明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅶ-67 和の終焉(3)

ゆうきくんの言いたい放題

 さて、そのように定義すれば、先に揚げた「和菓子」「和服」「和室」「和柄」など「和の物」が見えて来る。そして同時に「和」は次第に確実に縮小しているのが感じられる。

「和室」は少なくなっている。昔の家には洋室がないのが普通だった。以前(30年以上前)に元地主のお客様の家を訪ねると、大きな木造の家屋。全て和室だったが、一部屋だけ出っ張った小さな洋間があった。アンティークな机と椅子が並べてあり三面の窓は洋風の跳ね上げだった。洋間と言うよりも西洋式洋室など庶民には縁のない時代の地主ならではの贅沢を感じた。当時その部屋に招かれた人は驚いただろう。当時は、和室が当たり前。「洋間」と言う言葉さえなかっただろう。

 しかし、今日の住宅は、洋間の無い家はない、とも言える。和室だけの住宅はめずらしい。私の友人の畳屋さんは、日本間の減少を嘆いている。日本間の減少は、即畳の減少に直結している。

 和傘も少なくなっている。

 私は着物を着た時には番傘を持って行く。着物で番傘をさして行くと、
「結城さん、かっこいいね~。」
と言われるのだが、その「かっこいい姿」を真似る人はいない。日本人には「和が、かっこいい」と言うDNAは残っているらしいが、それを実践する人はいない。

 私の店でも和傘を扱っている。いや、扱っていた。「扱うならば本物を」と京都の老舗和傘メーカーと取引していた。そうは言っても、私の店で和傘は、そう売れるものではない。売れてなくなれば仕入れていたが、数はほんの少しである。しばらく間が空いて、注文した所、もう卸はしないと言う。つまり卸価格では送れないと言う事だった。

 よくよく調べて見ると、そのメーカーは時代の寵児だった。HPで検索すると、そのメーカーは和傘の竹組の技術を利用してランプシェードを創り、海外でも評判になっていた。和傘を作る繊細な和の技術が世界に認められていた。

 自社の持てる技術を次の時代に利用する。企業として正しい在り方であり、その努力も立派なものである。ただ呉服屋としては、私の店でそのメーカーの和傘を仕入れられなくなったこともあり、和傘(和)が縮小するようで寂しい気もする。

 和の縮小は、必ずしも和の文化の衰退とは言えない。明治維新以後、産業革命以後の言わば無国籍文化の広がりが和の文化を隅に追いやっている。

 日本の洋間は「洋間」と言うけれども、世界中で日本の洋間の様な設えはお目に掛からない。先に揚げた地主邸宅の洋室は本当の西洋文化の影響を受けて創った物と言える。しかし、現代の洋間は無国籍文化の影響が大きい。

 外国でホテルに泊まってもレストランに入っても日本の洋間とは程遠い。強いて言えばアメリカの新しいホテルはその類かもしれない。アメリカの隆盛は、既に無国籍文化が広がった後の事だと思えば、それもうなづける。

 日本における「洋」の意味するところは、無国籍文化の影響によるものである。

                                            つづく

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