全日本きもの研究会 きもの春秋終論
Ⅵ.きものつれづれ 15.呉服の流通に関する気になる動き
最近、問屋との取引で気になる動きがある。全ての問屋がそうではないけれども、業界全体が悪い方向に向かっているような気がしてならない。
内容は、業界に対する警鐘として書くつもりつもりなので、消費者には分かりづらいかもしれないけれども、着物を愛する人たちに必ず悪い影響を及ぼすものなので、できれば理解していただきたい。
呉服の流通については以前事細かに書いたけれども、おさらいをしてみよう。
着物や帯などの製品は生産者(織屋・染屋)が作る。製品を消費する(着物を着る、帯を締める)のは消費者である。消費者へは小売店(呉服屋)が製品を提供する(売る)。
小売店は消費者に製品を提供するためには製品を仕入れなければならない。小売店が製品を作っている生産者から製品を仕入れられれば良いが、全国にある生産者から仕入れるのはほとんど難しい。大島紬仕入れるために鹿児島や奄美大島へ行き、博多帯を仕入れるために福岡まで足を運ぶ、と言うのは無理である。仕入れの出張費だけで莫大なものとなってしまう。
また、生産者が小売店に製品を卸すことも困難である。余程大きな生産者(メーカー)であれば、営業部門を創り小売店に製品を卸すこともできるかもしれないが、生産者は生産する製品の品種が限られているために非常に効率が悪い。小売店の要望には極一部しか応えられない。まして中小零細の生産者は創る製品も限られ、遠方の小売店と取引するのは困難である。
そこで、生産者と小売店の間に問屋が介在する。問屋は生産者から製品を買い集め、小売屋に製品を卸す。総合問屋であれば、呉服に関するほとんど全ての製品を揃えて小売屋に製品を卸すので商売としては効率が良い。生産者は創った製品を取引する問屋に売り渡すだけで良い。小売店は数件の問屋と取引すれば全国津々浦々の製品を購入できる。
実際には、産地で製品を集める産地問屋が前売り問屋(主に小売店を相手にする問屋)に製品を卸すケースもあり、商品が複雑な経路を経て小売屋に卸される場合もあるが、単純化すれば、生産者→問屋→小売屋という商品の流れになる。
而して生産者は製品の制作に専念し、問屋は製品を集め小売屋に卸す。小売屋は商品の仕入れにそれ程苦労することなく消費者に商品を売ることに専念できる、と言った効率の良い流通形態が出来上がる。長年このような流通が呉服業界でも行われてきた。
さて、商品の売買、取引には金が動く。商品代金の支払いが発生する。生産者から製品を買った問屋は生産者に代金を支払う。問屋から商品を買った小売屋は問屋に代金を支払う。当然の話である。
商品の取引には二通りある言葉以前述べた。商品を買い取って代金を支払う「買取」と商品を預かり売れた分だけ代金を支払う「委託販売」(呉服業界では「浮き貸し」と言う)である。
通常の商取引では、前者の「買取」が原則である。問屋は生産者から、売れるだろうと思える商品を買い取って在庫とする。生産者には代金を約定に従って(決められた期日に)支払う。これで取引が完了する。
小売店は、問屋の商品から自分の店のお客様に売れるだろう商品を買い取って在庫とする。そして来店したお客様に商品をお目にかけて買っていただく。問屋には約定に従って商品代金の支払いをする。
このような「買取」が呉服業界でも元々の原則であり、そのような取引で商品が動いていた。
私が子供の頃(昭和30年代)には月に一度か二度やって来る問屋さんが段ボールの箱をいくつも店に持ち込んで商品を広げ、祖父がそれを一つ一つ柄と価格を比べながら商品を買い取っていた。そして帰る時には、以前買った商品の代金を支払っていた。商品と引き換えに代金を支払う、と言った極当たり前の商売である。
一方、「浮き貸し」は、商品を預かり、後日売れた分だけ代金を支払う取引法である。これは、呉服業界に限らないかもしれない。
