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全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅵ.きものつれづれ 27.着物の正しい認識

きもの春秋終論

 日本の着物の素晴らしさは、今更説明するまでもない。日本人ばかりではなく外国人の着物に対する関心も並々ならぬものがある。

 札幌冬季オリンピックの前に開かれたグルノーブルオリンピックの閉会式で、札幌市長と共に現れた振り袖姿の女性を見ようと、選手達が一斉に列を崩して殺到したときの様子は余りにも印象的だった。

 母が30年前に旅行で中国に行った際、当時は現在の中国とは違って皆人民服を着ていた当時だけれども、母の着物姿を見ようとたちまちに黒山の人だかりになったという。

 今、京都や浅草を歩けば、着物や浴衣を着た外国人に遭遇する。着物を着てみたいと言う外国人は少なからずいる。

 先日、着物を仕立てたお客様が、次のような事をおっしゃっていた。

「着物の魔力はすごいですね。」

 その方は、最近着物を着始めたのだけれども、着物を着て行ったら、皆の見る目がまるで違ったという。他のお客様とも着物の話を良く話をするが、

「日本人は、どんなに高価な洋服を着ても、着物にはかないませんね。」

 と言うのは、誰しも認めるところかと思う。

 では、着物の良さとは何か。何故、着物は素晴らしいのかを深く考えてみたいと思う。

「着物は日本の伝統の衣装」「日本古来の着物」と言う見方がある。また一方で、正反対の見方もある。業者によっては、

「着物や浴衣は自由です。どんな着方をしても良いんです。」

と言って、今までの伝統からすれば、まるで外れた着物の着方を勧めている。平時に黒紋付(喪服)を着る。女性が男物の羽織を羽織る。浴衣に比翼を付ける。浴衣帯に帯締めを締める等々、今までには考えられなかった着物の着方が巷にあふれている。

 着物の伝統を擁護しようとする人達、着物の伝統を無視して着物を着る人達、客観的には、どちらにも軍配を上げるわけには行かない。着物に限らず、着る物に関して法的な規制はない。何を着ようと個人の勝手だからである。

 規制があるとすれば、それは社会的な目である。その人の衣装が社会的に受け入れられるのかどうかは、本人の好みで決められることではない。葬儀に赤いワンピースを着ていけば、その人は社会的な制裁を受けるのである。

 さて、社会的な目とは、社会一般の常識である。社会常識が正常であれば、衣装を通したコミュニケーションもうまく行くはずである。

 着物に関する社会常識を正常にするには、日本人の着物に対する認識を正しい物にしなければならない。「正しい物にする」というのは、画一的な着物を目指すのではなく、着物に対する正しい認識に立脚して、今後の着物のあり方を考えなければならないと思うのである。

 そういう意味で、着物の良さは何なのか、日本人にとって着物とは何なのかを考えていただきたいのである。

「着物は日本の伝統衣装」「古来から日本人が着てきた」などと言われるけれども、現代の我々が着ている着物の歴史は、それ程古い物ではない。

 日本人は2000前にはどのような衣装を身に纏っていただろうか。庶民は、貫頭衣と呼ばれる簡素な衣装を着ていた。今の着物とは似ても似つかぬ衣装である。時代と共に、衣装は合理性と共に装飾性も重視され、より複雑な衣装となる。

 平安時代の十二単らしい衣装を見ると、現代の着物のルーツを見たようにも思える。しかし、幾重にも重ね着をして裾を引きずって歩く様は、着物とは似ても似つかない。

 時代を下り、着物の直接のルーツと思われるのは小袖である。小袖を着た絵や博物館で衣桁に掛けられた小袖を見ると、現代の着物とそう変わらないようにも見える。

 しかし、細部を見れば小袖は現代の着物とは大きく違っている。また、着方も違っていた。今のように帯の太鼓結びはなく、細帯を締めていたり、花柳界では帯を前で結んでいた。現代の着物姿で江戸時代にタイムスリップしたとしたら、江戸の街の人達に奇異の目で見られることだろう。

 逆に現代から歴史を遡れば、現代の着物のルーツはどの辺にあるのだろう。

 現代の女性の着物の特徴は「おはしょり」と「太鼓結び」である。
「おはしょり」の起源については、専門家に聞くしかないが、昔の「ひきずり」と関係があるのではないかと思う。当時の上流階級の女性の着物(今で言うフォーマル着)は、「ひきずり」だった。裾を前で合わせないために、柄は「島原褄」や「江戸褄」と言った、左右前身頃(今で言う上前下前)の柄が同じように描いてある。

 もちろん屋内の衣装だったが、表に出ようとすれば、裾をたくし上げなければならない。京都の舞妓さんは裾をたくし上げて手で押さえながら歩く姿を見かける。手で押さえないとすれば紐で固定しなくてはならない。そういった事情で「おはしょり」ができたのだろう。

 太鼓結びは江戸時代、文化・文政時代(1800年代初期)に考案されたと言われている。当時、どれだけ一般的だったのかは知らないが、次第に太鼓結びが一般的になってきた。明治に入ると一般化していたのだろう。

