明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅱ.きものの販売手法 ⅳ展示会

きもの春秋終論

 展示会という商法は昭和30年代中頃に始まったと思う。私の記憶の限界がそこまでなので、あるいはもう少し前から行われていたかもしれない。

 その頃私は小学生だった。学校から帰る途中、お店に寄ることもあり、「お店とはこんなところ」という意識があった。

 それまで私の店では、展示会などせずに店頭での販売が中心だった。しかし、その頃から展示会が行われる様になった。

 最初、展示会は店内で行われていた。展示会になると大工さん(今でいう内装屋、貸し物屋かもしれない)が入って、土間に畳を並べたり、奥の間も開いて毛氈を引いて衣桁や撞木を並べていた。問屋さんが商品を持ち込んで商品を並べていた。

 子供心に非日常的な空間に喜び、土間に敷かれた畳の上を転がって遊んでいたのを覚えている。

 展示会が始まったのはどんな動機からだろう。

 昭和30年代になると高度成長期に入り、消費者の購買意欲が高まっていた。呉服もよく売れたという。お客様の「日頃の店頭よりももっとたくさんの商品を見たい」という欲求に応えるためだったのだろう。問屋さんもまた、売る機会を喚起するために協力してくれた。五~六軒の問屋さんが段ボール箱数個持ち寄って、店は着物や帯に埋め尽くされていた。

 当時の展示会は、店頭販売の延長線上にあった。

「展示会では豊富な商品から選んで頂けます。いつもはお目にかけられない商品もございます。」と言った意味があったのだろう。それに惹かれてお客様もたくさん来店していた。

 どんな商品がどれだけ売れたのかは分からないが、ひっきりなしにお客様は来店していた。

 その後、展示会はお店を離れて別会場で行われるようになっていった。

 店よりもずっと広い、〇〇会館の会議室を借りて沢山の商品が運び込まれて多くの問屋さんが手伝いに来ていた。

 展示会は「秋物新作・・・」と称して夏に行われていた。クーラーのない時代である。問屋さんは夜展示会場に泊まっていたが、とても暑く寝苦しかったようだが着物は良く売れたので、そのような事を厭うことはなかった。

 夏休みの期間だったので私も姉も子供ながら手伝った。会場に氷柱を建て、お絞りを冷やしてお客様に提供するの役目だった。

「暑いのでどうぞ。」

と言ってお客様に冷たいお絞りを渡すととても喜んでくれた。中には、「あら、汚い手で触られないように手を拭くの・・。」と言うお客様もいて、子供心に複雑な心境だった。

 当時はこのような展示会だったが、次第に展示会も変っていった。

 いつの頃からか、展示会でお客様に食事を出すようになっていた。最初は弁当程度のものだったが、次第に高級になっていった。会場もホテルや料亭を使うこともあった。

 しかし、その頃の展示会もそこで行われる接待も過度といえるものでもなく、経済成長、生活程度の向上に伴っていったものだった。

 展示会に招く客も、いわゆる「お得意様」で、展示会における接待も、いつものひいきに対するお礼の範囲を越える物ではなかった。

 しかし、昭和50年代中ごろから「展示会」の性質は急速に変って行った。

 それまでの「展示会」は、店頭販売の延長線上にあると言えるものだった。多くの商品を展示する為に会場を借り、対象となるのは「お得意様」であった。

 しかし、その後の「展示会」は「客を集める為の展示会」に変って行った。

 一度も顔を合わせたことのない人に「展示会を行いますので来て下さい」と勧誘して回る。そして、展示会に来たお客様には過度な接待をして着物を買ってもらう、と言った「買わせる為の展示会」すなわち「展示会商法」の性質が色濃くなっていく。

 私の店では今、展示会はほとんど行っていない。平成10年頃までは店外の会場を借りて行っていた。しかし、展示会を開くデメリットが大きくなり店内での単品催事を行っていた。

 展示会のデメリットとは次のようなことである。

 第一に、呉服業界の規模が急速に縮小したこともあり、商品が揃わなくなってきた。店の在庫に加えて問屋さんから商品を借りて展示してより多くの商品の中から消費者に選んでいただこうという趣旨に反して、展示会で商品を揃えるのが困難に成ってきた。

 その裏には、展示会商法に頼る業者が多くなり、どの業者も一時に展示会を催す為に期間的に品薄になるという事情もあった。

 第二に、展示会に経費が掛かり過ぎて採算が取れなくなっていた。後に述べる「展示会商法」の業者は益々過度な接待をエスカレートさせていった為に、豪華なDMや過度な接待に多額の経費を掛けざるを得ない状況になっていた。

