明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 続続きもの春秋

5. 呉服屋は文化の創造者になりえるか

続続きもの春秋

 いかにも尊大なテーマだけれども、最近そう考えさせられることがあった。

 ホームページで「きもの春秋」を公開して以来、多くの方々に御意見を頂戴した。西陣ですくいの訪問着を織っている竹田しのぶさんからもメールを頂いた。竹田さんは数々の染織展で入選され、現在HANA工房として創作活動を続けておられる。そして、より多くの人に自分の作品を見て、理解してもらいたいとホームページを立ち揚げて作品を紹介している。竹田さんの作品はすくいで巧みにボカシを用いた絵羽柄の訪問着である。織でボカシを表現するのは大変難しい。画像でしか拝見していないけれども、どれだけの技術と手間をかけて織ったのだろうかと思える作品ばかりだった。幾度かメールを交換するうちに、西陣の職人である竹田さんと呉服屋の私との間には立場の違いがあるように思えた。

 私は「きもの春秋」の中で、紬の訪問着を否定してきた。理由は、紬は従来晴れ着とはされず、絵羽はなじまない。紬の絵羽を販売している人自身がその意味が分からずに紬の絵羽は販売せんがための奇を衒った商品にしか思えない、というのがその趣旨であった。

 竹田さんは紬の絵羽については明確な考えをお持ちでした。
「織のきものは正倉院の御物にも見られるように、ある時期までは染よりも優位だった。所謂紬は残繭で織られてきた為に、友禅よりも格下に見られるようになった。真綿紬は毛羽立ちがあるけれども、上質の玉糸を使うことによって毛羽立ちがなく、下品な光沢ではない艶がある絵羽の紬ができる。そして、自分が織った訪問着は何処へでも着ていって欲しいし、恥ずかしくはない。」
と言うものでした。

 竹田さんの言うように、昔は織のきものが式服として用いられたことは事実ですし、文化や習慣が時代と共に変遷することも私は認めています。

  安土から江戸に掛けて男性にも盛んに着られた染の柄物(辻が花など)は今はほとんど男性に着られることはなくなりました。一昔前には入卒式の制服のように着られた黒絵羽織はたちまちにして姿を消してしまいました。昔の常識は今の常識ではなく、今の常識は将来の常識であるとは限りません。そういう意味では今後紬の絵羽が式服となったり絵羽が普段に着られるようになったりすることも考えられなくはありません。

これまでの常識が覆るというのはどんな要因にて引き起こされるのでしょう。

 社会的な変化、異文化との接触、技術革新によるものなど様々な要因があると思われますが、その状況において、それを創る人、それを支持する人達がいなければ変化はおきなかったでしょう。そこには間違いなく新しい文化の提唱者、創造者がいて、それを指示する人達がいたはずです。その人達は文化の創造者とも言える人達で、日本の新しい文化を引っ張ってきた人達でしょう。それは一人とは限らず、社会全体が必然的に生み出してきたのだと思います。

 新しい文化の創造には勇気もいることでしょう。1960年代にビートルズが世界を席巻し、ビートルズカットという男性の長髪が世界に広まりヘアースタイルを一変させてしまいました。それを見た大人たちの「女みたいな頭をして・・・。」という嘲笑があったことを私は子供ながら覚えています。ビートルズに限らず文化の創造者となった人は多くおります。洋服の世界ではココ・シャネルがそれまでの女性のスーツ姿を一変させました。印象派の画家たち。また、建築家アントニオ・ガウディは文化を創造し、すばらしい評価を得ながら社会的には受け入れられなかった、というよりも余りに天才が過ぎて後継者がいなかったと言えます。彼らは皆社会的に批判を浴びながらも自分の内にある確固とした次代の文化像を主張してきた人達です。

 さて、日本のきもの文化の創造者となりえるのはどういった人達でしょうか。最終的にはそれを支持して着る人がそれを支えるわけですが、誰が率先してそれを提唱するのでしょうか。大衆の中から自然に出てくる場合もあるでしょう。下駄や草履が年々大きくなっているのも若者の好みが繁栄されているからに他なりません。また、供給する側が人々の好みを先取りしてメーカーや問屋が新商品を開発し世に問うといった形もあるかもしれません。

