明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 ゆうきくんの言いたい放題

Ⅶ-70 下駄、草履の終焉(その2)

ゆうきくんの言いたい放題

 山形でも下駄草履屋は現在2~3軒程度になってしまった。私が山形に戻って来た40年前にはまだあったのだが次々店を閉じ、お客様も困るだろうと私の店でも下駄草履を充実させている。以前は呉服小物の問屋から仕入れていたが、今は下駄草履の卸屋から仕入れている。

 仕入れは既製品ではなく、私が鼻緒を選んでいるのでほぼ全てオリジナルである。お陰でお客様にはとても評判が良い。下駄の世界も踏み込めば中々奥が深い。

 きものを着る人はもちろん草履が必要で履いていただいている。まだまだ下駄、草履は呉服屋にとって必需品なのだと思わせてくれる。

「下駄の終焉」を感じるのは、夏場ゆかたの季節である。ゆかたに下駄はつきものである。涼しげにカランコロンと下駄の音が響けば、それだけで夏の風情を感じる。しかし、何時ごろからだろうか、「カランコロン」の音が聞こえなくなってしまった。浴衣姿の若い女性の足元は、下駄に取って代わりサンダルや靴が目立ってきた。

 最初に見たのは10年以上前だっただろうか。浴衣姿の若い女性の足元が何かおかしい。ゆかたにサンダル姿は始めて見た時にはとても異常だった。
「何故、ゆかたにサンダルを・・・。」
といぶかしく思った。

 しかし、最近は浴衣にサンダル、ゆかたに靴は珍しくなくなってしまった。むしろきちんと下駄を履いた姿の方が珍しくなった。何故こんなになってしまったのだろうか。

 私の孫が三歳の時、七五三で草履を履いて喜んでいた話を以前書いた。初めは草履を履くのをためらっていたが、「御姫様になるんだよ。」と煽てたら途端に草履の鼻緒に指を入れて神社に参拝した。

 その後、ゆかたを着せた時に下駄を履かせたが、嫌がらずに履いた。今はその下駄を普段に履いている。

 そう言えば、私も子供自体には下駄を履いていた。靴を履かなかったわけではないが、下駄がある時には下駄を。下駄がすり減って靴があれば靴を履いていた。下駄も靴もどちらも違和感なく履いていた。

 さて、今年は下の孫(二歳)にも浴衣を作り下駄を履かせた。お姉ちゃんが履いている事もあるのだろう。それほど嫌がらずに下駄を履いていた。

 幼稚園の友だちと集まる機会があり、数家族が集まった時、私の孫以外に下駄を履いている人はいなかったと言う。全員がサンダルや靴を履いている。他の父兄は、私の孫が下駄を履いているのを見て、
「〇〇ちゃん偉いわね。ちゃんと下駄を履いて」
と褒められたと言う。

 その場の子供達は10人位だっただろうか。そのうち8人はゆかたに下駄を履かずにサンダルや下駄だった。

                                                  つづく

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