明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅳ きものを取り巻く問題 ⅴ日本の染織の将来

きもの春秋終論

 私は呉服屋である。呉服を商うのを生業としている。呉服とは着物、帯、その他着物に必要な小物などである。それらが売れなければ商売は成り立たない。飯の食い上げである。何とかそれらの商品を売ろうと毎日仕事をしている。

 お客様に商品を買っていただく以上、お客様に満足いただくのが商売冥利である。

「この前作った着物を着て行ったら皆にほめられました。」

 お客様からそういう言葉を聞くと、
「呉服屋をやってて良かった」
と思える。その為に、商品の仕入れには気を使っている。良い商品をいかに安く仕入れるか、それはお客様からは見えない呉服屋の大きな仕事である。何軒も問屋をまわり、何十枚も商品を見て、私の店で自信を持つて売れる商品を探す。

 しかし、最近そういった商品が見つかりにくくなった。以前はどの問屋でも行けば必ず欲しい商品が見つかった。しかし、今は足を棒にして問屋をまわっても中々仕入れるべき商品が見つからない。何故そうなってしまったのか。

 呉服業界は三十年前の十分の一にまで縮小している。出回る商品も十分の一になってしまったと考えるのが妥当である。そう言う意味では、市場に出回る商品が少なくなったから良い商品が少なくなってしまったとも考えられる。しかし、問屋も昔に比べれば減っている。十分の一に成っているかもしれない。商品が十分の一、問屋が十分の一であれば、一軒の問屋が扱う商品は同じなはずである。しかし、良い商品が見つからない。

 呉服を扱う業者(あえて呉服屋とは言わない)の中には、商品はどうでもよいと考えている業者も多い。私の店だけではなく心ある呉服屋はお客様にできるだけ良い商品を提供したいと思っているはずである。何故良い商品が見つからないのか。それは呉服業を越えて日本の染織が将来どうなってしまうのかと言う不安を誘う。

 着物は日本の伝統工芸である。染織のみならず書画、陶芸、建築その他日本の文化は長い年月を掛けて今日に至っている。原初は稚拙な技術であったものが経験を積み重ね、今日の作品を生んでいる。

 陶芸では、縄文土器、弥生土器から始まって今日の多彩な陶芸作品が作られている。染織も同じで、友禅の歴史も試行錯誤を重ねながら今日の着物を創っている。しかし、今日の呉服業界の在り様を見ていると、そういった今まで積み重ねてきた日本の染織が退歩、あるいは消滅してしまうのではないだろうかとも思うことがある。

 今後、日本の染織はどうなるのか、どこへ行くのかを考えてみたい。また、日本の染織を守り発展させるにはどうしたらよいのかも合わせて考えたい。

 私が京都の問屋に勤めていた頃、三十数年前の話である。ニクソンショック、オイルショックを経て既に呉服業界は下り坂に入った頃である。「昔は良く売れた」と先輩社員から良く聞かされたものだが、それでも今よりは遥かに活気が合った。室町通はいつも荷降ろしする車でいっぱい。室町に用事があれば自転車で回っていた。

 問屋の仕事は染屋織屋から商品を買って小売屋に降ろす事である。私は営業として小売店を回っていたが、小売屋から指定された商品がない時には染屋や織屋を訪ねて商品を探すこともあった。また私は修行の身だったので、務めて生産現場で知識を吸収しようと染屋織屋地方問屋をまわっていた。

 西陣に行けば機の音が聞こえていた。残念ながら今はあまり聞かれない。西陣の老舗織屋を訪ねたときのことである。その織屋は主に洒落帯を創っていた。織屋の営業マンが店を案内してくれた。別棟の工場に行くと、そこでおばさん(近所のパートのおばさんだろう)が一生懸命に細く切った箔を一本一本結んでいた。帯を織る為の長い箔の糸を作っていた。それを見て営業マンが誇らしげに説明してくれた。

「うちではこうして箔の糸を作って帯の織りに使っているんです。」

 何十メートルも必要とする箔の糸をわずか2~30cmに切ったものを繋いで作るのは大変だろうと思った。箔の糸には結び目ができる。それを使って織るのも大変だろうし、織り上がりがどうなるのかも分からない。営業マンは更に誇らしげな顔で言った。

