全日本きもの研究会 きもの博物館
3. 博多帯
博多は帯の産地である。帯の産地と言えば西陣が有名である。昔ほどの活気がなくなったとはいえ帯の九割り以上は西陣で生産されている。『西陣の帯』で触れたように「西陣」というレッテルは必ずしも高級品を意味しない。圧倒的なシェアを誇る西陣の帯には高級品から普及品まである。
さて、西陣以外の帯の産地と言えば、博多と桐生でわずかに生産されている。しかし、「博多帯」というのは「西陣」を向こうに張り、確固たる地位を守り続けている。
博多の帯で代表的なのは「博多献上」と呼ばれる縞柄の帯である。きものに興味のない人であっても、「これが博多献上」と言われれば、「ああ、それのことか」と分かるぐらいポピュラーである。テレビや映画で誰しもお目にかかって、心の片隅に日本の情景として残っているのではないだろうか。
献上と呼ばれる縞柄は、その縞数によって「鬼献」「三献」「五献」などと呼ばれている。言うまでもなく縞の数が多いほど地味ものである。
献上という名は、江戸時代に福岡藩主黒田家から毎年将軍家に献上された事に由来している。
縦糸組織の博多献上は単純にして精緻である。単純であるがゆえに、綴れの帯のように珍重されることはないけれども、手織りにはやっかいな帯である。博多の機屋さんの数も年々少なくなっている。その中で、手織りの機屋さんはあるのかと聞いてみた。あるにはあるけれども、数が少なく、中でも献上を織る手機は少ないと言う。
単純で精緻な織りが要求される献上は、正確に織られる織機の方がきれいに織ることができる。手織りの場合はコストがかかる上に、手織りの良さを評価してくれる人が少ないのだと言う。手作りの良さはその極わずかな誤差にあるのだと思うのだけれども、ともすれば手織りの味ともいえるそのわずかな誤差を難ものと見る向きもあり、商売にならないというのが本音らしい。
博多献上帯は縦糸が横糸を包む、経畝織りと呼ばれ、30~60本分の縦糸を織機に掛けるために、同色同柄を30~60本作らなくてはならない。需要の多かった時には、どんな色でも織れば売れたのだろうけれども、最近はそうはいかない。
数年前、お客様に黒地の献上を頼まれたことがあった。数件の取引先に問い合わせたけれども黒地の献上はどこにもない。京都に行った時に展示会場に博多の機屋さんがいたので、どうせないだろうとは思ったが聞いてみた。
「黒地の三献の八寸はありませんかね。」
博多の機屋の若い人が「待ってました」と言うように応えた。
「はい、昨年四年ぶりに作りました。まだ在庫はあるはずです。」
仕入れをしていて、探していた商品がずばり見つかるというのは希で、商売をしている者にとってはうれしいものである。四年ぶりに作った博多帯に出会うのは偶然と言えるかもしれない。
献上の柄は単純だけれども色の組み合わせは多彩である。需要が少なくなり、注文したものを機屋さんがすぐに織ってくれると言うわけにはいかなくなった。一回に織った帯を数年かかって売り切らなければならないのは商売としては大変なことである。それでも博多の機屋さんが伝統を護って博多帯を織っていることに呉服を商う者としては敬意を表したいと思う。
博多の帯は献上ばかりではない。献上以外に博多では袋帯や柄ものの八寸帯が作られている。博多献上があまりにも有名なので、柄物の博多帯を見せ、「これは博多帯です」と言うと、驚く人もいる。
それでも博多の帯はしゃれ帯が主流である。紬や小紋にさりげなく博多の帯をするのは、よほどきものを着こなした人かもしれない。
きものを知る者にとって「ハカタ」という言葉は特別な響きを持っている。博多帯を知れば知るほど、 「すてきな博多ですね。」 という言葉の味わいが増すのである。