全日本きもの研究会 きもの春秋終論
Ⅵ.きものつれづれ 45(呉服の)商売とは?
私は呉服を商っている。呉服を売るのが私の生業である。私が父から結城屋の判子を預かってから30年になる。その間ずっと真面目に商売をしてきたつもりである。
商売をする者、会社を経営する者は皆成功したいと思っている。商売を繁盛させ、会社を隆盛に導くことは成功の証と言える。
どんな商売をしていても、どんな会社を経営していても、同業異業を問わず他人の商売、他の会社が気になるものである。取り分け「成功した」と言われる会社を見ては、「自分もそうなりたい」と、その会社を鑑にあるいは参考にして己の商売の糧とするものである。
では、「成功した会社」とはどんな会社なのか、どのような会社をどのような商売を手本とすべきなのか、私にとってその答えは私が若かった頃のそれとは違ってきているように自分で思う。
一般的に、手本とすべき会社の条件を挙げて見よう。
・たくさん儲かっている会社
・急成長して大きくなった会社
・大きな会社で従業員も沢山雇っている会社
・全国に販売網を持つ有名な会社
・海外にも進出して大きな話題となっている会社
まだまだあるかもしれないが、いずれも手本にしたくなる会社である。
儲かっている会社と言えば、孫正義さんの率いるソフトバンクは経常利益が6,300億円。孫正義さんが、いわば一人で築き上げた会社でこれ程の利益を出すのは尊敬すべきことである。
また、社員の高給でしられるキーエンスは、経常利益が3,200億円、経常利益率は54.5%、とても我々の会社とは比べるべくもない。
急成長する企業は、最近IT関係に多く見られる。楽天はインターネットモールの会社だったが急成長し、今は金融や携帯電話にまで事業を急拡大している。外食産業では回転寿司が全国に数百店の店を持ち海外にまで進出している。
話は大きくなってしまったが、呉服業界に写してみよう。私が京都で修業していた時分、呉服業界でもまだまだ目を見張るような会社は多くあった。
当時呉服業界で急成長する店や儲かっている店のキーワードは、「訪問販売」「展示会」「組織販売」「電話勧誘」であった。
訪問販売を繰り返し、多くの顧客を獲得して売上を伸ばす。あの手この手で展示会にお客様を誘って販売する。組織販売と言う巧みな販売法で地域を一網打尽に顧客を獲得する。そう言った商法が業界を活気づかせ?ていた。
私が京都を離れる時、
「結城君も組織販売をやるのか?」
「展示会をやるのならノウハウはあるから、いつでも声かけてや」
と京都で知り合った知人に言われたものだった。しかし、私はそういったものに興味がなく、いや器量がないと言った方が良いかもしれない。
山形に戻ってからも、私の店では、来店されるお客様に商品を売る、と言った昔ながらの商売をしていた。展示会も行っていたが、訪問して勧誘する事もなく電話勧誘する事もなく、着物が欲しい人に来店いただいて、必要にして十分なだけの売上を創っていた。
しかし、それをよそに業界では、大規模な展示会、消費者セール、組織販売による売上の急伸が景気よく報じられていた。問屋も展示会や組織販売への商品供給に一生懸命で、私の店のような小さな呉服屋には目を向けなくなる問屋もあった。
一度、大手の問屋に展示会の為に商品を貸してくれるよう頼んだが、
「お宅は展示会の歩留まりが悪いので・・・」
と断られてしまった。
私の店では、その問屋からは商品を買い取って仕入れている。買取もしない小売屋に大きな展示会を催すからと言って大量に商品を浮き貸しし、商品を買い取っている店には規模が小さいからと商品を貸し渋るのは商売の仁義に反すると思ってたいたが、案の定その問屋は倒産してしまった。倒産して他の問屋の傘下に入ったが、未だに展示会で商売をしているという。
さて、時代の波に乗って急成長していた呉服屋もそう長くは続かなかった。膨れ上がった売上を抱えたナショナルチェーンは見る見るうちに売り上げが二分の一、三分の一に減って行った。時代の寵児としてもてはやされ急成長した呉服屋は次々と倒産して行った。
