結び方をする為、これもきものの着難さの一因となっている。きものの着難さはそれなりに意味の有ることで不必要なものではないが、これらの試みはきものを普及させるための良い試みと云える。

 私の御客様でも袋帯は全て切って作り帯にしてしまう方がいる。おかげできものを着る機会が増えたと喜んでいる。これら二部式のきものや作り帯はきものの形を変える革命的な出来事と思われるかもしれないが、実はそうではなくてむしろきものの形についての保守的立場を擁護している。どちらも革命的な提案ではあるけれども、着た姿は従来のきものと変わらないような注意が払われている。二部式、作り帯を感じさせないように考えられているのである。

 十五年程前に私はパリのオートクチュール、ジャン・パトー社を訪れた事が有った。私が京都での修業を終え、山形に戻るまでの一月間一人でヨーロッパを旅した時のことだった。その当時外国のデザイナーにきもののデザインをさせるのが業界の流行で、ギ・ラロッシュやミラ・ショーン、ルーシー・サン・クレー、フランソワ・モレシャンなどのきものが発表されていた。

 私のいた問屋でもジャン・パトーのきものを扱うことになり、私が退社する寸前に発表会が行なわれ、ジャン・パトー社々長ジャン・デ・ミューイ氏が来社した。その時ジャン・デ・ミューイ氏に来月パリに行くので訪問したいと伝え、翌月に訪問したのだった。今にして思えば厚顔で訪問したものだと思うが彼は社内を案内して説明してくれた。

 ちょうどコレクションの前で出品する作品が並べられていた。作品を前に白いガウンを着た細面のデザイナーらしき人が一生懸命に衣装を直していた。私はその当時洋服の知識は全くなかったが、その人は当時ジャン・パトー社のデザイナーで数年後に独立したクリスチャン・ラクロワ氏ではなかったかと思う。

 話は横道にそれたが、その時その洋服はいくらぐらいするものかを訪ねて見た。当時の邦貨に換算して80万円ぐらいだった。パリの一流のオートクチュールの作品が80万円と聞いて私は改めてきものは高いものだと思った。

 きものは絵画であると前述したが、訪問着や留袖を見れば分かるように、染のきものは絵画そのものである。京友禅や加賀友禅は、下絵→糸目糊おき→挿し友禅→糊伏せ→地染め、といくつもの工程を経て描かれる絵画であり、洋画のペインティングと手法は違えども絵画の作品である。優れた作家物のきものであれば、ゴッホやピカソ、ルノアールといった巨匠の絵を洋服に描いているような物である。洋服よりもきものが高いのもうなずける。

 きものが高価なのは訪問着や振袖など手描きの着物に限ったことではない。結城紬や大島紬等の普段着でもその製作工程を知っている人であれば高価である事がうなずけると思う。糸を一本一本つむぎ出し、絣柄にくくり染めて織る、という複雑で手間のかかる仕事が高価である事は自他供に認めるところと思う。ではなぜ日本のきものは普段着にまでそのような手間を掛けて作ったのだろう。その辺を理解しなければきものが高いか安いかの判断はできないように思う。

 私は、きものと洋服を単純に比べようとすることがそもそもの間違いであると思っている。現代のような和洋折衷の世の中ではきものと洋服が同居している。結婚式に出ればドレスときものが隣り合わせに座っている。今では少なくなったが、紬を着た奥さんとワンピースを着た奥さんが買い物をしている姿も見かけられる。夏の花火大会ともなればゆかた姿の若いカップルとTシャツにGパン姿のカップルが歩いている姿も見ることができる。

 きものと洋服を比べてしまうのも無理もない。しかし、その機能やメンテナンスを考えてみるときものと洋服は比べることができないことに気がつく。

 まず第一に洋服は消耗品として扱われるけれどもきものには消耗品という考えはない。最近の洋服の事情を見る限り、洋服が古くなって、あるいは擦り切れて着れなくなって買い替えると云うことはなく、流行に追いつくための買い替えのほうがほとんどと思われるが、洋服は同じものを長く着ていれば消耗して着れなくなってしまう。

 私が子供の頃は膝や肘が擦り切れてしまったり、裾がぼろぼろになってしまうことはよく有った。まして下着となれば使い捨ての消耗品で有る。しかし、きものの場合、後述するように流行が無いことも有って洋服と同じような意味での買い替えは必要無いと言える。最近はきものを着る機会がないのできものを消耗すると云うことは無いのだろうと云う反論も有るかも知れないけれども、決してそうではない。

 普段着である紬がいかに丈夫であるかは結城紬に代表される。結城紬が手間暇かけて作られる高価な織物であることは既に述べた。織られたばかりの結城紬の手触りは生糸についているセリシンという糊のためにとても固くゴワゴワとしている。それを湯通しすることによってセリシンを取り除き柔らかい絹糸の手触りに仕上げる。