「この糸で織ってどんな帯ができるのか、それが良いのか悪いのか、それは消費者が判断しますが、うちではこうやって帯を織っています。」

 その言葉には西陣の織屋としての誇りが感じられた。

 その織屋の店は古い建物で、観光案内にも良く掲載されている。そのお店の二階には手織りの織機が数台並べられていた。当時は機械織が主流と成っていたが、手織りの帯は依然として織られていた。機を織っているのは学卒の女性の職人だった。機織にあこがれて大学を出てからずっと此処で織機に向かっているという。その時は無地の紬帯を織っていた。

 無地の帯と言えば同じ横糸で最初から最後まで織る。織るのもそう難しくないと思えるかもしれない。しかし、その職人さんが機織の面白さを教えてくれた。経糸が上下する間を杼を使って横糸を左右に通してゆく。横糸を強く引くのか、緩く引くのかで帯の顔は変ってくる。杼を斜めに通すことでゆったりとした横糸が打ち込まれる。杼を通す角度を変えることによってその表情は微妙に違ってくる。

無地の帯だけに、ちょっとした機の操作が帯の表情を変える。そしてその表情は帯に一様でなければならない。帯にアクセントを付けようと思えば、徐々に打ち込みを強く、あるいは徐々に弱くしなければならない。無地の帯とは言え、いや無地の帯だからこそ非常に神経を使う繊細な織り技が求められる。

 女性の職人の織った帯を見れば、織屋の主人はその女性が妊娠したのが分かると言っていた。妊娠した女性は無意識にお腹をかばい、それが帯の表情に表れるという。

 営業マンが織り上がった二本の無地の帯を持ってきて見せてくれた。一本は機械織り、もう一本はその職人が織った無地の帯である。それは一目瞭然だった。機械織りはとても綺麗に織られている。「綺麗」と言うのは「何の変哲もない」帯と言う意味である。手織りの帯は無地といえども帯に表情が感じられた。ここでまた営業マンは私に言った。

「どちらが良いのかは消費者が判断することです。」

 誇りを持って物創りをしているのは染屋も同様だった。

 京染の仕事は特化している。友禅染は、さまざまな工程を経て完成する。図案を起こす、下絵を青花の汁で描く、それに沿って糊を入れる(糸目)。色を挿す、糊で伏せる、地染をする、糊を落とす、蒸して色を定着させる、刺繡や金彩を施す、等など。多くの工程がその専門の職人によって行われている。

 糸目を入れる工程を見せてもらったことがある。職人が正座した前の机には下絵が施された白生地がある。先に金口の付いた渋紙の袋に糊を入れて、糊を絞り出しながら糸目を置いてゆく。単純な作業にも見えるし、面白そうにも思える。しかし、糸目は、できるだけ細く、均質に、生地にしっかりと置かなければならない。訪問着一枚分の柄に糸目を置くのにどのくらい時間がかかるだろうか。そして、忍耐のいる仕事である。

 たくさんの工程の中のたった一つの職人仕事にこれだけの技術と忍耐がいるのだから、友禅染ができるまでにはどれほどの手間と技術を要するのかがうかがい知れる。

 ある時、お客様(小売店)から高級品の注文をいただいた。高級な染物を扱っている染屋に出向いて商品を見せてもらった。その染屋は良い染物を扱っているので有名だが、なかなか足を運ぶ機会がない。行儀のよい番頭さんに迎えられ、箪笥から一枚一枚訪問着を広げて見せてくれた。

 ちょうど染屋の主人がいて顔を出してくれた。探している品物について話した後、私が山形の呉服屋の息子で修業に来ていることも話すと、主人は気さくにいろんな話をしてくれた。

 主人が番頭に支持して奥から私の要望にあった商品を持ってこさせた。しかし、出された商品は少なかった。主人は私の顔色を見たのか、
「もっとあるやろ。隠さんともってきい。」
しかし、番頭は
「いや、今商品が少なくて。」
と答えた。
「なんや、あらへんのか、もっとあったやろ。」
「いや、先日売れてしまいました。」

 主人の見幕に私は申し訳なくなり、
「いや、私の場合、必ず売れるかわかりませんので、あるもののなかから借りてゆきます。しかし、そんなに売れるのでしたらご繁盛ですね。」