 その時代に合う新しい文化を提唱できる者こそ文化の創造者ということが言えます。では小売屋はきもの文化の創造者となりえるのでしょうか。  

 呉服屋に限らず、いかなる肩書きを持った者でも肩書きゆえに文化の創造者とはなり得ないということはありません。誰しも積極的にその文化に浴しようと思うものであれば文化の創造者となれるはずです。しかしながら、昨今の呉服業界の状況を見るに、呉服屋がきもの文化の提唱者となれるのか甚だ疑問がもたれるところです。

 小売屋は物を仕入れて、それを売って生活の糧としています。そしてそれは消費者に必要な商品を流通させるという経済の大きな役割を担っています。

 消費者の好みを先取りして、売れるものを仕入れ販売するのは呉服業に限らず流通業の鉄則です。メーカーは消費者の動向を見ながら、さらに売れる新商品を開発して市場に流し、当たればヒット商品として消費者の支持を得るわけです。そこには消費者の適切な判断と知識が前提となります。そうでなければ健全な流通システムは機能しません。商品が消費者の支持なしに流通システムにだけ頼る商法、「霊感商法」や「ねずみ講」「キャッチセールス」などは悪徳商法としてはじき出されます。

  呉服業の場合はどうなのでしょうか。きものが一般の生活とは縁遠くなり、消費者の商品に対する知識は浅薄となり、それを求めた者にとっても知識が得られない環境となりつつあります。きもの業界では消費者の冷静な判断というものを仰ぎにくくなっています。それ故に呉服屋にはきものについての正しい知識を消費者に伝え、説明するという義務を負っていると思います。

  次のような例はいかがでしょうか。

  男性が店に来て言いました。
「結婚披露宴に出るのだけれども目立つきものを着たいので、加賀の訪問着を着たい。それも超一流の作家の物を。」
 加賀の訪問着を男性が着ることは通常ありえない。もしも、作るとしたら身幅の関係で別染めにしなければならない。一流の作家であれば数百万は下らない。小売屋にとっては良い話である。消費者の欲する商品を売るという鉄則に照らしあわせればどんな商品でも売るのが商売である。私もできれば売りたいと思う。小売屋によって対応はまちまちだろうけれども、いくつかの対応が考えられる。
「はい、かしこまりました。だんな様には良くお似合いでしょう。」
と揉み手商法に徹する店。
「はい、このきものはとても目だちますね。お客様の好みにはぴったりですが、男性が絵羽の訪問着を着ると言うのは、三波春夫さんなど浪曲師か民謡歌手などごく一部の特殊な人達です。それを御承知の上でしたら別染め致します。」
  また次のような店もあるかもしれない。
「これは女性用ですから男性が着るものではありません。うちの店ではとても応じられません。」
  三番目の対応をする呉服屋は余程の呉服屋である。大概は一か二の対応をするだろう。小売屋は商品を売りたいものである。

  しかし、一の対応だと次のようなトラブルが起こるかもしれない。
「先日仕立てたきものを着て行ったところ、みんなに散々笑いものにされた。どうしておかしな格好だと教えてくれなかったのか。」
そのお客様にしてみれば大枚をはたいて作ったきものが笑いものになってしまったのである。このことをお客様の無知のせいではかたずけられない。呉服屋は、お客様に商品について充分に説明する義務を負っている。

 一つには商売上、店の信用のためである。お客様に満足していただくためにはその商品についての背景やTPOを説明しなくてはならない。もう一つはきものは日本の文化であるという観点から、その文化を正しく伝えるという義務を呉服屋は負っていると思えるのである。

 私は小売屋としてきものを扱っている。小売屋にとってきものは商いの媒体であることは言うまでもありません。しかし、呉服屋には、その商売の媒体であるきものが日本の文化であること、それを売っているのが自分たちであるという誇りと自覚をもたなければならない。それ故に私は視野を広げてきもの文化そのものを考えたいと思っています。しかし、いくら視野を広げたところで視点が小売屋であることに変わりはない。 小売屋が消費者に伝えなければ成らないことは正しい商品知識であり、正しいTPOです。