「展示会商法」の業者は、いくら経費が掛かろうとも全て商品価格に上乗せする為に採算を維持しているが、常時店頭で販売している呉服屋が展示会で上乗せした価格で販売するわけには行かない。

 呉服は価格の分かりにくい商品といわれるが、初めて展示する商品に上乗せした価格を表示することはできるかもしれないが、長年ごひいき頂いているお客様であれば価格の変化は敏感に感じるだろうし、商道徳の上でもできることではない。

 第三に、売上が減ったこともある。売上が確保されるのであれば薄利であっても続けることはできるが、業界の縮小という時代の波には勝てなかった。

 上記に挙げた展示会のデメリットとは、単に販売する側すなわち呉服屋にとってのデメリットだけではなく、消費者にとってもデメリットが大きい事を考えなければならない。

 従来の呉服屋にとって、展示会をどうするのか、岐路に立たされていただろう。「展示会商法」へと向かうのか、他に是正する方法を考えるかである。

 結果的に「展示会商法」へと向かわなかった呉服屋の多くは店をたたんでいる様に見える。また、積極的に「展示会商法」を行った呉服屋も壮絶な競争に敗れて店をたたんだ呉服屋も多い。

「展示会商法」では、消費者の購買意欲を喚起する為に様々な工夫が凝らされている。呉服への関心を示す消費者は少なくなり、また着物を着る人でも既に多くの着物を持っている。呉服に関心のない人に呉服を買ってもらう為に、沢山の着物を持っている人に更に呉服を買ってもらう為の工夫である。

次に挙げるのは展示会商法で行われている様々な工夫である。

① 商品

 展示会で扱われる商品は、できるだけ消費者の関心を引くものが扱われる。

 素人目に強い印象を与えられる商品、きもの好きといわれる人達が未だ持っていない商品などである。

 昨今の呉服業界では様々な商品が創られている。「○○作家のきもの」であったり「珍しい染め方、織り方」「素材に凝った物」「余り出回らない希少品」など多種多様である。いずれも、他の着物とは違った商品であると言う何がしかの「語りかけの看板」が存在する。

 それらの商品が創られるのは、商品開発の成果であり、作家や染屋、織屋の努力の賜物であることは否めない。そんな作品を眺めていると、

「よくもこんなに細い糸で織り上げるものだ。」

「昔の技法を再現した努力には頭が下がる。」

「希少な染料を集めるのに苦労しただろう。」

と感心する。

 それらの商品は、消費者の購買意欲をそそる物として業界にとっては好ましいものである。展示会では冒頭で書いた理由で、消費者の目を引く為にそのような「語りかけの看板」のある商品が並べられる。

 しかし、展示会で並べられた商品の中には、首を傾げたくなる物も多い。

 すばらしい商品がある一方、「これはそんなに価値がある物なの?」と思える商品も多い。そういった商品に限って傍らに一生懸命に商品の説明をする人が付いていたりする。その人は「この商品が如何にすばらしいものであるか」を力説するのだが、果たしてその通りなのか疑わしくなる。

 それらの商品は必ずしも悪意で(消費者を騙そうと)創った物とは限らない。

 洋服のデザイナーやキャラクター、アイドルの名を冠した商品も目立つ。若い人の中には、そんな着物を着てみたいと思う人も多いだろう。

 その類の商品は結構な価格が設定されている。小紋であれば加工着尺(手描きなど手間を掛けて染められた小紋)と同じくらいの価格で売られているものもある。しかし、加工(染め)はほとんどが捺染(プリント)である。通常の捺染小紋の数倍の価格で売られている。もちろん其処にはロイヤリティーが上乗せされているので不当に高い商品ではないかもしれない。消費者が染めの良さを選ぶのか、染めはプリントでもそのデザイン性やキャラクター、アイドルの名に価値を見出すのかは自由である。

 消費者に勧める着物のアドバンテージばかりが喧伝され、着物の本質を十分に消費者には伝えられていないように思う。

 差別化した商品で消費者にアプローチしようとするあまり、「看板とする材料は何でもいい」と言う考えが業界にはびこってはいないだろうか。些細な材料を大げさに喧伝し、あたかもすばらしい商品であるかのような説明を行う。

