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全日本きもの研究会 きもの博物館

52. 老舗の帯「服部織物」

きもの博物館

 西陣は日本の織物の中心地。その西陣には老舗の帯屋が多いと言う。
「この機屋は老舗で良い帯を織りまっせ。」
というような売り口上も問屋の間ではよく聞かれる。では老舗の帯屋とはどんな帯屋なのだろうか。

 西陣は応仁の乱で山名宗全率いる西軍の陣が置かれたことからその名が起こり、乱後もともとあった織物業が再開され、その中心地として今日に至っている事は良く知られている。

 応仁の乱が始まったのは1467年、今から500年以上前である。どんな商売であれ500年続いた店は間違いなく老舗の名に値するだろう。

 老舗の定義はないらしいが、概ね100年以上続いた店は老舗と言えるらしい。私の店も100年以上続いているので老舗と言えるのかもしれないが、山形では上を見れば200年、300年と続いた店も少なくない。いずれも紅花商人の流れを汲む大店である。

 京都府は昭和44年に京都府開庁100年にあたって府内の老舗企業を表彰した。府内には100年以上の企業は500軒。200年以上の企業はわずか9件。そのうち織物業者は4件だった。

 500年すなわち応仁の乱後から続いている織屋と言うのは、さも有りそうに思えるけれども、500年以上続いている織屋はないようである。伝統ある西陣で、何代にも亘って暖簾を守り続けるのは余程難しいらしい。

 その西陣で最も古い織屋の一つに服部織物がある。創業は天明8年(1788年)。200年以上続いている老舗である。天明8年と言えば、翌年は寛政元年。江戸時代、寛政の改革前夜である。

 服部織物の初代服部勘兵衛は、滋賀県塩野村の出身で、はじめは塩野屋を名乗っていた。屋号は「山塩」。今でも本店には「山塩」の暖簾が掛けてある。

こはく帯

塩野村は、今は滋賀県甲賀郡甲南町塩野である。隣町は甲賀町、県境を越えれば三重県伊賀町である。このあたりは忍者の故郷として知られ、伊賀忍者、甲賀忍者の活躍した地でもある。服部勘兵衛と聞けば、徳川家康に仕えた伊賀忍者の頭領、服部半蔵を連想するけれども、勘兵衛は甲賀の出身、関係はないらしい。

 実は西陣にもう一軒、「塩野屋」という御召を織る織屋がある。こちらもやはり300年前に塩野村の漢方医、服部喜右衛門が西陣に絹織物の織屋を開いたという。この地は服部姓が多いのだろう。

  服部織物と言えば『こはく錦帯』の名を思い出すのではないだろうか。否、きもの通であれば、服部織物の名を知らずとも『こはく錦帯』の名を知らない人はいないだろう。通称『こはく錦』と呼ばれる帯はどのような帯なのだろうか。

「こはく織」と事典で引けば、「諸撚りの練糸を使った練絹織物」である。しかし、こはく錦はその意味の限りではない。

 こはくと言えば「琥珀」をまず連想する。しかし、こはく錦は後述するように箔をたくみに織り込む技法(引き箔)を用いたもので、「箔」を捩って「こはく」と名づけられたものらしい。とは言え「こはく」は「琥珀」の印象も巧に併せ持つようで日本語の面白さでもある。

 さて、こはく錦に用いれる引箔の技法とはどんな技法だろう。

 引箔は緯糸と共に箔を織り込む技法である。箔には金箔、銀箔、柄箔がある。それらを1寸巾(約3センチ)を90~100本に裁断し、それを織り込んでゆくのである。1寸巾を90本に、と言えば巾約0,3ミリ。現在は機械で裁断すればわけないけれども、昔からそれだけでも熟練職人の技が必要だった。そして、裁断された箔を順序どおりに織り込んで行くのである。

  柄箔の場合、1本でも順序を間違えたり欠落したら柄は崩れてしまう。緯糸1本1本に神経を集中させなければならない。

 

 こはく錦では、さらに二重箔(にちょうばく)、三重箔(さんちょうばく)と呼ばれる技法を用いている。1本の横糸に2枚、3枚の箔を引くのである。それによって立体感があり、重みのあるこはく錦ができる。

 金箔や銀箔は比重が重く多用するといきおい重い帯になってしまう。しかし、こはく錦帯は見た目の重さとは異なり軽く締め易い。その秘密は次のようである。

 袋帯に用いる経糸は通常5,000本。しかし、こはく錦は6,000本以上、通常よりも1,000本以上多い。帯の巾は決っているので、細い糸を使わなくてはならない。経糸を細くすることで軽量化を図ると共に、より緻密な柄を織り出している。一見簡単なようだけれども、細くても切れない上質な糸を使わなくてはならない。

