明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの博物館

22. 博多八寸帯(普段着の帯)

きもの博物館

 帯の名称は難しい。『九寸織名古屋帯』でも書いたように、帯の名称は、その産地名、織方、帯の種類など様々な呼び方で呼ばれている。同じ帯でも時には違った名称で呼ぶ事も希ではない。

 博多八寸帯とは博多で織られる八寸(鯨尺で)幅の帯である。帯は全て仕立て上がれば幅が八寸なので、八寸の帯は芯を使わない。

 博多献上帯も八寸帯だけれども、ここで紹介するのは献上柄ではない博多八寸帯である。

 丸帯、袋帯、九寸帯、八寸帯と帯の種類を羅列すると、八寸帯は一般に格の低い帯である。中には手綴れの八寸帯のように訪問着にも締められる八寸帯はあるけれども、ほとんどの八寸は紬や小紋にする格の低い帯である。

 『格が低い』というのは価格の高い安いとは無関係である。すでに紹介した手織りの博多帯は高価だけれども訪問着や留袖にはできない。

 私にとって(のみならず呉服を良く知る者にとって)「八寸」という言葉の響きは「普段着」という言葉に相通じている。「丸帯」や「袋帯」とは対称的に紬や小紋を連想するのである。

 昨今の呉服を取り巻く環境の中では「普段着」という言葉は死語になりつつある。結婚式や成人式、お茶会など、あらたまった席できものはまだまだ生きているし、これからもすばらしい日本文化として残っていくことだろうと思う。

 しかし、きもの姿で買い物をする人の姿はめっきり少なくなった、と言うよりも皆無と言って良いかもしれない。(私の場合、母が四六時中きものなので、きもので買い物をする姿は毎日見ている。)

 何気ない紬姿と言ったきものの底辺の文化が広ければ広いほど、きものの文化はさらに広まると思うのだけれども、普段着のないきもの文化は根無し草のようになってしまうのではないかとさえ思う。

 私の店のお客様でお茶の先生をしている人に前々から言われていた事があった。

「普段着にちょこちょこする帯はないですかねえ。昔は良くあったんですけれど。」

『普段着にちょこちょこする帯』というのは、高価でなく、締めやすく、汚れを気にしない、そしてしゃれた帯を指している。締めやすい、というのは二重太鼓を作らない名古屋帯である。中でも汚れを気にする塩瀬の染帯ではなく八寸の織帯を指しているのだろう。

 そうは分かっていても現実にそんな帯がなかなか手に入らない。八寸帯といえば、八寸紬帯や博多献上帯がある。しかし、紬の帯は小紋にはちょっと合わない。献上帯はポピュラーで、ちょっと変わった帯を締めたい人には不向きである。

 『普段にちょこちょこする帯』がすぐに見つけられないのは呉服屋として歯がゆさを感じるし、きものの裾野の需要が少なくなったことを目の当りにさせられたようで何とも気分が悪い。

 口に出しては言わないけれども、本当はそういった普段着にする帯を求めている人は沢山いるのかも知れない。数が売れなくなった呉服業界にあって、より付加価値の高い物、高額な物にばかり目が行って、安価で『ちょこちょこ着るきもの』に目が行かなくなってしまったのではないかと思えてくる。本当は普段着のきものを『ちょこちょこ』着たいのに、どこの呉服屋でも高い物ばかり揃え、呉服屋に入ることもままならない人が結構いるのではないか。そんなふうにも思えてくるのである。

 最近、若い人が私の店に来るようになった。古いきものを持ち込んでは、

「これ、直してもらえますか。」
「襦袢の袖だけ換えてもらえますか。」

 そして、店内を見て廻り、ウールや綿反のきものを見ていく。
「高価なきものは買えないけれども、きものを着たい。」
 そんな気持ちが見え隠れする。そういう人がいる以上、それに応えるような商品を揃えなくてはならないと思うのだけれども、最近その商品がなかなか見つからない。

 そういう商品を捜している小売屋は私の店だけではないだろうし、私の店以上に捜している店もあるはずである。しかし、染屋や機屋から見れば事情はまた違ってくる。私のような店に商品を供給するにはどれだけ作ればいいのか。染屋、機屋から小売屋にダイレクトに商品が届けられるわけではないので、相当数作らなければ末端の小売屋の目には届かない。諦めて商品を作るのをやめる機屋もあるだろうし、せっかく作った商品も小売屋の目(消費者の目)に届かずに倉に眠ることもあるだろう。昨今の不況の中ではなおさらである。

 先日、問屋さんがやってきてボテ箱(呉服業界では反物の入ったダンボール箱をそう呼ぶ)を開き、
「これ何とかお願いします。」
そう言って博多の八寸帯を持ってきた。博多八寸帯というのは、『普段着にちょこちょこする帯』である。紋織りや波筬(なみおさ)を使ったものなど二十本ばかり持ってきたのである。

 私は一通り目を通して、
「今、こういう帯は売れますか。」
「いや、時世が時世ですからね。機屋も機を止めるわけにはいかないと困っていますよ。」
 彼の言う時世とは不況もさることながら、普段着を着る人が少なくなったことを嘆いているようだった。博多帯は一回に30~60本分の縦糸を織機にかけるので、機を織り始めると同じ柄が沢山作らねばならない。沢山と言っても、全国にばらまけば、それほどの数ではないはずだけれども、それでも昨今の不況では中々さばけないらしい。
「機屋のおやじさんがね。これで売ってくださいって。」
そう言って問屋さんが算盤をはじいた。

 私にとっては捜してもあまり入らない帯が目の前に山積みされたのである。
「こういう帯がどんどん売れれば呉服業界も活気がでるんですがね。」

 博多八寸帯のような普段着の帯は全盛期には相当数織られていたはずである。日本人のほとんどがきものを着ていた時分には数の上では袋帯など物の数ではなかっただろう。しゃれた帯が織られ、普段着のおしゃれを競っていただろうと思えば呉服業にたずさわる者としては、微笑ましく思えてくるのである。
「普段着のきものを着たい。」
 そう思ってタンスを開いてみても、紬のきものはあるけれども、帯は高価な物ばかりで合う物がない、という人も多いのではないだろうか。

「是非、タンスに眠っている普段着を着てみて下さい。」
 呉服の将来を憂える者からのお願いです。

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