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全日本きもの研究会 きもの博物館

32. 『すくい』の帯

きもの博物館
 私が京都の問屋にいた時の話である。重ねられた袋帯を整理していると、先輩社員が私に言った。
「これはしゃれ帯の王様と言われているんだ。」
 そう言って一本の帯を出して見せてくれた。
「何と言う帯ですか。」
「これは『すくい』言うてな・・・。」
 そして袋帯をひっくり返して柄の裏を見せて、
「すくい織は裏も表も柄が同じになるんだ。裏には糸が出ているけれども整理すればどちらも表になるんだよ。」
「すくい」の表柄
「すくい」の裏柄

 それ以来、私は『すくいの帯』が好きになった。私の感性が幼かったのかも知れないが、帯の王様と聞かされ、それを鵜のみにしたのだと思う。ちょうど幼い子供が「ライオンは百獣の王」と聞かされてライオンが動物園の人気者になったようなものかも知れない。

 さて、『すくい』とはどんな帯なのだろう。


 帯の名称は「産地」「形状」「織方(組織)」などの呼称で呼ばれるので、同じ帯でも幾つもの名称が有る。

『すくい』と言うのは織の組織の名称であるのは間違いない。従って、「すくいの袋帯」もあれば「すくいの名古屋帯」もある。また西陣では「すくいの訪問着」も創られている。

 それでは『すくい』とは、どんな「織」を言うのだろうか。

 きものの曖昧さは既に何度も指摘しているが、『すくい』もその例に違わない。西陣の機屋や業界の人は誰でも『すくい』という名称を知っているし、何不自由なく使っている。帯の問屋に「すくいの帯を送ってくれ」と言えば、間違いなく「すくいの帯」を送ってきてくれる。しかし、暗黙の了解とでも言うのか、誰も「すくいとはどんな織物ですか」という質問をしない。業界に入れば、「すくいとはどんな織物か」を肌で覚え、理屈抜きなのである。

 私は京都にいる時に何度か「すくいとはどんな織物か」と議論を持ちかけたことがあったけれども、結論はそのたびにあやふやに終わっていた。私も「すくいはどんな織物か」は肌で覚え、100%特定できる。しかし、自分で『すくい』を定義しようとすると最後はあやふやになってしまう。

 それでは、と図書館にこもって、あらゆる書物を紐解いて調べてみた。染織に関する書物、辞典、はては百科事典、漢和辞典にいたるまで調べてみたが『すくい』の言葉はとうとう見つけることはできなかった。業界で使われる特殊な用語が一般的な百科事典に載っていないのはうなずけるけれども、染や織に関する書物にも一言も出ていないのは不可解である。業界では誰もが知っている用語が学術的に全く記載されない。染織の世界、そして呉服業界がいかに経験的な世界であるかを象徴しているように思える。

 書物で調べて分からなければ、やはり聞くが早かろうと知人に電話をして聞いてみた。京都にいた時分に帯の仕入れをしていた上司と、帯屋に努めていた友人である。
「すくいと言うのはいったい・・・・。」
 私が質問すると、待ってましたとばかり電話の向こうから声が返ってくる。
「すくいは綴織と似たもので、主に紬糸を使って・・・。」
 返ってきた答えは京都にいた時に聞いたものとそう違わない。
  「それでは『すくい』と『綴織』は同じですか、それとも何か違いはあるのですか。」
 私がさらに質問すると次第にしどろもどろになって、
「う~ん、まあ『すくい』と言うのは通称やろね~。」

  やはり『すくい』にはっきりとした定義はないらしい。それでも私が思っている『すくい』と業界の人が思っている『すくい』に違いはない。私の考えが間違っていないとすれば、ここではっきりと「すくいとは何か」を述べようと思う。もしも異論が有れば幸いである。『すくいの定義』に一歩近づくのだから。

 まず『すくい』という名はどこから来たのだろうか。誰しも『すくい』と言う名を聞けば「掬う」という言葉を連想するのではないだろうか。私も『すくい』は「掬い」と思っていたけれども、漢字で「掬い」と記されたのを見たことが無い。 『すくい』を辞典で調べるうちに次のような記述に出会った。

『掬い撥   三味線および筑前琵琶の弾き方で撥先で弦を下から掬い上げるようにして弾き鳴らすもの』

 三味線の撥先で弦を掬う様は、経糸を杼で掬う様に良く似ている。職工が織り出そうとする柄に合わせて選んだ色糸の杼で経糸を一本一本掬い上げて織るのが『すくい』である。

『すくい』には紋紙はなく、下絵があるだけである。経糸の下に下絵をあてて柄と色を確認しながら織手が糸を選び、経糸を掬って色糸を通す。織機のように何番目から何番目までの経糸の間を何色の糸を通すというように決まってはいないので織手の主観が入る。いわば、全く同じ帯は二本とできない。

 一本の色糸は柄に沿って右へ左へと移動するので、裏も表もない織物ができる。通常、織糸の端は表に響かないように裏面に出されるので、裏はボサボサと糸が出ている。けれども整理すればどちらも表になる。使い古した『すくいの帯』を裏返して使ったと言う話も聞いた。もっとも、その場合柄は鏡に写したように左右逆の柄になるけれども、それもおもしろいかも知れない。

 綴とすくいは良く似ている。手織りの綴は、すくいの技法で織られるので、すくいと同じように色糸が柄に沿って左右に動くので裏表同じになる。しかし、綴織は経糸を隠すように織っていくのが特徴で織機で織る場合、色糸が同じ方向から織り込まれるので裏は唐織のように緯糸が通ってしまう。

 織の組織に付いて説明しても紙面では良く分からないかも知れない。前述したように業界では『すくい』とは何かを詳細に定義してはいない。業界で用いられる『すくい』の帯とは、 『綴織に似た織方をする帯で、金糸銀糸を用いた礼装用の綴織に対して、紬糸などを用いたおしゃれ帯。』 というのが一般的のように思える。詳細に踏み込めば言葉が足らず反論も覚悟せねばならないが、業界で用いられる『すくいの帯』とは、そのような説明で必要にして十分のように思える。

 とりあえず、『すくいの帯』は必見である。見ていただければ、すくいの帯を肌で感じ、肌で覚えていただけるだろうから。

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