この「浮き貸し」は以前からあった。昭和30年代から40年代に掛けては、店にやってきた問屋さんが、売れ残った商品を「来月まで置いて下さい。」と言って置いて行くこともあったと言う。当時は、京都の問屋さんが、肩に担ぎあげなければならない様な段ボール箱(ボテ箱と言う)を4~5個も持って夜行列車で商売に周っていた。
当時呉服は良く売れたので、その商品は、得意先を一回りすると残りは1箱くらいになった。帰りには手ぶらで帰りたいと言う事情もあったかもしれないが、残った商品を小売店に預けて荷を軽くしていた。しかし、当時はこのように浮き貸しで置いても相当数売れることは分かっていた。もしも、次の月に多数の返品があっても、また他の店に行って置いてくれば売れるだろうと言う目算もあったのだろう。
問屋さんにしてみれば浮き貸しをしても十分に効率の良い商売ができたのだろう。しかし、それでも小売屋(私の祖父)は商品を買い取っていた。少しでも柄が良く商品を安く仕入れるためである。浮き貸しでは一般的には値引き交渉はできない。問屋が言い値で商品を置いて行く。買取の場合は、ぎりぎりの値段交渉を経て買取の価格が決まる。その為に店の在庫とする商品は柄と価格に自信がなければ購入できない。そこに商品を買い取る小売屋の責任と目利きが生じるのである。
その後、この「浮き貸し」と言う取引は時代と共に様々に形を変えてきた。
私の店では買取を原則として仕入れているが、「浮き貸し」も利用している。お客様からの注文に適する在庫がない場合、問屋に商品を送ってもらい商いをする。売れたものは仕入れとなり、売れなかったものは直ぐに送り返す。
このような取引は、現代のなせる業である。電話で注文すれば商品が翌日、あるいは翌々日には届く、と言った流通運輸の発達が背景にある。鉄道貨物が主流だった時代には商品が届くのに一週間も掛かった。場合によっては駅まで荷物を取りに行くこともあった。昔はこのような取引はできなかっただろう。便利な時代になったものである。
しかしそれでも、このような浮き貸し取引はできるだけしたくない。と言うのは、現在商品が少なくなり、問屋に頼んでも適切な商品がない場合が多い。できるだけ自分の目で見て納得してお客様に商品を提供するには、やはり買取をしなければならないと私の店では考えている。
浮き貸し取引は、借りた商品で商売をすることである。商品を借りて商売するのであれば、小売店の在庫負担はなくなる。また仕入れて売れない商品(デッドストック)のリスクはなくなる。浮き貸しは、小売店、呉服店としては真に都合の良い取引制度である。
しかし、問屋にしてみれば、沢山の商品を小売屋に貸して売れない商品が大量に戻って来る、と言う事になると、問屋の在庫負担は莫大なものとなる。それだけに染屋織屋から買い取った商品がデッドストックになる危険性も増大する。
そういう訳で、浮き貸しと言う制度は、問屋にしてみれば余り切りたくないカードだった。問屋が染屋織屋から買い取った商品を小売屋にしっかりと買い取ってもらう。そう言った取引が業界としても正常な取引と言える。
しかし、着物が売れなくなるにつれて、様々な商法の出現と共に浮き貸し取引は増えてきた。
昭和30年代には既に各呉服屋では展示会が行われていた。商品を一堂に展示して消費者を動員して着物の需要を喚起していた。展示会で並べる商品は店の在庫だけでは足りないので問屋さんに応援を頼んだ。問屋さんが商品を持ち寄り、店の在庫と共に展示会場に並べた。問屋さんの商品が売れれば、その分を仕入れとした。
当時はまだ展示会は年に1~2回。2~3日間の催しだった。問屋さんの在庫をそれ程圧迫するものでもない。応援する問屋さんも、お付き合いの範囲として商品を持ってきてくれたのだろう。
私が京都にいた当時(昭和50年代後半)、私が勤めていた問屋は、ある百貨店と取引していたが、商品は全て委託(浮き貸し)だった。長い間商品を百貨店に預けて売れた分だけ入帳する(売上に挙げる)。戻ってきた商品の一部は、長い間店頭に置かれていた為汚れているものもあった。それらは全て問屋が処理しなければならない。
その頃から大規模な展示会を催す業者が増えてきた。体育館のように広い展示会場に大量の商品を集めて消費者を誘う商法である。「友禅の館」「愛染蔵」「たけうち」などがその例である。それらが展示する商品は全て「浮き貸し」によるものである。
