明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 続続きもの春秋

24.呉服業界の危機

続続きもの春秋

 呉服の危機については何度か触れてきた。 呉服に限らず危機は訪れるものだが、何が危機をもたらすのか、その原因は様々である。
 
 人類滅亡の危機は度々話題になる。東西冷戦の時代には、核戦争による人類の滅亡が危惧されていた。核武装で角付き合わせる東西両陣営がお互い核兵器を使って人類が滅ぶと言う筋書きである。鉄のカーテン越しに大量の核兵器を対峙させていた当時は現実味のある話だった。
 
 他にも、人口が増えて食糧難による危機、彗星が地球に衝突して人類が滅亡すると言うSFじみた説もあった。また私が学生の時に習った、エントロピー(情報量)の増大が人類を滅ぼす、と言う説はとても新鮮?に思えた。熱力学者の唱えるその説は、人間が覚えるべきことが増大して人の頭がパンクしてしまうと言うものだった。人類の危機はどこに隠れているのか分からない。
 
 呉服業界も同じである。呉服業界の破綻は何から起こるのだろうか。 最近感じるのは、呉服業界に従事する人がいなくなってしまうのではないだろうかと言う危機感である。
 
 呉服業界は今未曾有の不況に直面している。売上が減少して業界が縮小している。それにつれて呉服に携わる人も順調に?減少しているようにも思える。しかし、この業界に携わっている人は結構しぶとい。問屋や織屋染屋が廃業倒産に追い込まれ、そこで働いていた人達は解雇、離職している。しかし、離職した人達の多くは、再びこの業界に就職している。

「うちの会社は廃業しますので来月からは来れません。お世話になりました。」
と挨拶にきた問屋の出張員が翌月には、
「今度、この問屋に入りました。また来月から来ますからよろしくお願いいたします。」
と言って再びやってくる人もいる。また、仕入れに行くと、問屋に織屋染屋の手伝いで来ている人に知った人がいる。
「あれっ、どうしたんですか。こんな処で。」
「ええ、今はここの染屋に世話になっているんです。」
という具合である。糸偏(呉服業界)に生息する人達は糸偏でしか生きられないのか、それともこの業界がよほど包容力があるのか分からないが、糸偏は人材に事欠かないように思える。
 
 しかし、問題は別のところにある。糸偏は人材に困らない、人集めには苦労しないように思えるが実はそうではない。
 
 問屋の出張員(問屋の担当者)は月に一度、あるいは二月に一度店にやってくる。昔は毎日のように各社の出張員が入れ替わり立ち替わりやって着ていたが、最近は取引している問屋も十社程度に減ってしまい頻度は少なくなった。その出張員の歳はほとんどが50以上である。中には70歳を越えた出張員もいる。彼らに、
「会社で自分より年下の人間は何人いますか?」
と尋ねると、
「私が一番下です。」
「下に一人いますが、入ったばかりで私が一番下のようなものですよ。若い人はいつ辞めるか分かりませんしね。」
という答えが返ってくる。
 
 高度経済成長期には50代と言えば管理職。出張は若い者に任せてという時代だった。次々と新しい管理職ポストが創られ、年功序列のピラミッドはものの見事に形成されていた。しかし、現在の呉服業界を見る限り、人口ピラミッドは逆型の人工減少型ピラミッドを形成している。
 
 業界に若い人もいるにはいるが皆大手の問屋の社員である。社員十人程度の中堅問屋には若い人は皆無と言ってよい。
 
 私の店にやってくる出張員に20代の若手がいる。大変まじめで勉強もしている。業界にとっては貴重な存在である。昔は彼のような若者が出張員のほとんどだった。
 
 さて、十年後はどうなっているのだろう。定年が60歳とすれば現在の中堅出張員は全て退職している。嘱託で残っていても全員ではないだろうし、65も過ぎると腰が重くなっているだろう。その頃は東京の日本橋、京都の室町(いずれも呉服問屋街)から人影が消えてしまっているのではないだろうか。そしてそれは徐々にではなく、ある日突然やってくる。
 
 先日、西陣の織屋さんと話す機会があった。
「西陣はいかがですか。」
私は儀礼的に何となく言ったつもりだった。最近は良い話を聞かないので、
「西陣も大変ですよ。商品が売れなくって。」
とでも答えが返ってきそうなものだったが、返ってきた答えは思いもよらないものだった。
「西陣は織手がいなくて困っていますよ。」
 
 西陣では生産が受注に追いつかない程人出が足りないのだろうか。そう思わせるような返事だった。しかし、彼の口から次に出た言葉には滅入ってしまった。
「西陣の織手の平均年齢は68歳です。若い人がいなくてね。」
その織屋さんは本当に心配そうな表情で言った。
 
 織手の賃金は、ひと月働いて12~15万円。不況でコストダウンを迫られ人件費も落ちていると言う。
「ほとんどが60以上ですから年金をもらっているので何とか織っていますが、こんな安い賃金で若い人が希望を持って西陣にやってはきませんよ。しかも今織っている人たちは、年寄りなので、細かい仕事はさせられないんです。目が見えなくて難が出てしまいますから。昔は技術の革新で次々と新しい製品を創っていたのですが、最近はさっぱりです。帯の価格が下がっているのもそのせいです。」
織手の老齢化は技術の進歩にとって足枷になっていると言う。
 