 展示会では消費者に対して商品についての説明をきちんとする必要があるし、主催する側にはその義務がある。消費者は、商品に付される付加価値に惑わされること無く商品を選ぶことが求められている。

② 演出

 展示会では消費者を引き付ける様々な演出が行われる。

 機織実演、や友禅染の実演など○○実演と称するもの。作家の先生が直接消費者に語りかけアドバイスをする。産地の人が出向いて普段消費者がお目に掛かれない体験をしてもらうなど、消費者にとっては大変興味深い演出が行われている。

 これらは消費者に呉服を理解してもらう上で大変有効で、業界にとっては着物を消費者にアピールする良い手段である。

 しかし、展示会では度を越した演出も行われている。

 以前、大手呉服問屋を訪れた際、商品担当者が変ったいでたちで売り場に座っている。それまではスーツを着た普通のサラリーマンであったが、髪を撫で付け立派な口ひげを生やしている。作務衣に袖なしの羽織をはおって何がしかの訳ありの人間のように見える。

「あの人どうしたんですか。商品課の○○さんでしたよね。」

私が問屋の人間に聞くと、

「ああ、あいつは先生になったんです。」

と答えた。

しばらく見てると、他の客(呉服屋)に話し始めた。商品を説明しているが、その語り口はタレントのような芸術家のような話しぶりである。それを聞いていた問屋の他の人間が、

「はは、あいつ本当に先生に成り切っているわ。」

と小声で言っていた。

 先生になりきっているその社員は商品担当として商品の知識は身につけているし消費者に商品の説明をすることもできる。しかし、しかし、先生とは思えないし、なぜそのような演出をするのだろうか。

 目的は一つ、消費者の購買意欲をそそる事である。

 そのような演出によって、消費者にとっては問屋の社員も偉い先生に見える。偉い先生に商品の説明をされて勧められ、商品を購入する。その「先生」の話すことは間違ってはいない。しかし、知識のある小売屋や他の問屋の商品担当者の域を超えるものではない。

 売り場を盛り上げるパフォーマンスは必要であるが、それが消費者の目を曇らせるものであってはならないと思う。

 過度な演出に、「つい買ってしまった。」ということは無いだろうか。展示会を楽しむのは良いけれども、消費者には着物を購買するその本質を忘れてもらいたくはないと私は思う。

③ ノベルティ(お土産)

 展示会で来場された方にお土産を渡すのは昔から行われていた。

「せっかくお出でいただいた方にお土産を。」

と言うのは、日本の心かもしれない。

 呉服屋の展示会といえば、やはりそれらしいお土産を用意する。私も京都での修行を終えて店に戻った当時(30年前)は、京都で見聞きした和菓子等を取り寄せたりもしていた。

 ほんの数百円のお菓子でも、山形では珍しいと喜ばれていたものだった。

 お客様はお土産をあてにしていらっしゃるわけではない。ちょつとした心づけがお客様の気持ちを慰める。お土産はそういった意味で使われていた。

 しかし、何時の頃からか、お土産はその域を脱してしまっていた。展示会で配られるお土産は、その質、金額ともに跳ね上がり、それも去ることながらお土産が展示会の前面に出るようになった。

「ご来場のお客様には○○を差し上げます。」

と言う類の案内が目立つようになった。

 仕入れの為に京都の問屋を訪れると、売り場に所狭しと京都の産物を並べている処もあった。高級で珍しい京菓子から工芸品等が並べられている。

「どうしたんですか、これは。」

そう聞くと、問屋の担当者は、

「これはノベルティの提案です。こういったものをお土産に使うとお客さんがあつまりますよ。」

その説明に、私はつい、

「なんだお菓子屋を始めたのかと思いました。」

と、ついいやみを言ってしまうのだけれども、どうも商売の本筋から離れたところで問屋さんが土産品選びに一生懸命に成っているのを見て、何か違和感を感じていた。

 店に度々足を運んでくれる販促業者が、ある時

「いや~忙しくて、これから石巻へ行かなきゃならないんです。」

と急がしそうに話していた。

「石巻のお客さんですか。」

そう聞くと、

「いや、あるお店でカニをノベルティに使ったんですがね、お客さんが着過ぎちゃってカニが足りなくなったんです。すぐに手配してくれというのでこれから石巻まで走らなきゃ成らないんです。」

