全日本きもの研究会 きもの春秋終論
Ⅰ 着物の価格形成 ⅴインターネットの価格
インターネットが普及して久しくなる。インターネットによる物品の販売は年々伸びている。私も1990年代よりHPを立ち上げて商品の販売も行ってきた。
当初、インターネットで本当に着物が売れるのか、という懐疑論がまかり通っていた。長年呉服を商っている者には、着物がインターネットで売れるとは到底思えなかったのである。着物は、触れて身に着けてみて初めて分かる商品。ましてネットで真色は出せず、色の風合いも分からないままに着物買う人はいないだろうと言う見方である。
私も少なからずそのような感慨に捉われ、半信半疑でWEB販売を始めたが、見る見るうちに市場は広がっていった。
着物の販売ページは星の数ほどある。安売り商品を売るページから高級品を売るページまで。よくもこれ程沢山のページが並び、果たしてどれだけの着物が販売されているのかと思ってしまう。
インターネットで販売されている着物を見ると、価格が実に様々であることに気づかされる。加賀友禅や大島紬など、高級呉服と思われている着物がとんでもなく安い価格で表示されているのを見かける。そういう価格を見ると、
「今まで呉服屋で買っていたのは何だったのだろう。」
「呉服屋では随分高く買わされていたものだ。」
そう思った人もいるだろう。果たしてこの価格はどのようにして付けられたものなのだろう。着物の価格は、本当はそんな値段なのだろうか。
小売屋で売られている着物の上代価格は様々で、その差は数倍であることは前章で述べた。それでは、インターネットに提示されている安い価格は適正な価格なのだろうか。またそれらはどのような商品なのだろうか。
加賀友禅の訪問着がわずか2~3万円で売られていることがある。どのような商品であれ、加賀友禅と名の付く訪問着が2~3万円で売ることができるだろうか。
繭から糸を採り、白生地に織り上げて精練する。それに加賀友禅作家が下絵を描き糸目を入れて行く。色を挿し、糊伏せして地色を染める。蒸して色を定着させ整理して仮絵羽仕立をして商品になる。商品は問屋の手を経て小売屋へと渡され消費者に届く。
そういった過程を通って消費者に2~3万円で提供できるだろうか。
作家が下絵を描くにはどれだけ時間が掛かるだろう。糸目を入れるのにどれだけ時間が掛かるだろう。色を挿すのにどれだけ時間を要するだろう。それだけ考えただけでも2~3万円という金額では作家の人件費さえも賄えない。
2~3万円の加賀友禅は明らかに適正価格を下回っている。消費者にしてみれば、加賀友禅を安く購入できるのは良いことであり、適正価格云々は問題ではない。適正価格を遥かに下回った安価な着物を買ってはいけないと言うこともないし、私もそのような事を言うつもりもない。しかし、何故そのような商品が出回るかを知っておいていただきたい。
「もともと加賀友禅は2~3万円程度の物だ。」というような意識が広まった場合、友禅作家はじめその商品に携わる人達の名誉を傷つける事になるからである。
着物に限らず適正価格を遥かに下回った商品は、バッタ商品と呼ばれている。それが何故「バッタ」と呼ばれるのかは知らないが、それらは正規の流通経路をはずれた商品である。
正規の流通経路をはずれたと言っても一様ではなく、様々なケースがある。その様々なケースについて一つ一つ解説いたします。
①倒産品
企業が倒産すると、その企業の財産は整理処分される。着物を扱う小売屋、問屋、染屋、織屋も例外ではなく財産は処分される。在庫として持っている着物も処分される。在庫が処分される場合、その簿価(仕入値)で処分されることはなく、大抵の場合安い価格で他の業者に売り渡され現金化される。
処分品を請け負うのは呉服業界の企業とは限らない。債権をもった業者が少しでも回収しようとして在庫を引き受けたりするが、それは二束三文で引き取られる。20万円で仕入れた加賀友禅も5,000円で・・・と言うこともある。
私も20年ほど前に経験がある。
ある日、取引先の小物の問屋から沢山の商品が送られてきた。注文した覚えはない。開いてみると、それらの商品は注文していないどころか、古い商品、季節はずれの商品などが詰まっていた。送り先を間違って送ってきたのだろうと、放って置いた。