果たして、手本にすべき企業としていた「たくさん儲かっている会社」「急成長して大きくなった会社」「大きな会社で従業員も沢山雇っている会社」は、意外と脆く、短期間に姿を消していった。呉服業界以外でも、手本にすべきと思っていた企業が脆くも凋落する例は後を絶たない。
IT関連のメーカーやソフト会社の身売り、倒産は日常茶飯事である。日本が世界の最先端と思っていた物も直ぐに外国にシェアを奪われ身売りする例も多い。アパレルメーカーも流行に左右され浮き沈みが激しい。アーノルドパーマーやアクアスキュータムと言ったブランドを抱え、世界最大のアパレルメーカーと言われたレナウンも業績不振で株式会社レナウンは登記上消滅し、中国企業に身売りしている。
企業の急成長、大規模化は企業を預かる者の夢であり、それは私も変わらない。しかし、現実はそれを持続する事がとても難しい事を現実は突き付けている。
呉服業界の場合、風船が縮むが如く業界が縮小する中に有って、無理に成長しようとしたのが誤りだった。売れない着物をむりやり売る為のあの手この手の販売は、いつか限界が来るのを誰もが悟っていただろう。一時の急成長は健全な成長とは言えない。時代の趨勢を判断しながら自分の商売の限界を見定めなければ企業として生き残ることはできない。
多くの新興企業が急成長する中で、一方老舗と呼ばれる企業がある。私の店は創業120年を越える。帝国データバンクによると山形県には100年以上の企業が766社ある。その内山形市が201社である。老舗出現率は4.68%で全国二位。京都では100年足らずでは老舗とは言えないと言う話も聞いたが、山形は京都の4.73%(1403社)に次いで老舗(100年を越える)出現率が多い。因みに三位は新潟県で4.29%(1379社)である。(帝国データバンク調べ)
私の店は、決して老舗と呼ばれる店とは思っていないが、一般に老舗と言うと、どんなイメージを持つだろうか。
山形には「山形しにせの会」と言う会がある。顔ぶれは、お菓子屋、造り酒屋、塗師、漬物屋、味噌醤油屋、料亭、蕎麦屋、鋳物屋、お茶屋などである。いずれも100年を優に超し、江戸時代創業の店もある。それぞれの店は100年以上の立派な門構え、そして古い蔵もあり老舗の名に相応しい店ばかりである。その老舗の主人と言えば、七代、八代、店によっては十数代の肩書を持ち襲名している。何故それ程長く商売を保っていられるのか。
老舗の看板は非常に大きく重みがある。ともすれば、老舗の旦那は、その看板に胡坐をかいて左団扇でいるような印象も与えかねない。しかし、現実はそうではない。同じ商売を何十年、何百年間続ける苦労と言うのは、会社を急成長させたり、短期的に大儲けするよりももっと難しいように思う。
同じ商品を時代に合わせながら作り続ける。技術を数百年間伝え続けるといった努力は、並大抵の努力ではない。経済誌のトップを賑わせるような華々しさはないが、地道な努力と時代に取り残されない気配りも必要である。
老舗企業の中には1500年続く宮大工の会社がある。1500年と言うのは奇跡に近いような年月だが、3~400年の老舗であっても、その間様々な出来事に遭遇した事だろう。戦乱、飢饉、災害、社会変動、家庭内の事情など。それらを一つ一つ克服して今日まで暖簾を揚げ続けている。
ここ百年間を振り返っても、関東大震災、昭和恐慌、敗戦、ドルショック、オイルショック、バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災と、幾多の災禍が商売を襲ってきた。その度に老舗であるかないかを問わず、多くの商売人たちはそれを乗り越えて来た。東日本大震災では、金融的なダメージのみならず、店を流され商品を流され、それでも商売を続けている人は沢山いる。
そう考えれば、今日のコロナウイルス騒動も商売をする者にとっては大きな試練の一つであるが、老舗と呼ばれる店が今までに色々な問題を克服してきたように、我々も乗り越えなければならない問題であり、乗り越えられるものと思う。