 結城紬の本湯通しには一反あたりドラム缶二本分のお湯が使われるが、それでも取り除けるセリシンは50%もないという。それでも湯通しした結城紬は柔らかく和紙を揉んだような肌触りとなる。湯通し前のゴワゴワした手触りに比べ誰しもその柔らかさに驚くのであるが、結城紬の機屋さんの話を聞くとその柔らかさはまだ本物では無いと云う。
「結城紬は寝巻にして着た後きものに仕立てたほうが良い」
と云うたとえがある。「寝巻にする」というのは冗談だと思うが、結城紬は長年着て何度も洗い張りをすることによって結城紬の本当の味が出るのだと云う。

 洗い張りを繰り返すごとに残留したセリシンが少しずつ除かれ純粋な光沢のある絹繊維(フィブロン)になっていくのである。明治時代に織られ代々着継がれたという結城紬の羽織を見せてもらったことがある。その光沢は紬のそれではなく羽二重のようだった。着て汚してクリーニングをすればするほど良くなる洋服というのは聞いたことが無い。洋服は新品が最高である。着れば着るほど、それも数十年単位で良くなる衣装と云うのはきものをおいて他には無いと思う。

 消耗品として扱われないのは結城紬に限らない。私の母親は、私の祖母が着ていた長襦袢を今も着ている。祖母が無くなってからもう二十年以上経つので仕立てられてから二十年以上は過ぎた長襦袢である。長く着ていると言うことも去ることながら、私の祖母は母から見れば姑である。長襦袢と言えば洋服に当てはめれば下着である。姑が着ていた下着を貰い、それを二十年間も着るということは洋服の世界ではまず考えられないのではないだろうか。

 きものは消耗品ではないという立場に経てば、
「きものは孫末代まで着れますから」
という呉服屋の口上もあながち嘘ではないのである。

 きものが洋服と比べられない第二の理由として「きものは汚れることを前提としていない」と云うことがある。この違いは洋服ときもののハード面の違いではなく、日本と西洋の衣装に対する考え方の違いである。

 お客様よりきものの「洗濯」を頼まれることがある。「洗濯」と云う言葉は和服には適さないのだけれど、詳しく云えば「しみ抜き」「丸洗い」「洗い張り」の類である。初めてきものを着て初めてきものを「洗濯」に出す人達は一様にその洗濯代の高さと時間が掛かる事に驚かされるようだ。私の店では「染み抜き」をしないので外注している。その外注先が法外な値段を吹っかけているわけでも仕事が怠慢なわけでもない。

それでも、
「染み抜きってそんなに高いんですか」
「ずいぶん時間がかかりますね」
という驚きとも苦情ともつかない言葉をよく聞く。洋服の感覚で云えば、
「ちょっと汚しただけなのに」 とか
「クリーニング屋さんは一日で出してくれるのに」
と言うことになるだろうが和服の場合はそうはいかない。

 最近小雨や小雪の中を傘もささずに歩く振袖姿の若い女性を時折見かける。
「化繊の振袖なのだろうか、それとも貸衣装なので汚れても構わないと思っているのだろうか。」
と思ってしまう。きものを着る人にとって、特に晴れ着を着る人にとって小雨や小雪は大敵である。どんな小さな雨粒でもしみを作ってしまう。雨の日は雨コートを着て傘をさし、裾が汚れないように静かに歩くのが和服のマナーである。

 汚すことを前提としない和服だけれども長年着れば当然汚れて「洗濯」も必要となってくる。和服の洗濯は現在では技術も進み「丸洗い」もできるようになったけれど、昔は糸を解いて仕立て前の状態に戻し「洗い張り」がなされていた。洗った後は又仕立て直しをしなければならない。現在でも完全に洗濯しようとすれば洗い張りがなされている。洋服では考えられない手間である。消耗品ではない和服ゆえにこのような手間も手間ではないのである。

 洗濯をしないのでは不清潔と思われるかもしれないが和服は頻繁に汚れるところはそれなりの工夫がなされている。首に直接触れる部分は半衿と呼ばれる着脱可能な布が縫いつけられている。半衿は襦袢に縫いつけられているので(襦)袢衿と呼ばれるが、きもの本体にも掛衿というものがあり、衿の部分は二重に布が縫いつけられている。これも半衿と同じように汚れやすい所を保護した名残りではないかと思う。

 きものを汚さない為にはそれなりの作法や所作が伴う。この作法や所作が実に日本的なおくゆかしさを演出するのである。

 第三に和服には洋服で云う流行がない。衿が広くなったり狭くなったり丈が長くなったり短くなったりと云うような形の変化による流行は無い。洋服の流行はかなり極端である。ミニスカートが流行っている時にロングスカートをはく人はいない。幅の広いネクタイが流行っている時に幅の狭いネクタイを締めればヤボと後ろ指を指されてしまう。洋服の流行は流れに逆らって泳ぐ魚の群れのように皆が同じ方向を向いている。特に日本人の洋服に対する感覚はその傾向が強い様に思われる。