 詳しく聞くと、展示会に来場された方にカニを一杯差し上げるという企画だった。大々的に宣伝したので客が大勢詰め掛けたということだった。

「そんなにお客さんが多いんだったら、相当の売上でしょうね。」

そう聞くと、

「いや、買う人はそう多くは無いですよ。ほんの小さなものを買ってお茶を濁す人もいますしね。」

と少し渋い顔だった。

 お客様は展示会に集まるのか、カニに集まるのか分からない。当然歩留まりを考えてのことなので、赤字にはならないだろう。配ったカニの代金は売れた商品に上乗せされている。

 他にも鮭を一匹という話も聞いたことがある。更に人目を引くようなノベルティが次々出てくるのだろう。

 お土産は、ほんの手土産からお客さんを集める強力な手段となってきている。その分、商品の価格、質に上乗せされているとしたら、「呉服の展示会とは何なのだろう。」と疑問を抱かざるを得ない。

④確約

 今、展示会で集客する方法として「確約取り」というのが行われている。これは15年位前から行われているらしい。

 私は「確約取り」という言葉を知らなかった。かなり以前に新規の問屋が店にやってきた時に、

「御店で展示会でどのように集客していますか。」

と聞かれた。私の店では昔やっていたような大掛かりな展示会はしていない。言葉を濁していると、

「確約はなさっていますか。確約の商品も当社では用意しています。」

私は何のことか分からなかった。私の要を得ない態度を見て、その問屋はあきれたような、拍子抜けしたような表情だった。

「なんだ確約もしていないのか。遅れているな。」

とでも思ったのだろう。

 さて、「確約取り」とは次のようなものである(らしい)。

 展示会を開催するに当たって事前に呉服屋の社員が展示会の案内状を持って得意先をまわる。場合によっては新規の客をも勧誘する。これは集客の為今までも行われていたが、次第に集客の歩留まりが悪くなってきたのだろう。そこで考えたのが「確約取り」である。

 呉服屋は確約の商品を用意してお客様の勧誘に回る。お客様に確約の商品を格安で販売すると謳い展示会に来てくれるよう奨める。その確約商品の購入を希望する人には展示会場で商品を渡す。そして、予め商品代金を預かるのがミソらしい。

 例えば、展示会の案内に行った客に50,000円のバックを展示会で5,000円で販売すると客に告げる。そして、5,000円を預かり、その客が展示会場にいらした時に商品を渡す。

 まことにうまい方法を考えたものである。格安の商品が欲しい客は展示会に足を向けることになる。いや、足を向けざるを得なくなるのである。既に代金は支払っているのだから。

 確約の商品もいろいろと開発され進化しているらしい。同じような商品では客は寄らなくなる。手を変え品を変え消費者が喜ぶような商品を確約品として用いるのである。

 展示会で様々な演出をしても、ノベルティを工夫しても、それでも来場する客は減っている。「それでは」と、次に繰り出したのが「確約取り」ということだろう。

 商売と言う目で見れば大変巧妙でうまいことを考え付いたものである。法に触れるでもなく、消費者の心を巧く突いている。これを商売上手と言うかも知れない。

 しかし、私は呉服を商う者として問題が多いように思う。

 展示会で「確約取り」を奨める問屋の口からは、「いかにして確約取りでより多くの集客を誘うか」「確約の商品は何が一番効率が良いか」などの話は出てくるが、商品(着物)の話は出てこない。呉服の問屋であれば、

「当社はどこよりも安いソロバンで出しますので、お客様に還元して安く提供してください。」

「うちの染を見てください。どこの染屋よりも良い職人を使っています。」

などと商品の価格や品質が優れている話題が出そうなものだが、そのような話は一切ない。

「如何に展示会に客を集めるかが問題だ。着物を買う気がなくて確約商品だけをもらいにきた人でも、会場に来てもらえればこちらのものだ。何とか買わせる術はいくらでもある。商品なんてどうでもいい。」

と言っているように私には聞こえる。

展示会商法の本質  

 展示会は、今の呉服業界にとってなくてはならない商法になっている。むろん呉服屋によってその比重は違うが、ほとんどの呉服屋は展示会がなければ立ち行かなくなってきているのは事実である。

 もともと展示会は、店頭販売を補充する売上増進の手法として用いられてきたが、店頭販売と展示会は、いつしか主従が逆転、あるいは展示会での売上がほぼ100%を締める呉服屋も出てきている。