商売は、長く続けることである。特に呉服の商売は長く続けることに意味がある。商売を続けるにはお客様の信用が必要である。呉服屋にとってそれは必須条件である。流行に乗って大儲けして、そして去って行くような商売もあろうけれども本当の商売はそうではないだろう。
老舗企業が何故長く商売を続けられたのかと言えば、使い古された言葉だけれども、「信用」の一言だろう。商売は、お客様あってはじめて成り立つ。お客様に支持されなければ商売はできない。そして、支持してくれるお客様が離れず支持し続けてもらう事が必要である。一時お客様に良い顔をして商売をし、それを裏切って今度は他のお客様に良い顔をするような商売は長く続けることはできない。
最初から倒産、破産を目論んでいるわけではないかもしれないが、急激に商売を拡大し、儲けるだけ儲けて破産してしまうケースも散見される。呉服業界で言えば、「友禅の館」「たけうち」「愛染蔵」「はれのひ」など、冷静な目で見れば、そんな商売いつまで続けられるのかと思って見ていると突然破綻してしまう。そのような商売は呉服業界では今でも見受けられる。
商売を拡大しようとすれば無理が重なり、お客様をないがしろにしてしまうのだろう。縮小する呉服業界において急成長しようとすれば、他の業界よりも無理が拡大してしまう。呉服業界で商売を続けようとすれば、自ずから商売を拡大しようとしなければ自然に萎んでしまう。今の呉服業界の問題であり、我々小売屋にとっては頭の痛い問題である。
今、流通の世界ではインターネットによる販売、SNSによる情報の提供が急速に進んでいる。インターネットで商売をする呉服屋も多くみられる。
私も2000年よりインターネットによる販売や情報提供を行ってきた。最初は、それ程競争相手も多くはなかったが、最近は、楽天等のインターネットモールにも数多くの着物や帯が出品されている。
急速に発達したインターネットの世界。WEB上での商品販売は急速に伸びている。多くの業種、業界、企業がそれに乗って販売を増やそうとしている。しかし、皆が揃って目指す商売には激しい競争が伴い、リスクも大きくなる。
先日、楽天市場がアマゾンに対抗して送料無料の方針を打ち出した。公正取引法に抵触すると新聞テレビでは物議を醸したが、少額品を扱う出店業者にとっては死活問題である。数を頼みに稼いでいた儲けを掬い取られる思いだっただろう。
インターネットの商売は急成長している分、競争も激しくリスクも大きくなっている。我々零細業者は次第に付け入るスキが無くなってきている。私のHPでも商品を売ることは次第に困難になってきている。
それでも、私の店の商売に於けるインターネットの活用は別の道が開けてきている。私の店のホームページ(今ご覧のHP)は毎日100人以上の人にご覧いただいている。グーグルなどの検索で訪問される方も毎日50人を超えている。開設して20年を経過しているので、延べ数十万人の方にご覧いただいているはずである。
それだけ訪問者がいれば、販売に繋がりそうだけれども中々そうは行かない。大方は、お客様の問題ではなく私の対応の悪さなのだけれども。しかし、WEB上では注文の無いHPが、最近私の店の商売にじわじわと影響を与えてきている。
いつの頃からか、HPを見た県外のお客様が店を訪問して下さるようになった。「きもの春秋終論Ⅵ-31.日本のきものを支える底力」で書いたように、わざわざ京都からお出でいただいた事もある。他にも富山や名古屋、関東圏などから来店されている。その数はそう多くはないが、確実に増えている。
わざわざ来店されるお客様とは別に、
「あら、ここがあの結城屋さんだわ。」
と言って入ってこられるお客様もいらっしゃる。
遠路はるばる来店されたからと言って、皆が買い物をして行くわけではない。話をしにいらっしゃる方、商品と価格を見て行かれるだけの方も多い。
また、店にはお出でにならないけれども、メールや電話で注文や相談を寄せられるお客様も多くいらっしゃる。具体的に探している商品の問い合わせや仕立て、直し、染抜きなどの注文。着物を着る上で分からない事の相談である。