 和服の場合、流行が全く無いわけではない。十五年程前に辻ヶ花が流行したことがあった。当時は問屋が競って辻ヶ花の商品を扱い、どこの問屋の展示会に行っても辻ヶ花が展示会場の一部を占めていた。留袖、訪問着、小紋から袋帯、染帯、絵羽コートまで辻ヶ花の商品が所狭しと展示されていた。

 小売店でも辻ヶ花の商品がよく売れた。しかし、それ程辻ヶ花が流行した当時に実際に辻ヶ花を着ていた人はどのくらいいるのだろうか。はっきりとした統計をとったわけではないけれど、結婚披露宴やお茶会といった場で辻ヶ花を着ていた人は 一割にも満たなかったのではないかと思う。和服で言う流行とはそのようなもので流行っている柄のきものを皆が着ているわけではないしいつどんな柄のきものを着ようとも決して時代おくれ流行おくれのレッテルを貼られないのである。

 昭和三十年代初期には皇太子殿下(今上天皇陛下)の御成婚があり、美智子様が白いきものを着用されたので白が大流行となった。売れるのは白ばかり、白いきものさえ置いておけば飛ぶように売れたという。そんな時代でも白以外の色のきものを着る人は大勢いたし、いっこうにかまわなかった。

 流行のない和服は、数年で流行遅れとなり着られなくなる洋服とは違い時を越えて着ることができる。母が嫁ぐ時に仕立てたきものを娘が嫁ぐ時に仕立て直して持たせることは洋服では考えられないけれども和服では極自然なことなのである。

 私は結婚披露宴や葬式には必ずきものを着る事にしている。職業柄と言ってしまえばそれまでだけれども日本人には日本の式服が一番である。その場合大抵色紋付に袴姿で出席している。友人は皆決まったように黒のスーツにネクタイである。当然、私が一番めだってしまう。目立つだけではなく自分も着てみたいと思い 「いくらぐらいするのか」 と聞いてくる友人も一人や二人ではない。

 では私が結婚披露宴に出る時の衣装は全部でいくらぐらいするのだろうか。まず何を身に付けているかを考えてみると、下着は別にして主な物は紋付、羽織、襦袢、袴、角帯である。その他羽織の紐、足袋、草履、合財袋などの小物が有る。私のきものはそれ程上等では無いけれども、それでも数十万円にはなってしまう。それを聞いた友人は 「そんなに高いのか」 と驚き、きものは高いものだと思ってきものを着るのを諦めてしまうのである。

 なるほど黒のスーツにワイシャツネクタイ、黒の靴を会わせていくら上等なものを買ったとしてもたかが知れている。廉価な物では十万円もあれば全て揃ってしまう。しかし、「きものを全部揃えるといくら」という考えそのものが和服には合致しない洋服的感覚で、きものを高いものと思ってしまう原因なのである。

 私はきものを沢山持っているけれども私自身の為に新調したきものは、黒紋付、色紋付そして紬が一枚だけである。単衣や夏のうすものも含めて残りの八割は父や祖父の譲りものである。中には祖母が着ていた江戸小紋を仕立て直ししたものさえある。

 私の店には昔からの御得意様が沢山いる。しかし、その人達は毎年何枚も新しいきものを新調するわけではない。時には洗い張りや染み抜きの注文であったり、裾が擦り切れたからと裾や裏を取り替えたりと言ったメンテナンスである。時には襦袢を新調したり娘さんのきものを新調したりすることもあるが丸々一式という注文は余り無い。ちょうど高級車の部品を取り替えながら大切に乗っている様なものである。

 きものが日本人の日常着であった時には、そのようなメンテナンスを繰り返しながら大事に着られていたのだろう。新調されたきものは汚れないように、擦り切れた裏地を取り替えながら大事に着られ、子や孫に伝えられたのだろう。

 英国では家具をとても大事にすると云う。嫁入り道具として買ったテーブルを大事に使い、子や孫が嫁ぐときにまた嫁入りの道具として持たせることもあると云う。傷のついた天板はサンドで磨き、塗り直して新品同様にする。金具が壊れれば古道具屋で同じものを捜し、修理すると云う。

 日本でも塗物の家具や食器を大事に使う習慣はあったけども、最近の家具は合板で作られたものがほとんどで消耗品同然に使われている。家具屋で一枚板で作られた立派なテーブルやタンスを時折見かけるけれども合板の家具に比べれば目の玉が飛び出るほどの高い値段が付けられている。合板の家具に慣れた我々には 「どうしてそんな高い家具を」 と思ってしまうけれども価値を知るものにとっては決して高いものではないのである。

 きものと洋服を比べることはナンセンスであると先に述べたけれども、きものは洋服に比べてずっと長いサイクルで考えなければならない。一着のきものと洋服を比べれば、きものは高いものだけれど、時間的な広がりはきもののほうがはるかに長い。 

 きものが高いか安いかと云うことは人それぞれのきものに対する姿勢が結論を出してくれることのように思える。

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