翌日ニュースが入ってきた。「和装小物の問屋〇〇倒産」
それらの商品は倒産前日にその問屋が送ってきたものだった。私も経験が無くどうしてよいのか分からなかったが、そのままにしておいた。
数週間して、法律事務所から手紙が来た。倒産した問屋の破産管財人である。
「〇〇株式会社の貴社に対する売掛金△△円は、全額支払うべきものなので××日までに支払うように。」との内容だった。
私の店ではその問屋には実質的な買掛金はなく請求してきた金額のほとんどは倒産前日に送られてきた商品の代金だった。」
「ふざけるな。」誰でもそう思う。私は紙に筆で大きな文字でその法律事務所にFAXした。
『倒産前日にガラクタを送って来て金を払えとはなんだ。返して欲しけりゃ返してやるから取りに来い!』
もちろん、日付の入った伝票も一緒に送ってやった。
翌日、法律事務所から電話が掛かってきた。法律事務所から電話が来たと言うので私はけんか腰で電話に出た。しかし、相手の口調は実に丁重だった。
「おっしゃることは良く分かりましたが、何とか商品を引き取っていただけないでしょうか。」
余りに真摯な態度に、
「商品もろくろく見ていませんので、商品を見てから検討します。」
そう言って電話を切った。
送られてきた商品を改めて見てみると、とてもまともに売れそうにない商品である。伝票を見ると、いずれも正価の半額から7割程度安くなっている。それでも売れそうにない商品ばかりである。一つ一つ商品を見ながら半額から7割引でも売れそうな商品を選んで伝票に丸を付けて法律事務所に送った。
「丸を付けた商品は引き取ってもいいです。」
電話でそう言うと、
「いや、そういうことではなく全商品を引き取ってもらいたいのです。」
「そんな、売れない商品を買うバカはいないよ。」
そう言うと、相手は更に、
「それでは、いくらだと引き取ってもらえますか。」
弁護士は和装小物の価値も分からないし、商売も分からない。彼らの使命は、商品を全て現金に買えて会社を清算することである。その意図は良く分かった。
「伝票の価格の何割だと引き取ってもらえますか。」
更に畳み掛けてくる。
「わかった、もう一度電話する。」
そう言って再度商品を見た。値段さえ下げればワゴン商品やイベントで売れないことはない。ただし、その価格は正価の8割~9割の世界である。
法律事務所に電話して
「伝票の三分の一なら引き取るよ。」
そう言うと
「それではそれでお願いします。」
数日後、法律用語が書かれた文書が送られてきた。内容は、
「売掛金**円を支払うことによって〇〇株式会社との取引は全て精算される。」
という物だった。その時当社で仕入れた商品は、正価の十分の一足らずであっただろう。ただし、商品はまともな商品ではなく私の店でも二束三文で売り払った。
私の店に送ってきた商品は処分品ばかりだったけれども、その問屋ではまともな商品もあったはずである。それらの商品も二束三文で売り払われて現金化され、廻りまわって市場に出てゆく。
呉服問屋や呉服屋が倒産すれば、高価な着物も二束三文で処分される。処分された商品が市場に出るとき通常の価格より遥かに安い、信じられない価格で売られる。
インターネットでは価格の比較が容易である。それらの商品はバッタ商品として安価に売られている。
②不良在庫
小売屋では、商品を問屋から買い取ってマージンを上載せして販売している。販売した価格と問屋からの仕入値の差額が利益(マージン)である。従って販売価格が仕入値を下回ることは通常ありえない。
しかし、商売は複雑で全て原則通りとは行かない。
小売屋が仕入れをする時は真剣勝負である。柄、価格ともにお客様に受け入れて頂ける商品を選ぶ。何百反もの中から「これなら間違いない」と仕入れるのだけれども、仕入れた商品が必ず売れるとは限らない。
呉服屋の場合、商品は一つ一つが異なった商品である。お菓子屋さんの様に、同じ商品を沢山売る場合は同じ商品を複数在庫しているが、呉服屋の在庫は一つ一つが違う商品である。小紋の在庫が二十反あれば一つ一つ柄が違う。
食料品店では牛乳を売る場合、手前に賞味期限の近い牛乳が並べられている。同じ牛乳なので古い牛乳から売ろうと言う意図がうかがえる。しかし、呉服の場合、小紋を買いに来たお客様に仕入れ時期が古い小紋から売ると言うわけには行かない。どの小紋を買うかはお客様が決める。昨年仕入れた小紋を選ばれる場合もあるし、仕入れたばかりの小紋を気に入る場合もある。