尚、今挙げた三社は、後に多額の負債を抱えて倒産している。これも覚えておいていただきたい。
業界で浮き貸しの取引が増える中で、それでも問屋は買取をしてくれる小売屋を欲していた。支払いが間違いなく、返品の無い小売屋は問屋にとってはありがたい存在だった。
私の店も仕入れには厳しく算盤を弾いて、問屋にとっては浮き貸しよりも利幅が少ないにも関わらず、問屋さんは付き合い続けてくれた。商品を店に持ち込んでは広げ、小売店向けの展示会があれば案内状を持ってきてしつこく来店を促された。一反でも多く小売屋に商品を買い取ってもらいたいのが問屋の本音で会った。買取商売は、やはり商売の王道である。
呉服の需要が減り、売り上げが減ってくると小売屋も余り商品の買取をしなくなった。と言うよりも売り上げの減少に比例して買い取る量も少なくなってきた。問屋としては売り上げ減少に歯止めを掛けなければならない。
そこで始まったのが大規模な展示会商法(消費者セール)である。問屋が商品を並べ、小売屋がお客様を連れてくる。お客様が買った分だけ小売屋の仕入れとなる。買取をしたくない小売屋と売り上げを創りたい問屋のタッグマッチである。
この大規模な展示会では、問屋自身も商品を買い取らず浮き貸しで調達しているケースが多い。即ち、問屋が染屋織屋から商品を借りて展示会場に並べる。結局、問屋も小売屋も在庫負担はなく、染屋織屋がその負担を負うことになる。
染屋織屋にしても売上を創る為にはそういった展示会には乗らざるを得ず、次第に広まっていった。
展示会の商品は、染屋織屋、問屋、小売屋のリスク回避の経費を背負って莫大な価格となって並べられる。それでも呉服の商品相場に疎い消費者は、適正な価格の数倍で購買してくれる。
このような流通に慣れた業界では、更に大規模に展示会を催して売り上げの確保を図っている。問屋は、より大規模により多くのお客様を集める業者に傾倒し、商品を注ぎ込んでゆく。
一回の展示会で数千万円の売り上げを創る小売屋であれば、問屋は惜しみなく商品を用意して投入する。そうした商売に慣れた問屋は既にそれが商売の主流になってきている。商品をかき集めて浮き貸しして多大の売上を創る。そのような問屋では、もはや中小の小売店が買取をする金額などは物の数ではないのだろう。
最近、私が憂慮するのはこの点である。
問屋の中には、昔は買取を歓迎していたが、最近変わってきたところがある。商品仕入れに赴いても、余り歓迎されないのである。商品を買い取り、返品せずに代金を支払う、と言う商売の基本的な事を忌避するのである。
大手の問屋にとっては、中小の小売屋が買い取る金額など多寡が知れているのかもしれない。また小売屋の中には買取をしない小売屋も増えている。しかし、大規模な展示会に浮き貸しとは言えども大量の商品を投入すれば大きな売り上げが得られる。価格も、買取の様に算盤を弾いて値引きに応じる必要もなく、大きな利幅で売り上げができる。買取などあてにしたくない気持ちも分からない訳ではない。
しかし、このような流通体系には大きな問題が伴う。
まず価格である。買取と言うフィルターを通さずに、リスクの上澄みが重ねられた商品は、消費者に渡る時にはべらぼうな価格となっている。結果的に最終的には消費者に負担が押し付けられる。価格が高くなれば消費者は購買を避けるのが流通の常識であるが、何故か呉服の場合、消費者は高額な買い物を黙ってしている。このような価格が通るのは、商品価値の分かりにくい呉服ならではかもしれない。
次に、商品の質の低下である。小売屋が商品を買い取る場合、「絶対に売れる」と思った商品にしか手を出さない。もしも売れなければデッドストックとなり、その損は自分が被らなければならないからである。
問屋が染屋織屋から買い取るにせよ、小売屋が問屋から買い取るにせよ、それらは強力なフィルターとなり商品は、より消費者が求める物になる。小売屋が消費者の好みを見極めながら問屋から商品を買い取る。問屋は小売屋が求める商品を染屋織屋から買い取る。そうして、染屋織屋は消費者が何を求めているか(売れ筋)が分かるのである。
