全日本きもの研究会 続続きもの春秋
20.二つの大型呉服店の倒産について、 その2 消費者の責任
この度の倒産劇で多くの問屋が不良債権を被ったけれども、消費者もまた被害者であった。
大型倒産が起れば必ずと言ってよいほど政府を初めとして公的機関がその救済策に乗り出す。マイカルやダイエーなど倒産して消滅すべき企業が「地域への影響が甚大である」という理由で救済策が図られる。借金の帳消しや公的資金の導入などあらゆる策をもって連鎖倒産を防ぎ消費者への影響を少なくしようと務めている。
今回も京都市やその他金融機関が連鎖倒産回避のための施策を打ち出している。 しかし、今回の倒産で被害を受けたのは問屋やその他出入り業者ばかりではない。多くの消費者が被害を受けている。
もともと今回の二つの大型倒産の引き金になったのは過量販売と言われるもので、消費者の訴訟が始まりだった。消費者が、その収入に照らし合わせてもとても払いきれないような金額のきものを買わされていた。また、過量販売とまでは行かなくても、会社倒産後のローンの支払いや未納の商品など不安の声がネット上でも聞こえてくる。
ネット上で飛び交う意見の中に、わずかだけれども消費者の責任を問う声が見受けられる。一口で言えば、
「展示会に自らの意思で出向いて買うのを決断したのだから、責任は消費者にもある。」
というものだ。 しかし、思うに消費者に責任があろうはずはない。確かに展示会に出向いたのも本人で、ローンにハンコを捺したのも本人である。その事実だけをもって本人の責任と言えるのだろうか。
強盗に包丁を突きつけられて「金を出せ」と言われて金を出せば、それは本人の意思、本人の責任になるのだろうか。
かかる業者の招客術、消費者を展示会に誘う手法は実に巧妙である。法には触れずとも消費者の心理をよくわきまえている。冷静な知能犯は強盗よりも性質が悪い。
私は腹を立てている。彼らが倒産したことにではない。彼らが、呉服をカネヅルから金を引き出す為の単なる道具として利用したことに対してである。
価値が分り難く大金をふっかけ易い。それだけで呉服が売られ多くの消費者を苦しめたのである。
彼らのお陰で「呉服屋イコール、ペテン師」の文字が消費者の心に焼き付いてしまうかもしれない。呉服業界の信頼を失墜させ、日本の伝統文化を汚したことは否めないし、許せない。
加えて、その尻馬に乗った問屋も反省すべきである。
「七百億円の呉服市場が失われた。」
と言われているけれども、そもそもその七百億円なる呉服需要など存在しなかった。呉服需要の減少というババをまるで臭い物に蓋をする様に貯め込み、それが一気に噴出したのが今回の事態である。
呉服需要の減少をもっと冷静に受け止め、健全に対処しなければならなかった。しかし、ありもしない需要を創りだす業者をもてはやしていただけのように思える。有りもしない、過量販売という架空の需要に「イケイケドンドン」とばかりに追随していたのである。
全ての問屋がそうであった訳ではない。私の店に出入りする問屋の中には呉服需要の減少を冷静に受け止め、健全なリストラ、健全な呉服需要の確保に努めてきた問屋も多くあった。その問屋は、
「私の所は全く影響ありません。取引しませんでしたから。今時彼らと取引しない問屋は遅れている、なんて言われましたが、とても取引できるようなものではありませんでしたから。」
「直接取引はなくても間接的な影響はありませんか。他の取引先が連鎖倒産したとか?」
そう聞くと、
「いいえ、それもありません。販売のルートは吟味していましたから。」
この度の事態は、呉服需要の落ち込みに狼狽した問屋が引き起こした事態とも言えるかもしれない。
そう言う意味で消費者に直接的責任はないと言える。しかし、消費者が何故そのような展示会にのこのこと出向き、相場の数倍のきものを買ってしまうのか、私は常々疑問に思っている。何故、消費者は高額な商品を買うのにもっと知識を得ようとしないのか。何でもない商品を人間国宝の作品と簡単に納得して買ってしまうのか。
呉服に限らず、そもそも物を買うと言うことはどういうことなのか、もう一度考えてもらいたいと思う。
日本人の購買動機には特殊なものがある。
「昔からの付き合いだから。」
「わざわざ電話を貰ったから。」
「何度も案内にきてくれたから。」
「お土産を貰ったから。」
「自分の孫のような若者が一生懸命に誘ってくれたから」
「○○に招待してくれたから。」
等等。
それらが日本独特のものかどうか知らないが、実に日本的であり商売の気配りとも言える。しかし、それが業者に逆手を取られる場合があることも覚えておく必要がある。
私も商売の儀礼には気を使っているし大切なことだと思っているけれども、それらが買っていただく商品の価値を凌駕するものとは思えない。
商売の儀礼を超えた過度な接待。度重なる勧誘。長時間展示会場に留め置かれ強要される。消費者は、それらの意味をもっと良く考えるべきではなかったのか。
万が一消費者に落ち度があるとすれば、業者に付け入る隙を与えてしまったことではないだろうか。