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全日本きもの研究会 きもの博物館

27. 唐織の妙  

きもの博物館

 京都の西陣は織物の産地である。一般に『西陣織』などと呼ばれているけれども、西陣織という特殊な織方があるわけではない。京都上京区の堀川通り以西、一条通り北、千本通り以東のいわゆる西陣と呼ばれる所で織られる織物が西陣織である。

  西陣では帯地をはじめとして紬、雨コート地、御召などあらゆる織物が織られてきた。特に有名なのは、やはり帯地である。紬や御召は新潟や桐生など全国で織られている。しかし、帯地に限って言えば西陣は圧倒的なシェアを占めている。とりわけ袋帯に限れば極少量博多で織られてはいるが、ほとんどが西陣物である。

 西陣イコール帯の産地、というのは私も幼い頃から持っていたイメージである。幼い頃の私は、それほど専門的な知識を持ってはいなかったけれども西陣の帯といえば唐織を連想した。西陣のポスターが店に張られていたけれども、その帯は何故か唐織だったような気がする。西陣では唐織の他にもいろいろな帯が織られていたが私のイメージは唐織の帯だった。

 さて、唐織とは何かと問われれば答えに窮してしまう。唐織のみならず呉服の用語を正しく説明するのは難しい。帯を見て、どれが唐織なのかを見分けるのは業界にいる者ならば誰でもできる。しかし、言葉で説明しようとすれば難しいのである。

 一昔前には「上等舶来」という言葉があったけれども「唐」はそれに相通じる意味が有るらしい。「唐」は舶載品、立派な、最高級という意味を持っていた。唐織もその名に違わず最高級の織物として今日までその技術が伝えられている。

 上述した、「能装束は薄手のしっかりした生地を必要とする」という行に疑問を持たれる方も多いかと思う。私も業界に入り見てきた唐織の袋帯というのは、裏に横糸が何本も通り、厚ぼったい言わば座蒲団のようなものが多かった。刺繍したような織と合間って唐織の袋帯は厚ぼったく締めにくいように思えたのである。  

 実は座蒲団のような厚ぼったい唐織は機械織のなせる技なのである。もともと、どんな織物であれ、全て手織りだった。室町時代に自動織機などあろうはずもなく、一つ一つ手間暇掛けて織られていた。能装束に使われた唐織も例外ではなく職人は最高の作品を作ろうとしたのである。そこには現代的な感覚、すなわち、「いかにローコストで大量生産するか」という価値観は存在しなかった。当時の職人は能衣装に用いる唐織をいかに「薄手で」「しっかりとした生地で」「絢爛豪華な織物」に作るかを考えていた。

 手織りの唐織では、色糸の数だけ杼を使うので理論的には色糸は何色でも使うことができる。織機のように杼の数が制限されることはない。そして柄を織るときには杼を文様に応じて一つ一つ経糸をくぐらせ文様の部分だけ往復させるので織幅いっぱいに絵緯糸が通ることはない。帯の裏に無数の絵緯糸が通っているのは織機によるものである。

 機械織では杼が単純に織物の右から左へと移動するために全ての絵緯糸が帯の裏を通ってしまう。色糸の数が多ければ多いほど帯の裏、すなわち袋帯の中は横糸だらけ、まさに座蒲団のようになってしまうのである。  

 多くの人が持っている唐織の印象とは反対に手織りの唐織は絵緯糸が文様の所だけで往復し、初めと終わりの部分で糸を括っているので裏に緯糸も通らず、軽く薄手のしっかりとした生地である。

 技術革新は商品の低価格化をもたらしたけれども、唐織をはじめ伝統技術に関しては「全く同じ物を多量に」という冠詞はあてはまらないらしい。現在機械で織られる唐織は手機の物に比べれば五分の一、あるいはそれ以下で売られている。どれも同じ唐織と思われる方もいると思うけれども、手機の唐織をじっくりと手にとって見ていただきたいと思う。

 手間暇を惜しまずに織られた唐織は、その重厚で華麗な見た目とは違って、軽く天女の衣のようにさえ思えるのである。

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