 TPOが時代と共に変わることは先に述べたけれども、小売屋が伝えなければならないのは、これからの常識ではなくこれまでの常識である。初めてきものを着る人の中には呉服屋さんの言う事がすべてと思う人は多いはずです。それだけに、呉服屋の消費者に対する説明は重要である。過去の習慣も含めて充分に説明しなければ消費者は安心してきものを着られずに呉服の安定した需要は見込めない。

「羽織は着ないと聞いたのですが、本当に着ないのですか。」
そういうお客様も多い。
「いいえ、昔は皆羽織をきていましたが最近は余り着ないようです。おそらくお茶席では羽織を着ないというのがそうなったのでしょう。私の母はいつも羽織を着ています。着て悪いなどということはありません。羽織姿は良いものですよ。」
  私はそう説明しているが、最終判断はお客様に任せている。そのせいかどうか分からないが、最近少しずつ羽織を着る人も増えてきた。  

 日頃きものを着る機会のない消費者はきものを着る事に不安を覚えている。
「こんな着物を着ても良いのかしら。」
「このきものはどんな場所で着れるのかしら。」
 そう言う不安を覚え、着物を着るのを諦めてしまう人も多い。そういったお客様には、その着物の歴史的な背景も含めて説明し不安を払拭し安心して着物を着られるようにするのが今の呉服屋に与えられた義務と思うのである。

  その為に私も消費者にきものについての間違いのない知識を伝えられるように努力しているつもりである。しかし、商品知識にしても、品物や生産現場を見たことがあるとは言え、それは小学生の工場見学とそう変わらない程度であることは否めない。新しい文化を提唱しようとしている職人さん達(竹田さん等)とその作品についてまともに論争すれば、我々小売屋の知識などひとたまりもないでしょう。自分の主張する次代の文化に命を張っている職人作家さん達と我々小売屋は視点とその作品に対する責任の重さがまるで違うことに気づかされます。

 最近の呉服業界では新商品が次々と出されている。新商品というのは新柄とか言うのではなく、今までになかった範疇の商品である。ゆかたの比翼、紬の留袖、ミニスカートのようなゆかた等等、従来の習慣には馴染まない商品である。きものの歴史や今までの習慣を知らない者にとってはすんなりと受け入れられるかも知れないが、それまでの常識を知る者にとってはどのように対処してよいのか分からないものである。
「結城紬の留袖は結婚式で着られるのですか。」
と聞かれれば私は返答する術を知らない。そのような新商品の中には新しい文化の提案として明確な主張を持つものもあるけれども、多くは売るためだけの奇を衒った商品も多い。

 もしも小売屋が売る為だけを考えれば、どんな商品でも受け入れ売る事に専念するだろう。
「結城紬の留袖は結婚式でも着られますよ。」
「訪問着は着る機会がないなどとおっしゃらずに普段着にきていただいても結構ですよ。」
「小紋でも紬でも今はきものを着る事自体が晴れ着ですから結婚式でも何でも着て行っても構いません。袋帯がなければ半幅帯でもいいんですよ。」
 そんな売り口上が小売屋の店先から聞こえてくるかもしれない。

 売る為だけに従来の習慣を伝えることもなく全て無視し、それで次代のきものが正しく創造されるのだろうか。消費者が小売屋の売らんが為のいいかげんな口上を真に受けた時、きものの将来はどうなるのだろうか。 小売屋の商売上の鉄則と呉服屋に課せられた義務との間には一部相容れないものがある。それ故に私は小売屋として新しい文化の提唱(奇を衒った商品ではなくても)という事には躊躇せざるをえない。保守的と思われるかもしれないが、今の消費者に対する小売屋の影響力を考えれば、その汚名をきて余りあるところである。

 竹田さんの作品はすばらしい紬の訪問着である。しかし、我々小売屋は(いや、私は)それをどのように消費者に紹介するべきか、その術を知らない。消費者が正しくきものを認識し、次代のきもの文化を創造することを願っている。竹田さんの作品がどのような形で世に認められるのかを見守りたいと思うし、その技術は後世に伝えていただきたいと思う。

 竹田さんのHANA工房のURLは次の通りです。
http://www.hanakobou.com
一度ご覧頂き、これからのきもののあり方を考えてみていただきたいと思います。

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