これらのお客様は、私にとってとても嬉しい、また大切なお客様である。大きな売り上げを創ってくれるお客様ではなくても、皆間違いなく私の店を見てくれているお客様である。
最近(と言っても、ここ数十年)の呉服屋の商売は、10人の顧客名簿を獲得すれば、10人に高額な着物を売る、と言うのが多い。これも呉服業界が縮小している故の現象だろうけれども、果たしてこのような商売がいつまで続くのだろうか。
顧客を獲得するには、まず宣伝が必要である。自分の店を世に知らしめることである。店に看板を出したり、DMを送ったり、新聞チラシを折り込んだり、と言った古典的な宣伝方法もあるが地域が限定される。商圏が狭かった昔はそれで良かったかもしれないが、通信、流通、運輸が発達した今日、山形のような片田舎であっても、全国が商圏であるとも言える。全国に宣伝する方法として専門誌の広告があるけれど、非常に高価であり容量も少ない。
そういう意味でインターネットは実に安価に自分の店を全国にアピールできる手段である。新聞チラシを10万枚近辺に折り込むよりも遥かに安価に広範囲に伝える事ができる。そして効率よく読者に伝わる。
私は、商売を長く続けるには多くのお客様が必要だと考えている。お客様と言うのは、直接着物を買ってもらう人だけではなく、私の店を見てくれている方々である。インターネット、私のHPを通じて10万人の方が私の店を見てくれているとすれば、私がHPを立ち上げた目的は100%達成されたと言える。
その10万人の内、実際に私の店で買い物をしたり、着物の加工、メンテナンスの注文をくださる方は年間10人くらいかもしれない。お客様と言うのは、毎日買い物をしてくださる方を言うのではない。月に一度お出で下さる方もいれば年に一回、また十年に一度と言う型もいらっしゃる。人によって私の店を必要としてくれる度合いは違う。
毎日着物を着ていらっしゃる方は、そんなに高額な買い物はして下さらないかもしれないが、普段履きの草履や足袋をときどき買いに来て下さる。
自分が嫁入りの時着物を揃えてくださった方が、それ以来初めて娘の嫁入りの着物を買いに来る、と言ったケースも多い。多かれ少なかれ着物を必要とする時に私の店に訪れてくださる方がお客様である。
インターネットを通して、「着物を買う時には」「仕立て替えする時には」「しみ抜きをしてもらう時には」私の店を候補にしていただければ良いのである。
先日、遠方よりわざわざ来店してくれてお客様が居られた。事前に電話を頂き来店してくれたのだが、目的は着物の仕立替だった。仕立替やしみ抜きなどは、時々遠方から注文を頂戴する。メールで情報を交換したうえで着物を送って来る。送って頂いた着物を見て、加工の方法や可否を判断して見積もりが合えば加工する、と言ったのが普通である。わざわざご来店頂かなくても間違いなく加工して送らせてもらっている。
しかし、そのお客様は来店なさると言う。山形が実家であるとか、仕事のついでと言う事でもないらしい。そして、来店して下さった。聞けば、山形は初めてだと言う。わざわざ私の店を、その為に訪問していただいたのだ。私は、本当に嬉しかった。嬉しさを通り越して申し訳なさを感じていた。それと同時に、「当社を信じてお出でいただいたお客様を決して裏切ることをしてはいけない。」そう思う気持ちは、自分が行ってきた商いの方向が正しかったと思う一方、責任の重さを痛感させられた。
このような商売は、つい30年前までは考えられなかった。インターネットと言う環境が商いの可能性を大きく変えた。それ以前も流通交通の発達で、随分日本が狭く(便利に)なったと思っていたが、インターネットのお陰でそれが更に一気に縮んでしまった。お客様に遠い近いの壁は存在しなくなった。
このような環境の中で、呉服の商売は益々難しくなっていくかもしれない。しかし、店の信用を守る事、より多くの人達に自店の存在をアピールする事によって、私の店を見てくれる人、信用してくれる人が一人一人増えて言ってくれれば良いと思う。