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全日本きもの研究会 続続きもの春秋

23.西陣織屋の老舗

続続きもの春秋

 西陣が帯の大生産地であることは誰でも知っている。西陣には古い織屋が軒を連ね、機の音が街中に響いている・・・というのは昔の話になってしまった。織屋が廃業し、織屋の数が減っているのは事実だが、まだまだ織屋は生きている。
 
 しかし、生産拠点を中国に移し、西陣には手機が数台申し訳程度に残っている織屋も少なくない。機の音はめっきり聞かれなくなったと言う。
 
 さて、老舗が多いと言われる西陣の織屋はいつ頃から機を織っているのだろう。西陣と言う名は応仁の乱の時、山名宗全率いる西軍の陣地があったためにその名がついたことは知られている。応仁の乱といえば1467年。その頃の織屋は残っているのだろうか。そんな疑問がわいてくる。
 
 この度、「西陣織屋老舗一覧」というのを入手した。下記はその一覧である。

番号
(古い順)
社名織屋番号創業年
(和暦)
創業年
(西暦)
創業者創業以来
㈱井関1318天文191550井関七右衛門宗麟458年
俵屋喜多川1826400年以上前400年
㈱大庄448慶長頃1600?大文字屋庄兵衛400年?
㈱ふくい295享保11716篠屋宗兵衛292年
山下織物㈱503天明21782坂本屋小四郎226年
服部織物㈱259天明81788服部勘兵衛220年
木野織物㈱320文化11804菱屋善兵衛204年
(有)山正天保11830山本与兵衛178年
谷常織物天保121841谷太助167年
10(有)西陣小川英1841天保141843165年
11㈱川島織物39天保141843川島甚兵衛165年
12多津美織物㈱62嘉永31850158年
13(有)帯屋捨松48安政11854枡屋長兵衛154年
14黒清織物2303慶応11865黒田友次郎143年

 聞いたことのある織屋の名前もあるかと思う。一番古いのは㈱井関、創業が1550年なので460年間続いていることになる。1550年と言えば、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に着いた頃、桶狭間の戦いの十年前である。物造りの職業で500年続く職業は少ないのではないだろうか。
 

明治以前の織屋は14軒しか残っていない。それまでどれだけの織屋が出ては消えていったのか分からない。明治時代に西欧からジャカード機が導入され、西陣の産業革命と言える一大変革が織屋の趨勢に大きな影響を与えたのかもしれない。

 さて、西陣織工業組合では証紙を発行し、その証紙には織屋の番号が付けられている。それぞれの織屋が織った商品にはその織屋の番号が証紙として付される。登録順に現在は2500余番まで番号が付けられている。組合創設以来2500軒以上の織屋が組合に登録している。しかし、廃業する織屋もあり現在操業している織屋はずっと少ない。
 
 私の手元にある組合の証紙番号表には2512番の織屋まで登録してあるが、登録総数は700余りである。残りの1800軒の織屋は廃業し登録は抹消されている。何ともさびしい限りである。
 
 西陣の証紙番号と言えば、「番号の若い織屋が老舗」という人がいる。織屋番号は登録順に付けられているので、最初の方の番号が老舗と言うわけである。これは根拠がないわけではない。しかし、上の表でも分かるように創業の順と織屋番号の順は必ずしも一致しない。
 
 西陣の組合は最初50軒程度のチャーターメンバーで設立され、チャーターメンバーの織屋番号は当時の社名を五十音順に付けたという話を聞いたことがある。現在は社名が変っている織屋もあり、必ずしも五十音順ではないがだいたい次のようである。
    6番 「加納(かのう)」、
   7番「北尾織物匠(きたお)」
   8番「泰生織物(たいせい)」
  14番「高藤織物(たかとう)」
  31番「安田つづれ工芸(やすだ)」
  37番「渡文(わたぶん)」
ここまでは五十音順だけれども、
  40番「いづくら」
  41番「織吉(おりきち)」
と続く。そして、
  46番「河村織物(かわむら)」
  48番「帯屋捨松」(むかしは「木村捨松」だったという)
  51番「国定織物(くにさだ)」
  55番「滋賀喜織物(しがき)」
  79番「山口織物(やまぐち)」
  81番「よしせい織物」
この後は、ややバラバラになってくる。
 
 西陣織工業組合のチャーターメンバーは37番までで、次に81番まで一度に加入したように見える。もっともこの辺りの事情は組合に問い合わせればわかることだけれども。

 前述の老舗14社の内81番までに入っているのは、39番「川島織物」、48番「帯屋捨松」、62番「多津美織物」の三社のみである。最も古い「井関」は1318番目、二番目に古い「俵屋喜多川」は1826番目である。

 西陣の織屋さん達は老舗、新進織屋にかかわらず良い織物作りに精を出している。今ある多くの織屋さん達が百年後に老舗と呼ばれるように織り続けてもらいたいものである。
 
 

追記

 このエッセイを公開した後、西陣組合の方と称する人から電話を頂戴しました。
「この資料はどこで入手したのか。」
「帯問屋さんから頂戴した印刷物です。」
と応えると、
「どこの帯問屋か?」
としつこく聞いてきました
「もし間違いがあれば訂正いたします。」
と告げて、
「西陣組合のどちら様ですか?」
と尋ねましたが何も応えません。そのうち電話を切ってしまいました。

 私が入手した資料はいくつかある説の一つだったかもしれません。その方にとっては受け入れられない資料だったのかもしれませんが、そうであれば、名乗った上でその事をはっきりと言っていただきたかったと思います。

 あるいは西陣組合に不和、内紛があるのでしょうか。そう勘ぐってしまいます。

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