 そして、展示会で扱われる商品や演出、ノベルティ、確約など、本来重視すべき商品の品質や価格とはかけ離れたことに注力されている。

 売上増進の努力をするのは商人の生業だが、商品をないがしろにしてはならない。

 売上が上がらなければ更に展示会に工夫を凝らす。それが次第にエスカレートしてきている。痛みに耐え切れずモルヒネを打ち、それを続けるうちにモルヒネなしでは生きられなくなるのと同じである。根本的な痛みをなくす努力をしていないのが現在の呉服業界である。

 フランス料理を餌に客を集める。タレントや歌手を呼んで集客するなど莫大な経費を掛けて着物の価格を吊り上げて消費者に販売するという手法は犯罪とは言えない。「客が納得して買ったのだから」といえばその通りである。

 しかし、更にエスカレートして犯罪と言えなくもない、犯罪とは紙一重の展示会も行われている。

 一頃テレビでも話題になったことがある。展示会に来た客を販売員が取り囲み契約を成立させる。客の靴を隠して契約が成立するまで客を帰さない等々。その時客はトイレに駆け込んで携帯電話で警察に電話して助けられたと言う落ちが付いていた。

 それらはあからさまに犯罪、又は犯罪に近いものとして誰でも認識できるけれども、もっと軽度な(しかし重大な)犯罪といえる行為も行われている。

 私は江戸小紋について相談されたことがある。二十数万円で買ったという型染めの江戸小紋はプリントの江戸小紋だった。私の店では五~六万円の代物である。その江戸小紋を買った呉服屋からは型染めで価値のある物と説明されたという。しかし、少し知識のある人が見ればすぐにプリントと分かる商品である。

 価格については本人が納得して買ったと言えばその通りかも知れないが、プリントの江戸小紋を型染めだと説明したことは明らかに犯罪である。同じような事は他にもあるらしい。

 型物の小紋を手描きと偽る。なんでもない訪問着を人間国宝の作品だと偽る等々。それは騙し以外の何物でもない。買った(買わされた)人は高い代償を払っている。

 何故そのようなことがまかり通るのか。

 呉服業界では売上を創る為には何をしても構わないという風潮があるのは否めない。

 それと共に、その風潮が長い間続き、販売員自身に着物の知識が欠落している面もある。展示会に集客する要員は着物の知識を持ち合わせない。したがって、なんでもない着物を人間国宝の作品だと言っても本人は罪悪感も何もないのだろう。

 以前、呉服屋の展示会の手伝いに行った問屋の社員が次のような事を言っていた。

「その展示会では販売員が集客したお客様を会場に連れて来て着物の購入を奨めるんです。しかし、その販売員がお客様に言う言葉は「お似合いですよ」「安いですよ」「お得ですよ」の三言しか言えないんです。」

 商品の知識も着物の知識もない人が様々な餌を用いてお客を集め展示会に連れて来る。それを待ち構える人が特定の商品を奨める。お客様が「金がない」と言えばそれを工面する人が出てくる。

 展示会ではオートメーションの如く売る機能が実に巧く働いている。

 商品を売ることは呉服屋の生業だが、展示会ではいったい何を売っているのだろうという疑問が沸いてくる。利ザヤだけを求めて商品の価格を吊り上げていることに何時消費者は気がつくのだろう。

 消費者の目が覚めたとき、利ザヤを稼いできた業者は、十分に儲かったからと業界から離れて行くだろう。そして残された呉服業界、と言うよりも日本の着物の文化はどうなってしまうのだろうかと心配である。

 本当に着物を愛する人、日本の文化を守ろうとする人達には何ができるのだろうか。

 商売人がお客様に説教するなどありえないが、あえて私は消費者にお願いしたい。

「着物の本質を見ていただきたい。価格品質ともに極めて分かりづらい着物ではあるけれども、日本の文化である着物とはどういうものなのかを知っていただきたい。自分の目で見て、自分で判断できる環境で着物を見ていただきたい。その上で、高価な土産を持っての度重なる勧誘、様々な演出、甘言の裏に何があるのかを分かっていただければ日本の着物は生き続けることができる。」

 展示会はもはや消費者の判断を狂わせる雑音の坩堝と化してしまったことは残念である。

 消費者により多くの着物、作品を見ていただき、着物の良さを分かっていただく。そして、欲しい着物があれば消費者自身の判断で買っていただく、と言った展示会の本来の姿に戻すことはできないのだろうか。

 今日の「展示会」の多くは、「買っていただく場」ではなく「買わせる場」になっている事を覚えていて頂きたい。

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