 そう言うと主人は、
「品物があらへんと寂しゅうてしょうがあらへん。」
その表情は本当に寂しそうだった。

 染屋の主人にとって、品物は商いの商品である前に、自分が創った作品であり我が子のような存在だったのだろう。

 その染屋も既に店を閉めている。技術を持った職人が仕事がなくタクシードライバーをしているという話も聞く。信用情報には、昔私が出入りした染屋織屋、問屋の廃業の知らせが並んでいる。業者の廃業倒産は、その会社の経営上の問題とも言えるが、果たしてそこで技術を磨き、物創りをしていた人たちはいったい何処に行ってしまったのだろう。そして、その技術は受け継がれてゆくのだろうか。

最近、
「きものは安くなりましたね。」
と言う話をお客様から聞く。特に昔親に着物を作ってもらった人が久しぶりに娘のために着物を仕立てる、というような人達からそのような話を聞く。
「昔、自分が買ってもらった着物よりも安い」
という感覚かもしれない。着物は安くなっているのだろうか、それとも昔は高かったのだろうか。

 それを論ずるのは複雑で誤解を生じることも覚悟せねばならないが、私は確かに着物は安くなっていると思う。きものの価格についてお話ししたように、小売価格は小売店が決める事なので、高い店と安い店では数倍違う。消費者が複数の呉服屋で買い物したとすれば、それは実感できないかもしれない。

 しかし、きものの製造段階では、間違いなく安くなっていると思う。まじめに仕入れをして、当たり前のマージンで価格を決めているまともな呉服屋で買っていれば、昔と今では価格の違いが分るだろう。

 しかし、全く同じものと言う意味では、特に手描の友禅や手織の帯では高くなっているかもしれない。高度な技術に対する手間賃は上がっているだろうし、希少性も増している。

 きものが安くなっているというのには、次のような事情がある

 まず、技術革新が進んだことである。手描友禅であれば、型糸目という技法ができて、今まで職人の手技に頼っていた糸目置を型で、いわば一発で入れることができるようになった。型を使えば同じものが大量に安価にできる。ただし、最近は需要が減り、同じものをたくさん生産することがなくなったので、型を造る手間が嵩み、手描き友禅よりも高くつくといった現象も出てきているらしい。

 また型友禅に代わって捺染の技術も進歩してきた。さらに最近はインクジェットの技術も進歩して安価な振袖に用いられている。最近、非常に安いセット販売の振袖が売られているが、ほとんどはこのインクジェットで染めている。

 全く同じ柄の着物を染める場合、手描きと型糸目では、間違いなく型糸目の方が安く出来る。ましてインクジェットであれば、遥かに安く染めることが可能である。

 帯は機械織りが主流となり、コンピューターの進歩とともに、紋紙を使わずプログラムがそれに取って代わっている。昔はジャガードに使う織機では横糸一本につき1枚の紋紙を打たなければ成らなかった。紋紙はグラフ用紙に描かれた柄を見ながら、ピアノのような紋打ち機械を使って職人が一枚一枚造っていた。しかし、コンピューターに取って代わられ、その手間は要らなくなり、コストも大きく下がっている。

 また、海外の生産もきものの価格を下げている。最近中国も賃金が上がり昔ほどではなくなってきたが、一頃信じられないような価格の帯が出回っていた。仕入れた帯に当たり前のマージンで値段を付けると、
「これは偽物ですか」
「これは化繊ですか」
「何か分けあり商品ですか」
ともいわれかねないような価格だった。更に作りすぎたのかバッタ商品が氾濫し、仕入れる価格が、あっちの問屋、こっちの問屋がばらばらで、安心して仕入れられなくなり、私の店でも中国の帯は仕入れないようにしている。

 このように、技術の革新や流通事情によりきものの価格が下がっている、と云う面は否めない。

 最近、仕入れに行くと、帯の値段が安くなっているように感じる。帯を仕入れる場合、お客様の注文であったり、在庫の不足分であったりする。どちらにしても、「どのような帯」とはっきり意識して仕入れをしている。仕入れたい帯のイメージに合う帯を選ぶ為に織屋を指定することもある。

