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全日本きもの研究会 きもの博物館

40. 羽織、コート、絵羽コート

きもの博物館

 先日東京へ行った時のことである。東京では珍しく寒い日だった。朝列車のホームにきもの姿の若い女性が立っていた。ラッシュアワーも過ぎ、それ程人ごみは無かったので、誰でもそのきもの姿を視認することができた。

 訪問着姿のその女性は毛皮のショールにバックを持っていた。私にはどこの染屋のものかが分かる(大体の値段も分かる)高価な訪問着だった。改めてきものの良さを感じていた。

 しかし、どうもしっくりこない。その女性にそのきものが似合わない訳でもない。駅のホームという公衆の面前での訪問着姿に違和感を感じていた。

 日本のきものは汚すことを前提としていない。洋服のジーンズやジャージーの感覚は全く無い。訪問着ともなれば宝石のように扱わなければならないのである。紬姿で駅のホームに立つのは絵になるけれども、訪問着姿で駅のホームに立つのは何故か違和感を感じるのである。

  洋服でもジャケットやコートがあるように、きものにも上着がある。羽織やコート、道行である。最近、上着を着ないきもの姿を見かけるようになった。

「羽織は着ない」という話を良く聞く。何故羽織を着ないのか私には理解できないのだけれども(きもの春秋「羽織は着ないへの疑問」参照)、羽織はもともときものと対をなすもので、コートや道行とは一線を画していた。

 女性が羽織を着るようになったのは文禄年間ごろに老女が夫の羽織を借りて着たのが始まりと言われている。幕府の禁令もあり、すぐに普及はしなかったが、それでも羽織が普及したのはやはり羽織姿には魅力があったからだろう。

 粋な羽織姿は禁制の中、深川辰巳芸者が羽織を纏って座敷に上がり、羽織芸者の名を世に知らしめた。明治維新以後、女子の羽織が普及し、一昔前まで着られていた。黒絵羽の羽織は準礼装にも用いられたが、第一礼装として市民権を得るには至らなかった。 羽織は上着として室内で着ても構わない。正装で外を歩く時には絵羽織を、小紋には小紋の羽織が良く似合う。もっと羽織を着て欲しいものである。

 一方、道行や道中着はコートの類である。コートはきもので外を歩く場合必要欠くべからざるものである。レインコートを室内で着ないように道行や道中着も部屋の中では羽織と違って脱がなければならない。コートは大切なきものを汚れから守り、耐寒性もある。雨が降るときには雨コート。寒い土地では防寒用の輪奈コートやベルベット、カシミヤのコートはかかせない。晴れた日でも道行や道中着はきものを汚れから守るために欠かせないものである。

 きものが縁遠くなつたせいか、長着と帯を用意すれば事足れり、となってしまった感がある。そういった感覚が屋外での羽織なしコートなしの訪問着姿を生んでいる。

 洋服でも和服でもそれぞれ耐寒性、耐水性のコートがある。しかし、和服には有っても洋服にはないコートがある。絵羽コートである。絵羽というのは和服独特の概念で、きものを一枚のカンバスにみたてて絵を画くことである。絵は縫い目に跨って描かれることになる。

 きものの世界では絵羽は晴れ着の証である。留袖、訪問着、振袖、付下いずれも晴れ着として絵羽付になっている。一枚一枚職人が手間ひまかけて絵羽付けするのは晴れ着にふさわしいのだろう。きものでは絵羽は長着にとどまらず、外衣であるコートや羽織にも用いられる。

 正装のきものには正装のコートや羽織が似合う。しゃれた絵羽コートや絵羽織は留袖や訪問着を汚れから守るだけでなく外衣の正装としての役目を果たしてくれる。  

 最近は絵羽織や絵羽コート姿を見かけなくなった。問屋や染屋でも余り見かけない。作らないから着ないのか、着ないから作らないのか分からないが、絵羽織そのものを知らない、見たことがない人も増えているように思える。昔あった絵羽織や絵羽コートがあれば引っ張り出して着てもらいたいと思う。

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「きもの春秋 3.「羽織は着ない」への疑問」

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