 いずれにしても、現代の着物姿の原型は明治時代の頃で、せいぜい150年位の事のようだ。

 明治以後、150年間の間にも着物は変化してきた。

 名古屋帯は単衣太鼓の帯を意味しているが、元々は胴の部分を反巾に仕立てた、いわゆる名古屋仕立ての帯を意味していた。これは、大正時代に名古屋で発明されたもので、全国に広まっていった。せいぜい百年前の事である。

 着物の形状は、季節により、性別により、またフォーマル、カジュアルの別に関係なく基本的には同じである。振袖は袖が長い、男性用は身八口がない等細部では違いはあるが、概ね形は同じであり、個性的な形の着物はない。

 着物の形状は、昔から変わりがないように思われるが、小袖から現代の着物に変わったように、非常に長いスパンではあるが、変化している。

 変化しているのは、着物の形状だけではない。着物の種類やその着方、所謂TPOも時代と共に変化している。

 現代の女性の式服とされる黒留袖は、それ程昔からある着物ではない。年配の方の中には、「黒留袖」を「江戸褄」と言う人がいる。もともと「江戸褄」は、「黒留袖」ではなく、引きずりの柄付けの名称である。柄を高くまで配した「島原褄」に対して柄の低い着物を「江戸褄」と称した。派手な「島原褄」に対して江戸の質素な「江戸褄」と言う位置づけだろう。

 黒留袖には裾にしか柄がなく、比較的低い柄なので、留袖を江戸褄と言ったのかもしれない。これは、黒留袖と江戸褄が昔から共存していたのではない事を意味している。黒留袖も日本の長い歴史から見れば、ごく最近にできた着物だと言っても良い。

「訪問着」もいつ頃できた着物なのか私は知らない。戦前には「訪問着」と言う着物はなく、似たような着物は「さんぽ着」と言われていたらしい。

「付下げ」に至っては、昔はなかった着物である。『付下げと訪問着の違い』については、「きもの講座 2 きものの格について」で詳しく書いているので、そちらをお読みいただきたいが、「付下げ」と言う言葉ができたのは昭和30年頃らしい。今でこそ、訪問着だの付下げだと言われるけれども、昔はそのような着物はなかった。

「紗袷」と言う着物があるが、一般に市場に出回ったのは昭和40年頃らしい。しかし、大正時代頃、花柳界で着られていたと言う話もある。

 而して、着物の形式はわりと短期間で変遷している。現代の着物が、数百年も前から着られている訳ではないのである。

 TPOについても同じことが言える。

 現代の感覚で言えば、白は慶事の色、黒は弔辞の色と言う印象があるが、昔は反対だった。白装束は市に装束である。黒紋付は最高の式服であり慶事に着られた。慶事に着られる黒留袖が黒なのはその名残だと私は思っている。

 戦国時代に来訪したポルトガルの宣教師が、日本と欧州の慶事・弔辞に着られる黒白の装束が正反対なのを驚いた記録がある。白が慶事となったのは、欧米の習慣の影響かもしれない。

 最近、結婚式で新郎が白の紋付を着ているのを良く見かける。「新婚早々切腹でもするのだろうか。新婦がかわいそうに。」等と私は冗談を言うのだが、従来の着物の感覚とはずれてきているのは事実である。

 式服と言えば戦前は、縞御召に黒羽織が女性の正装だったと聞く。今は女性の御召は正装とは見られないし、正装に羽織は着ない。我々が小学校の時代は、PTAのお母様方は、入卒式には黒の絵羽織が定番だったが、今はほとんどなくなってしまった。私が京都の問屋にいた時(昭和50年代後半)、黒の絵羽織が一山(20反位)が手を付けられずに置いてあった。丁度時代の境目だったのかもしれない。

 例を挙げればキリがないのだが、着物の形状、着物の種類、TPOは時代と共に変遷してきた。それも、その変化とは、比較的短いサイクルである。まず、このことを頭に入れておいて欲しい。

 さて、ここで話をやめてしまうと、着物について大きな誤解が生ずることになる。着物を本当に理解してもらうのはここから先である。

 日本の着物は、決して昔から変わらない訳ではなく、時代と共に変ってきた。現代の着物と飛鳥時代や奈良時代の衣装とは似ても似つかない。しかし、その変遷は時代と共に徐々に途切れなく連続的である。昨日まで着ていた衣装が、今日から日本全国で全く違う衣装になることはなく、着ている人から見れば、何の違和感もなく変わってきたのである。

 着物の形式やTPOが比較的短いサイクルで(洋服に比べればずっと長いけれども)変化している。それでは、果たしてこれからの着物は、どのように変わって行くのだろう。「これから」とは言わず、今目の前で起こっている着物の変化をどう受け止めればよいのだろう。
「女性は羽織を着なくなった」「男性が結婚式で白の紋付を着る」「女性が男性の古着を着る」「葬式で一般参列者は黒紋付を着なくなり、着て行けば親族と思われる」「浴衣に比翼をしたり、帯締めをする」等々、今の着物は昔と変わってきている。これを「着物文化の乱れ」と捉える向きもある。