仕入れた商品は価格、柄共に慎重に選んだ商品なので多くは2年以内には売れてしまう。しかし全て売れるわけではなく、中には売れ残る商品もある。長年売れない在庫は、「不良在庫」「死蔵品」と呼ばれ棚の隅に寝てしまう。
それらの商品は、売れるまで待つこともできるが、余りに古くなると売れなくなるし、経営的には資金が寝てしまうことになる。
従って「不良在庫」品は早く売ってしまう必要がある。しかし、売れないとすれば値引きをして、すなわち赤札で販売したりする。その価格は物によっては原価を下回って売られる。資金を寝せておくよりは、早めに現金化しようという経営判断である。
「不良在庫」は必ずしも悪い商品ではない。商品の価値は、その価格との相対的な判断で決まるものなので、消費者が納得できる価格であれば十分に商品として通用するものである。
それらの商品は店頭で「赤札」あるいは「処分品」として売られる場合もあるが、「不良在庫」が余りに多い場合には、その筋の業者に売却する場合もある。中には古すぎて少々ヤケなど難のある商品もまとめて引き取る専門業者もある。その価格は二束三文の世界である。
そういった商品もバッタ商品と呼ばれ流通するが、一部は加工に使われているとも聞くが、再び流通経路に載るものもある。その場合、価格は正規の流通経路で流される価格よりも遥かに低価格であることは当然である。
インターネットで安売りに供される商品にはそういったバッタ商品もあると思われる。
③過剰生産、注文はずれ
前項で示した「不良在庫」は、主に小売屋、問屋で発生する。織屋や染屋(特に小規模の)では、生産した物をすぐに問屋に引き渡す場合が多く、メーカー自体は小売屋や問屋のように長期間在庫することは少ないので、「不良在庫」は余り発生しない。
しかし、メーカーでは「過剰生産」や「注文はずれ」として商品が安価で流される場合がある。
小売屋や問屋から注文を受けて作ったところが、何らかの理由で引き取られずに大量に残ってしまう場合がある。引き取ってもらえない理由はさまざまで、できあがった商品が注文された仕様と違っていた場合もある。注文した問屋、注文を受けたメーカーどちらが悪いのかはそれぞれであるが、そういう場合が生じることがある。
また、次のような事もある。
問屋さんが私の店にやってきた。
「今日は出物があったので持って着ました。」
出物とは特に安く仕入れたバッタ商品である。商品を箱から出すと、同じ柄の小紋が沢山出てくる。問屋はソロバンを弾いて、
「この小紋、値段はこうです。」
一見とても安い価格である。商品を良く見てみると高級品ではないが、それ程安い商品でもない。問屋はにやにやしながら、
「実はこの小紋、ナショナルチェーン〇〇の戻り品なんです。」
ナショナルチェーンは全国に数十店舗から数百店舗展開している。キャンペーンをすれば全国で同じ商品を数百点から数千点販売することができる。安く仕入れる為に、直接メーカーに企画商品を発注する。力のあるナショナルチェーンならではの商売である。
メーカーとしては、大量に注文をもらえる為にコストダウンなどメリットも大きい。
しかし、ナショナルチェーンは買取はしない。売れ残った商品はメーカーに戻される。すなわち、3千反染めてナショナルチェーンに納め、2500反売れれば500反返品となる。それでもメーカーは利益を得られるが、返品された商品を少しでも売って現金化しようとする。価格は原価すれずれであっても、また原価を割ってでも大量の反物をメーカーの不良在庫として置いておくよりは売ってしまった方が財務的には良いのである。
こうしてそれらの商品は市場に流される。取引先の問屋を通じて我々のような小売屋にも回ってくる。ただし、このようなケースでは、メーカーがナショナルチェーンに配慮しておおっぴらには流通させないことが多いので、インターネットには余り出てこないかもしれないが、商売の世界では利益の為に商品がどう動くかはわからない。
「過剰生産」には他にもいろいろなケースがあるが、いずれも現金化するために通常の原価を大きく下まわるような安い価格で商品が流される場合がある。