しかし、浮き貸しの流通では、染屋織屋は消費者が何を求めているのかが分からないままに物創りをしなければならない。展示会場をいっぱいに梅の為だけの商品が創られ、業界の質を高める為に必要な物創りの心が失われてしまうのである。
大手問屋が売り上げを創ろうと大量の浮き貸し商品を市場に投入する事によって、もう一つ忌々しき事態を招いている。
呉服に限らず商売を始めようとすると、いきなり大きな商いはできない。小さな商いから初めて日本を代表する企業に成った成功話はよく聞く。そんな会社は初めは創業者が一人でコツコツと商売をして、お得意さんを増やし信用を獲得して行くものである。
商売をするにあたって必要不可欠なのは資金である。特に製造業や物販・流通業ではある程度の資金がなければできない。製造業であれば製造の道具・機械や原料費など。物販・流通業であれば店頭に並べる商品・在庫が必要である。資金もなしに、いきなり大きな店舗を持つことは難しい。
しかし、呉服業界にあっては、浮き貸しと言う流通システムがそれを可能にしている。在庫はなくても問屋がいくらでも商品を貸してくれる。店舗は持たずとも展示会をする時だけ会場を借りて商いをする。とても効率の良い商売である。
効率の良い商売だけに、このような商いに参入する業者(呉服屋ではなく)が後を絶たない。大風呂敷を広げて大きな商いをすれば、大手の問屋はこぞって群がってくる。商品はいくらでも集まり大して資金がなくても大商いができる。
このような商売が上手くゆけばよいのだが、次々と破綻している。先頃倒産した「はれのひ」はその典型的な例である。
創業して2年と経たない会社が年間3億8000万円(公表値4億8000万円)の売上を創り急成長を見せていたが、結局6億とも10億ともいわれる負債を抱えて倒産している。
「はれのひ」の経営者の無能は指摘されて当然だけれども、それを支えた浮き貸しで商品を供給した問屋側にも責任がある。進んで商品を提供した問屋の中には数千万円の商品代が未回収になったところもあるが、それはその問屋が責任を持てばよい事である。しかし、責任はそれで終わらない。振袖を着られなかった人達、預けた振袖が戻らない。一年二年先の予約金が戻らない、など金銭では片付けられない問題が付いて回る。
「はれのひ」だけでなくこのような倒産は以前から何度となく起こっている。「友禅の館」「たけうち」「愛染蔵」等々、大型倒産が起こる度に決まって大手の問屋が債権者に名を連ねている。数千万円から数億円の損を出しながら凝りもせずに問屋が何故次々と浮き貸しを続けているのか理解に苦しむ。
しかし、やはり大きな問屋では大きな売り上げを創っていかなければならない。一方で買取をする小売屋は激減している。買取を続けている(当社のような)零細な小売屋を相手にしていても売上は上がらない。まして算盤を弾いて値段の交渉をしていては手間も掛かり、利幅も小さくなる。
染屋織屋が問屋に商品を貸してくれるのであれば、大風呂敷を広げる業者に浮き貸しして大きな売り上げを創ったほうが簡単でリスクも少ない、と考えているのだろう。
こうした事が行われると、問屋自身がどのような商品を流通させているか分からない。消費者にいくらで販売されているかも分からない。と言うよりも責任不在となる。問屋は、ただの商品を仲介する業者に過ぎなくなってしまう。つまり、呉服そのものを考える事もなく、業界の将来を考える事もない、利益を求めるだけの流通に他ならない。
目先の売上だけを考えずに、呉服の将来、業界の将来像を考えながら呉服を流通させなければならないと私は思っているが、どうも反対の方向へ行っているらしい。
それにしても、「はれのひ」のような業者が出るたびに商品を供給し加担し、その度に倒産に合って莫大な負債を創りながら凝りもせずに繰り返しているは不思議でならない。一方で地道に買取をしている小売屋を相手にしなくなるとすると、呉服の将来はとても心配になるのである。