明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅶ-67 和の終焉(2)

ゆうきくんの言いたい放題

  私は小学生の頃右翼少年だった。右翼といっても街宣車に乗る訳ではない。日本の事、外国の事を考えていた。
「どうして外来語など使うのだろう。その内に日本語はなくなってしまうのではないか。」
「外国の製品など使わずに日本の物を使えばよいのに。」
そう思っていたが、そんな少年の私が考えさせられる出来事があった。

 私の右翼発言に業を煮やした従弟が私に行った。
「だったら、やっちゃん(私の事)テレビ見なければいいじゃない。テレビは外国のものだよ。」
その発言に私は考えさせられた。
「テレビは外国の物なのか。日本の物ではないのか。」
その時私の家に有ったテレビは、サンヨー電気製だった。
「このテレビは日本のサンヨー電気で生産したものだ。」
さらに、
「テレビは確か日本人の高柳健次郎氏が発明したものだ。そのテレビは日本のものではないのか。」
そう疑問に思ったが、それ以上従弟との論争は続かなかった。論争が続かなかったのは、「日本の物とは何を指すのか」の定義が曖昧だったからだった。

 確かに「テレビ」と聞けば、「日本の物」「和の物」と言う感じはしない。トヨタ自動車の世界に冠たる自動車も、マツダの独自技術で造られたロータリーエンジン車も「和の物」とは言えない。「和」の意味するところはもっと矮小である。

 現代「和」と呼ばれるものは何か。それは、明治維新以降西洋文化が入って来る以前の物を指すのだろう。何処に線を引くのかは諸説があるだろうけれども、そう定義してもおかしくはないと思う。

 西洋文化に影響されずに続いているのが「和」と言えるかもしれない。同じことを諸外国に当てはめても同じことが言える。「英国の文化」「英国の物」と言えば何を指すだろう。英国の産業革命以後に創られたものは、英国が率先して創った物でも「英国の物」と言う感じはしない。

 産業革命の一大産物である蒸気機関車は「英国の物」だろうか。確かに蒸気機関車は英国で発明されたが、「英国の物」と言うには違和感がある。蒸気機関車が「英国の物」とすると、それに続くあらゆる機関車は「英国の物」だろうか。ディーゼル機関車から電気機動機関車、新幹線に至るまで「英国の物」と言うには当たらない。

「発明した国の物」と定義する事はできるが、そうすると「蒸気機関車は英国の物」と言えたにしても、さて新幹線は何処の国の物だろう。日本が率先して創ったとも言えるが、現在新幹線最長の国である中国が新幹線の国際特許を取ろうとしたことがある。その是非は別として、新幹線の着想、設計、材料、部品、工作など製造にかかわるあらゆるハード、ソフトは国を跨いでいる。産業革命以後、世界は大きなミキサーで全てを掻きまわされ、生産物は「〇〇の国の物」と定義しがたくなっている。

 そんな訳で、ここでは「和の物」の定義は、「明治以前の日本の文化、またにそれが西洋はじめ諸外国の文化に乱される(影響されるではない)ことなく今日まで続いている物」と言う事にしよう。

                                             つづく

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