 平均年齢が68歳ということは、60歳もいれば80歳もいることになる。
 
 さて、これから十年経てばどうなるのだろう。平均年齢は78歳。現在80歳の人は90歳。その人達のほとんどはもう機を降りているだろう。後に続く人はいないし、技術の伝承もなくなるだろう。一度失った技術は簡単に習得するのは難しい。西陣から織物が消えてしまうのではないだろうか。そう心配になってしまうのである。
 
 さて私の店では、きものを仕立てる針子を抱えている。全て個人との契約で、針子を多く抱える所謂仕立屋とは契約していない。
 
 きものの仕立は微妙である。上手下手ももちろんあるが、縫い方も人それぞれに異なると言ってもよい。同じ師匠に習った人でなければ同じ縫い方にはならない。地方によって仕立て方の違いもある。

 もしも、まかり間違って仕立てのミスがあった場合、それが誰の手になるものかが分からなければ対応できなくなる。大勢の針子を抱える仕立屋では、いったい誰が縫ったのかが分からずに対応できない。まして、最近大手で使っている中国仕立などはとてもでないが頼めない。針子の仕立て方、得意不得意など、分かった上でなければ仕立は頼めない。

 従って、縫った人の顔が見えなければ安心して仕立てをお願いできないのである。
 
 それほどデリケートな和服の仕立をする針子も問屋の出張員や西陣の織手と同じような境遇にある。
 
 私の店の針子は50代が中心である。以前30代の針子がいたので期待していたが、他県にお嫁に行ってしまった。
 
 今の50代の針子さんは中学を出るとすぐにお針の師匠の下に弟子入りしコツコツと修行をしてきた年代である。中には、腕を磨くために東京へ修行に出た人もいた。いずれもプロの仕立職人である。しかし、最近あまり数をこなさなくなってしまった。以前、彼女らが40代の時には一週間に一度は店に出入りしていたが、最近は二週間、あるいは一月に一度しか来なくなった人もいる。
 
 50代になれば子供から手が離れる。ご主人が定年を迎える針子もいて、あくせく働かなくてもよくなってしまったのだろう。
 
 針子の数は変わらなくても、絶対的に仕立てる枚数が減ってくる。きものの販売量も減っているがそれ以上に針子の手が減っている。しかたなく針子を募集すると、案外簡単にやってくる。業界全体では仕事が減り店を閉める小売屋もあるので仕事を失った針子もいるのである。しかし、新規でお願いする針子も皆50代である。若い針子はいない。いない訳ではないのだろうけれども、私のような個人の店にはやってこない。サラリーマンの様に仕立屋に努め、針仕事をした方が若い針子にとっては居心地が良いのかもしれない。50代の針子は即戦力としてはありがたいが、将来が不安である。
 
 十年経てばどうなるのだろう。今50代の針子さん達は60代である。60を過ぎるといかに手の良い針子さんでも視力の低下は避けられない。老眼の針子さんは特に黒物を嫌う。喪服の仕立は若い針子さんでなければならない。十年後、二十年後には針子さんはいなくなるのではないだろうかと言う心配にかられる。
 
 ひょっとして二十年後は全て中国仕立?とも思ってしまうが、果たして二十年後中国仕立は続いているだろうか。
 
 かつて韓国で織られた「韓国大島」が出回ったことがある。人件費の安い韓国で生産した安価な大島紬である。結構長い間出回っていたけれども、今は影もない。
 
 また、韓国綴というのもあった。二十年位前に出回っていたが、これも韓国の経済成長とともに姿を消した。そして、安い人件費というメリットを求めて、織物の生産や仕立は中国に移って行った。
 
 現在の中国のゴタゴタ(食品の毒物混入の問題や、貧富の差、全国で年間8万件起きている暴動など)を見る限り、経済的に日本の後を追っているとは言え、日本や韓国と同じトラックを走っているとは思えないので「経済成長とともに」ということになるのか分からないが、中国が経済の糧に日本の伝統産業にいつまでも固執するとは思えない。
 
 はたしてきものの仕立はどうなるのだろう。
 
 問屋の出張員、西陣の織手、仕立ての針子さん、いずれも高齢化している。今のところは手が足りているけれども、十年後に突然姿を消しはしまいか。考えれば考えるほど呉服を生業としている者としては眠れなくなるのである。
 
 しかし、危機というものは存外肩透かしを食わすものである。ノストラダムスの大予言というフィクションじみた危機もあったが何も起こらなかった。まあこれは戯言としても、コンピューターの2000年問題は記憶に新しい。西暦2000年になるとコンピューターが年代を識別できなくなり、支障をきたし大混乱に陥ると言う筋書きだった。しかし、この時もほとんど何も起こらなかった。余りにもあっけなく西暦2000年を迎え、2000年問題は、あるいはコンピューター業界が需要を喚起するために流したデマだったのではないかと思ってしまった。
 
 石油の枯渇が以前から心配されているが、
「石油はあと30年で枯渇する。」
と初めて聞かされたのは私が小学校の時、約40年前だった。それ以来、 「石油は30年」説がずっと唱え続けられてきた。40年前よりもはるかに消費量が多い今日、いまだに「石油は30年」と言われている。危機は人類を避けて通る様に神様が仕掛けているのかもしれない。

しかし、石油枯渇の危機が何時まで経っても逃げ水のように30年後に遠のいているのは、石油探査技術の向上と採掘技術の向上、それにオイルサンドやオイルシェール、超重質油の利用技術の向上など、人類が危機感をもって対処した結果であることは言うまでもない。

 現在直面する呉服の危機に業界がどのように臨むのか、それによって危機は急速に接近もし、遠ざかりもするのだろう。

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