明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの博物館

55. 蓮布、藕絲 (ぐーし) 織

きもの博物館

 先日、一人の坊さんが私の店に訪ねてきた。

 坊さんと言うのは私の早合点で、その人は法衣店の主人だった。頭を丸めたその風貌は坊さんのようで、商売人には見えなかった。

 最近ビジネスマンでも頭を坊主にするのが流行っていると聞くけれども、坊主頭の人が誰でも坊さんに見えるわけではない。やはり法衣店の店主ともなると職業柄僧侶に一脈通じるところがあるのだろうか。名刺の裏には「南無釈迦牟尼仏」と金で印刷してあった。

 彼は持って来た風呂敷包みを開け、布を広げて見せてくれた。その布は一見麻布のようだけれども、手触りは紬のようだった。
「これは蓮で作った布です。」

 蓮で創った布…、一体どのようにして創るのだろうか。品布や芭蕉布は、その幹の繊維で作る。蓮の幹と言っても蓮の幹は華奢な葉柄である。あんなもので糸が採れるのだろうか。

  蓮と言えば即、寺や仏教を連想する。僧侶のような法衣店の主人が広げる蓮で作った布。何やら因縁めいた話だった。

 仏像の台座や寺院の飾り物に蓮は欠かせない。阿弥陀経には、人が死ぬと即極楽の蓮の葉の上に生まれ変わると説いているという。仏教に限らず、ヒンドゥー教でも蓮は特別な存在で、天地の創造にかかわっていると言う。

 彼は写真を広げて説明し始めた。
「これはビルマで織られた布です。」
話を聞けば聞くほど不思議な布である。

 蓮の茎(葉柄)を五本束ねて輪切りにする。輪切りにした面を引き離すと、納豆の様にねばねばした繊維が糸を引く様に出てくる。その糸を台の上で粘土のヒモを造る様に掌で転がすと粘液が次第に固化して糸になるという。

  繊維が出なくなると、その端が固化する前に別の茎の束を切り繋いでゆく。それを何度も繰り返して長い一本の糸を創ってゆく。

 蓮の茎の樹液で糸を創る。何だか夢のような話だけれども蚕が口から液体を吐いて糸を創るのと似ていなくもない。そして一本の糸を創るのに掌で転がしながら創るという手間隙…私は結城紬の糸を思い浮かべていた。
「結城紬のようですね。」
私がそう言うと、
「そうですね、結城紬も手間隙がかかると聞いていますが。」

 結城紬は大層手間隙の掛かる織物だけれども、普段着として用いられている。王侯将相の着物ではない。その蓮で創った織物は何に使うのだろうか。
「ビルマでは僧侶の袈裟に使われています。」

  ビルマの国民の90%が仏教徒である。僧侶に対する尊敬の念は厚く、ほとんどのビルマ人は一生のうち一度は僧侶になると言う。その僧侶の袈裟を創る為に蓮の布を織っている。しかし、日本とは比べ物にならないほど多くの僧侶がいるビルマではその蓮の袈裟を着られるのは極一部の高僧である。

 実はこの布、お釈迦様が悟りを開いた時天から賜った(入滅した時着せられたと言う説もある)布だと言う。又、奈良県の当麻寺に伝わる当麻曼荼羅は中将姫が一夜にして織り上げた蓮布だという伝説がある。他にも蓮布の軸物や袈裟など数点が全国の寺々に伝わっている。

 何とも不思議な織物だけれども次々と疑問が沸いてきた。
「蓮ならば、どんな蓮でもできるんですか。その辺のお寺の蓮の茎を採ってきて…。」
誰しも思う疑問である。

 実は昔日本でもこの蓮布が織られたらしい。蓮池から集めた蓮の茎から糸を作り、前述の仏具を作って神社仏閣に奉納していた。

 現在は東京都町田市で薬師池公園の大賀蓮を採取して織られているが、主に小物の材料として使われている。日本では人件費が高く手間が掛かりすぎてとても大量には作れない。

「これはビルマのインレー湖という湖に産する蓮で創ったもので他では良質の物はできません。」

  インレー湖というのは、ビルマの中央部のやや東にある湖。その海抜900メートルにある湖は水質が良く深さも6メートル程ある。そこに産する蓮は葉柄が長く、澄んだ水のせいで樹液も澄んでいる。

 日本の蓮はドロドロの池に生えているのが多く、その蓮の茎の繊維では良質の糸が採れず、また多量に手に入れるのが難しい。

 ビルマを代表する大河、エーヤワディ河(イラワジ河)の河口に蓮の大群生地があるので、そこで採った蓮を使ってみたけれども質の良い物はできなかったと言う。

 インレー湖は観光地となっているけれども、その東にはビルマからの独立を要求しているカレン族の居住地があり、またタイ、ラオスとの国境付近は黄金の三角地帯とと呼ばれる麻薬の産地でもある。
「そこから先へは外国人は入り込めないところなのですが、そこでしかできませんので。」
話は続いた。
「この蓮の布を着物にして日本人に着てもらいたいと思っているのですが、どうでしょう。
初めに広げた布はとても素朴だった。品布の様に厚く、生成りの麻のような色合いだった。 「う~ん、着物ですか、どうでしょう。着物にするにはちょっと厚くて素朴過ぎませんかね。」 
私がそう言うと、
「ええ、私もそう思ってこの布を創ったんです。」
次に広げて見せてくれたのは、ずっと地の薄い布だった。
「これは蓮の茎二本で糸を創らせたんですよ。」

  彼はビルマに織機を持ち、毎月の様に日本とビルマを往復している。自分の工場で職人に二本の茎で創った細い糸で織らせたのがその布だった。五本の茎で作った蓮布は既に日本に入って来ているけれども、二本の茎で織ったものはまだないという。

  ねばねばとした繊維を束ねて転がし糸を創るというのは考えただけでも大変そうだけれども、二本の太さというと現地の職人も嫌がり、できるのは数人だけだという。ようやく安定して糸ができるようになったので布として織らせたのがその布だった。

 生成りの色は変わらないけれども木目が細かく白山紬のようにも見える。しかし、手触りはやや硬い。始めて見る織物だけにきものとするには少々ためらいを感じる。
「帯ではどうでしょう。」

  生成りの色の縞が気色となり、おもしろい帯ができるような気がした。

 早速仕立ててみると縞柄が美しい。 蓮布で織った帯、素朴ではあるけれども何とも魅力的な帯である。

藕絲(ぐーし)織、蓮布のできるまで

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