 私は、着物が変化してゆくのに必ずしも反対する、あるいは畏怖を覚える物ではないが、現代の着物の変化は、「着物文化の乱れ」と言う要素も多分に含んでいると思う。
改めて言うが、着物は千数百年の歴史を経て今日の形となっている。日本人が長い時を掛けて、試行錯誤しながらその時代の衣装を創ってきた。

 着物に限らず、人類の歴史が創り上げてきた文化は人を感動させるものである。
衣装、建築、料理、音楽等、国や民族が違えば全く違うが、それぞれの民族が長い歴史の中で育んできたものは、他の国や民族の人にも感動を与える。

 京都には沢山の外国人観光客が押し寄せている。何故それ程までに京都は世界中の人々を魅了するのだろうか。京都には、金閣寺や銀閣寺、清水寺、京都御所など名刹や名所が沢山ある。しかし、京都の本当の魅力はそればかりではない。

 烏丸通りや四条通、河原町通から一歩出れば、そこには町屋が並んでいる。その一角には名もない小さな社があり古い地蔵さんが立っている。そして、地蔵様には真新しい頭巾と前掛けが着せられ、お供え物が供えてある。それは京都の人達が千年以上の時を掛けて育んできた風景である。

 日本の文化や歴史を知らない外国人であっても、それは直ぐに日本の風景だと認識する。日本人が積み重ねてきた文化には、日本を知らない外国人も感じ入るのである。その反対の例もしかりである。

 多くの日本人が世界中を旅しているが、欧米の歴史を知らない日本人でも、キリスト教の文化を良く知らない日本人でもバチカンのセントピーター寺院の前に立てば、その壮大さと奥深さに感動する。欧米の人達が育んできた歴史を感じるのである。

 料理も同じである。京都の料理は「京料理」とも呼ばれている。平安時代には、ヒジキと油揚げが最高の御馳走だったと聞いたことがある。真偽のほどは分からないが、今よりは遥かに貧しい食生活だっただろう。しかし、その後千年の間に、京料理は、地道に素材や調理法を工夫してきた。

 海が遠いにも関わらず、鰊を取り入れ「ニシン蕎麦」や「鱧料理」を京料理の名物にしている。京料理の職人たちは試行錯誤を繰り返しながら、それまでの料理を土台に京都の味を創り上げてきたのである。

 着物も同じである。現在の着物は、誰かがデザインして出来たものではない。長い日本の歴史が、合理性や装飾性、また習慣に則したものとして創り上げてきた。そしてそこには技術の進歩がその進化を助長してきた。

 今日の着物は、日本の長い歴史とそれを創ってきた人々の努力の上にある。それ故に日本の着物は、世界中の人達にも、素晴らしい日本の文化として受け入れられている。

 着物は、非常に合理的に出来ている。それは構造のみならず、メンテナンスやTPOにも及ぶ。

 襦袢には半襟が付いている。着物には掛け衿が付いている。いずれもそれらの役割は汚れに対する工夫である。首筋に付きやすく汚れやすい処に付けた交換可能な布である。
八掛は、袷の着物の裏地で、表地の色とのハーモニーを楽しめるが、実は、表地が破れるのを防ぐ役割がある。八掛は表地よりも少しはみ出させて仕立てるので、裾が擦れた時、表地は擦れずに八掛が先に敗れる仕組みになっている。八掛が破れたら仕立て直すときに八掛をずらせば、元通りに仕立てる事ができる。

 着物のパーツやTPOを始めて見る人にとっては、「何の為に?」と思われるものもあるが、それらも歴史を踏まえた理由がある。

 伊達襟(重ね衿)と言うものがある。始めて見る人にとっては、お洒落の為の只の飾りに見えるかもしれない。しかし、伊達襟は、おそらく十二単までその起源は遡るだろうと私は思うけれども、暖かさの演出である。

十二単を着ていた人は御殿の奥でひっそりと暮らしていただろうけれども、庶民とはかけ離れた生活である。十二単の華やかさの幾許かを伊達襟を付け目事で演出し、暖かさを表現している。

 黒留袖には、「比翼仕立て」がなされる。着物の内側に「比翼」を付ける。何故このようなビロビロとした布を付けなければならないのか、不思議に思う人もいると思う。昔は比翼を付けずに、留袖の中には「下着」と呼ばれるものを着ていた。着物の下着と言うと「襦袢」を連想される方もいるけれども、下着は襦袢とは別物である。下着は襦袢を着た上に、留袖(着物)と重ねて着る。従って、衿や裾からは下着が重なって見える。後に下着を着るのを省略したのかどうかは分からないが、下着を着る代わりに比翼仕立てをして、あたかも下着を着ているかのように見せたものである。

 このように、着物は時代を経てより合理的な形となり、また伝統を踏襲しつつも、より着易いものに改良され受け継がれている。

 そういう意味で、今後着物が変化してゆく中で、築き上げた伝統と慣習を尊重していかなければならないと思う。その為には、着物はいままでどのように着られてきたのか。その 着物を着る意味は何なのか等、着物を知ることにより、より良い着物の将来が開ける事と思う。

 着物の正しい知識を得る事が、着物の文化をさらに良い物とするだろう。

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