 さらに箔にも工夫がある。引箔に用いられる箔は片面箔と呼ばれるものを使っている。引箔は和紙に漆で箔を貼ったもので、漆の厚さ、箔の厚さで箔の色が変ってくる。より薄い箔を用いれば軽くなる。箔の巾はわずか0,3ミリ。その薄くて巾の狭い箔を折り込む時に箔が捩れないとも限らない。捩れたまま織り続ければ箔の裏が表になってしまう。無地の箔の場合、両面に箔が貼ってあれば、捩れても見た目は変らない。しかし、片面箔の場合は捩れてしまえば白い和紙が表に出てしまう。

 織手にしてみれば、両面箔(駒箔という)の場合はごまかしが効くけれども、片面箔の場合はごまかしが効かず、箔が捩れないように神経を使わなくてはならない。両面箔は片面箔の二倍の箔を使っているので約2倍の重さになる。軽い片面箔を職人の技で織り込んでいるのがこはく錦の軽さの秘密である。

 こはく錦は軽さだけではなく締め易い帯にするための工夫もされている。

 袋帯はその名の通り袋状の帯で、本袋帯と呼ばれる両耳に縫い目のないものもあるけれども、現在織られている袋帯の主流は縫袋帯である。縫袋帯は表地と裏地を別々に織って両耳を縫い合わせて袋帯にしたものである。通常、表地と裏地は別々に織られる。裏地を専門の織屋に外注する場合もある。

  しかし、こはく錦は同じ機で表裏ともに織られる。同じ経糸緯糸で織るので風合いが同じになり、裏表の違和感がない。6,000本もの経糸を張った機で裏地も織るのは採算面から見れば効率が良くない。しかし、帯の締め易さを考えれば老舗らしい手の加えようである。

 仕立にも工夫が凝らされている。仕立て上がりの帯巾は名古屋帯であろうとも袋帯であろうとも8寸である。前述のように縫袋帯の場合、縫い代が必要なので、通常8寸5分~8分で織られる。縫い代の部分、帯の両端は両耳を折り返して仕立てるので4枚重ねになってしまう。しかし、こはく錦の場合、織巾は8寸2分、縫い代はほとんど折り返さないので本袋帯と同じように占めることができる。

 こはく錦に限らず、西陣の帯が出来るまでには多くの工程がある。

 まず柄の図案を起す。もちろん専門職でなければできない仕事である。図案が悪ければどんなに仕上がりが良かろうと消費者の目には止まらない。

 次に帯の設計図にあたる紋意匠図の製作である。できた図案を方眼紙に拡大して写しとってゆく。織物は色糸の数が限られるので、使う色を整理して色数や織の組織を決定する。

 紋意匠図ができたら、それを元に機を動かす為の紋紙を造る。紋紙は横糸1本につき1枚必要なので、1本の帯に7,000枚から10,000枚の紋紙が必要である。この紋紙の製作は紋彫と呼ばれ、一枚一枚手作業で彫られていたが、最近はコンピューターが導入され手彫りの紋紙は姿を消しつつある。

 これとは並行して、糸染が行われる。帯に使う糸は紋意匠図で指定された色糸を染めなければならない。微妙な色を出さなくてはならないので、これも高度な職人技を必要とする。染められた経糸は機に掛ける為に必要な長さと本数を揃える整経という工程にまわされる。5,000本以上ある経糸を引き揃える困難な仕事である。

 織機を操り帯を織り上げるのは熟練の機織職人である。良質の帯の風合いは手織りでなければ出せない。箔を織り込みながら、最高の風合いを出すためには長年の経験と勘が必要である。

 このように西陣の帯は多くの工程と専門職人の手を経て織り上げられる。

 以前、お客様に作家物の帯が欲しいと言われたことがある。作家物のきものを集めているので、帯も作家物が欲しいと言う訳である。

 しかし、西陣の帯で作家物と称する物は少ない。私の店には作家物の西陣帯は置いていない。お客様には、 「これは○○織物の手織りの帯です。これは××機業の帯です。」 としか説明のしようがない。

 友禅の場合は、図案を起す事から下絵を描き、糸目を引いて色を指す、と言った工程を1人の作家でこなすことは可能である。しかし、帯の制作工程を見れば分かるように、それぞれの工程が専門的で且つ創造的な技術を要する仕事が多いので、全て1人で製作する「作家物」にはなじまない。

 素朴な織物の場合は自分で山で木を切り、あるいは育てて素材を集めて織るということはできるが、西陣の場合はそうは行かない。手織りの帯の場合は織手の名前を貼付してある物もあるが、作家という肩書きはない。その帯を製作するのに携わった他の多くの職人にはばかってだろうか。もっとも、どの職人も作家の名に値する職人ばかりなのだけれども。

 先に、西陣には100年以上続く織屋は数件しかないと書いたけれども、原因はその辺りにあるのかもしれない。

 一人の作家が父子相伝で後継ぎに伝えることは難しい事ではあるけれども、できないことではない。しかし、織屋が様々な工程を受け持つ職人集団を維持する事は大変難しい。老舗であればある程それまでに積み重ねられた技術と品質を保持する職人集団、それは一人欠けても老舗の暖簾を守れないのである。

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