「〇〇織物の袋帯はありますか。」
そういうと、

「はい、ありますよ。〇〇織物でしたらあの山です。」
と言って問屋ではその織屋の帯を見せてくれる。

 しかし、どの織屋の帯も昔イメージしていた物とは微妙に違ってきている。

「もう少し良い帯はないですか、〇〇織物でしたら昔△△が合ったでしょう。そんな帯ですよ。」

 私はもっと高級な帯をイメージして探すのだけれど、

「ああ、あれはもう織っていません。あの織屋は、今はそこにあるような帯が主流ですよ。」

 目の前に積んである袋帯は、価格も安く高級感もない。かつては高級な帯が看板の織屋である。なぜそのようになってしまったのだろうか。問屋に聞くと、一言で言えば織屋はもうそんな力はないのだという。

 第一に、昔売れていた織屋も今は生産が十分の一、あるいはそれ以下に落ちて高級品を創る力がなくなっている。消費者の求める安い帯など目先の商品を作るのが精一杯。回転の悪い価格の高い帯には手が回らない。

 高級な帯を織るには研究開発が必要である。研究開発と言えば大げさだが、帯のコストは織る手間だけではない。図案を起こし、色糸を決め、紋紙(今はプログラム)を起こす。糸を発注して機に掛けて織る。まだまだ細かい工程があるが大まかに言っても織る前に多くの手間を要する。しかし、今はその手間を捻出できない。従って、昔織っていた帯の紋紙を使い色糸を替えたりしてより安価な帯を織っているらしい。

 第二に人手がなく新しい帯の開発ができない。西陣の織手の平均年齢は65歳を越えていると言う。今更新しい帯を織るのに挑戦するような若い力は少なくなっているらしい。

 西陣の織屋は長い歴史を経て充分に蓄積された技術と創造力を持っているはずだが、安い売れやすい帯を無難に織ることを余儀なくされているようだ。

 加賀友禅でも同じようなことが言える。加賀友禅を仕入れに行くと100枚以上の加賀友禅を見て仕入れる。しかし、昔のイメージの加賀友禅は少ない。なぜそうなのか。

 一つの理由として、新進の作家が伝統的な加賀友禅の手法に拘らずに創作している。加賀友禅には、加賀五彩と呼ばれる加賀友禅独特の彩色。虫食いと呼ばれる加賀友禅ならではの柄があったけれども、最近はそれに捉われない彩色や柄付がなされている。それらは、時代の変遷ととらえることができるけれども、もう一つの大きな理由は、柄の重いものが少なくなっている。柄の少ない附下程度の加賀友禅が山積みされている。

「これらは主にナショナルチェーン向けです。」
と問屋さんが言う。高額品が売れなくなり、「加賀友禅」という名前で売るために買いやすい価格の作品が多いのだろうと思う。

 きものは、技術革新や手間を省くといった手法で安くなっている。それは工業製品が安くなるのとはわけが違う。工業製品は、技術の革新、大量生産によって同じものがコストダウンで安くなっている。車や電気製品は昔に比べればはるかに良質の物が安価に売られている。かつて昭和30年代、テレビはサラリーマンの月収の数か月分と言われていたが、現在はハイビジョン、液晶、大画面のテレビがわずか数万円で買うことができる。

 工業製品のコストダウンは我々の生活を豊かにしてくれている。きものの場合はどうだろうか。きものが安くなったことは我々にどのような影響があるのだろうか。

 染織の歴史は太古の稚拙な技術から今日に至るまで創意工夫を重ね、多種多様で高度な染織品を数多く生み出してきた。染物では、天平の三纐と呼ばれる稚拙にして非常に高度な染物(変な表現だけれども私にはそう思える)から友禅染にいたるまで。織物では、単純な平織りに始まり多種多様な織物が生み出されてきた。それは技術の積み重ねであり、日本の歴史の積み重ねでもある。その歴史を集積したような日本の染織が今退歩しているように思えてならない。

 生産は需要が伴わなければ成り立たない。どんな高度で精緻な技術で造られた物でも需要がなければ生産する意味もない。

 さて現在、日本人が長年積み上げてきた染織の数々は需要が伴っているのだろうか。熟練職人の技を凝縮したような染織品の需要がないとしたら日本の染織はこの先次第に退歩してゆくのだろうか。

 市場は安価なものを求めている。それは間違いない。それ故に織屋は安価な帯を織り、加賀友禅作家は柄の軽い訪問着を染める。しかし、それは消費者が本当に望んでいるものなのだろうか。日本の染織技術の逸品を望んではいないのだろうか。

 もちろん手織りの帯は高価だし、手描きの逸品は高価である。所得水準の低下がきものの需要に陰を落としているとも言えるかもしれない。しかし、繰り返すが着物の価格は小売屋が決める。プリントを型染めと偽って高額で販売する例も聞こえてくる。機械織を手機と言って売っている例も聞く。着物は高いものだとは言われるが、正規のルートで常識的な価格設定であればそれほど高いものではない。

 問題は、同じ商品であっても高安混在するきものの業界にあって、消費者が本当に良い商品を見分けられなくなっているからに他ならない。価格に惑わされて着物の価値判断が育たなくなっている。

 捺染の小紋が30万円で売られる。一方で良心的な呉服屋は本型染、手描きの小紋を20万円で売る。これでは、消費者は何が良くて何が安いのか判断できなくなってしまう。消費者が本物を見分ける目を持ち、また呉服屋は正当な価格を設定するならば着物はそれ程高くはならないし、商品は淘汰され日本の染織も良い方向へとゆく思うのだが。

 現状では、織屋がいくら良い帯を織っても、染職人がいくら丁寧に染めてもその仕事は評価されず安い商品ばかりが売れてゆく結果となる。消費者は安い商品を求めているのだろうか。着物に限らず消費者は、良い商品を求めているはずである。

 性能の良い車、デザインの良い車が評価されれば結果的に更なる性能が向上しデザインが磨かれるのと同じように、消費者が良い商品を求めれば、日本の染織は守られ後世に伝えられる。消費者のきものに対する正当な評価が必要である。

 きものの場合、他の製品と違うのは、一般人の実生活から離れてしまっている為に製品に対する評価が困難になっていることである。どの染が良い染なのかが分からない。どの織が良い織なのかが分からない。どの白生地が良い白生地なのかが分からない、と言うように、普段余り目にしないきものの評価が難しくなっている。

 しかし、私は消費者にきものを評価する目がないとは思っていない。初めて着物を仕立てに来たお客様に商品をお目にかけると、ほとんど良い商品に目が行っている。何も言わずにプリントの小紋と手描きの小紋をお目にかけると(もちろん値段は伏せて)ほとんどの場合、手描きの小紋を選ぶ。ただし、値札をお目にかけると、「やっぱり高いんですね。ちょっとそこまでは・・・。」と言う言葉が返ってくることもしばしばである。

 消費者の無垢の目には良い物を見分ける力は備わっている。その力で着物を評価していただければ日本の染織の将来も明るいのではないかと思うことしきりである。そういう意味で、日本の染織を育てる力は消費者には備わっているし、私は期待している。

 しかしながら、問題は業界にある。消費者の目を正しく育てる環境を創っていない。あらゆる雑音が消費者の目を狂わせてしまっている。着物の本質とは関係のない接待や勧誘、法外な価格の設定など。真摯に着物に向き合おうとする消費者の目をそらそうとしているかのようである。

 消費者は間違いなく良い物を求めている。それに応えるのは着物業界であり、消費者と織屋染屋をつなぐ着物の流通を担う呉服屋であり問屋である。着物業界のなりふり如何によって日本の染織の将来は左右されるだろう。

 織屋染屋、そしてそこで働く織職人、染職人がこれまでに培ってきた日本の染織をより良い物として生み出し、それを消費者に如何に正しく伝えられるのか。着物業界に与えられている責任は重い。ただし、それを受け取る消費者にも是非とも心していただきたいことがある。現在の着物業界がまことにおかしな状況にあることを認識したうえで、冷静に着物の将来を見つめてもらいたいと思うのである。

 着物業界に蔓延しているあらゆる雑音を払いのけて、「本当に自分が欲しい着物は何なのか。」「どの染織品を本当に素晴らしいと思っているのか。」「価格は妥当なのか。」等々、着物に真剣に向き合っていただけば、自然に雑音は消え去り日本の染織の将来を照らす光が見えてくると思えるのである。

 着物は、それを創る人達だけのものではなく、着る人達だけの物でもない。まして、それを流通させる人達のものではもちろんない。日本人皆が着物、日本の染織に真摯に向き合うことが大切である。

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