明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅵ.きものつれづれ 6.古い着物はどうしたらよいか (着物のメンテナンス)

きもの春秋終論

「古い着物はどうしたらよいのでしょう。」
この質問はよく頂戴する。相談の内容は様々で、「古い着物」と言っても、「親からもらった着物」「他人から譲られた着物」「古着屋で買った着物」などなど。

 また、
「どうしたらよいか」
も様々である。
「どうして処分したらよいか」
と言う人もいるし、
「自分の寸法に仕立て替えられるのか
と言う人もいる。
「洋服に仕立てられるか」
と言う人もいるし、
「何かにできないか」
と言う人もいる。

 いずれも現物を見せていただければ適切なアドバイスはできるのだけれども、それ以前の問題として
「古い着物はどうしたらよいのか。」
と言う言葉の裏には、否定的な諦め感といったものを感じさせる人が多い。
「こんな着物どうしようもない」
「こんな着物もらったけれども・・・」
と言った感情である。

 きものに興味のない人が、親から、他人から着物をもらえば、そのように思うかもしれない。そこには、着物が生活と縁遠くなってしまった今日の社会環境とともに、着物に対する無理解がある。この着物に対する無理解は、決して消費者が責められるべきものではなく、むしろ我々呉服業界にその責任があると思っている。もらった着物、いらなくなった着物をどのようにすればよいのか。それは呉服屋が消費者に丁寧に啓蒙していかなければならないし、その義務がある。しかし、昨今の呉服屋は商品を売ることのみに専念して、きもののメンテナンスを二の次にしているように思う。

 「古い着物はどうしたらよいのか。」
と相談に来たお客様にアドバイスをすると、
「そんなことができるのですか。」
「そんなに安くできるのですか。」
と言う言葉が返ってくる。また、
「お宅で買った着物ではないのですが」
と前置きしてくるお客様もいる。本来呉服屋は、きものを売るだけではなく着物全般のメンテナンスを受け持っている。私の店でも、他で買った反物(と言うよりも、いつどこで買ったのか分からない反物)でも、仕立てやメンテナンスは行っている。そういう意味ではもっと呉服屋を利用してもらいたいと思っている。
 きものは洋服と違って、着古したものでも大切に扱えば末永く利用できる(必ずしも着ることではなくても)事を広く消費者に理解してもらう必要がある。

 着物は一枚の布、幅40cmあまり、長さ13m余りの一枚の布から仕立てられる。直線裁ちが基本で、曲線に裁つことはほとんどなく余り布もでない。用尺が長ければ、長い分は「内揚げ」として縫い込んで、仕立て替えに備える。それでも長ければ余り布は残るが、切れ端ではなく、一枚の布として残るので、捨てる生地はなく必要に応じて後で利用される。

 必要のなくなった着物を解けば一枚の布(反物)に戻る。汚れた着物を洗い張りする場合、解いて羽縫いをする。元々の反物を仕立てる時に裁ったように生地を並べて縫い合わせるのである。それを洗い、きれいになった生地で再びきものを仕立てる。時には前とは違った寸法で仕立てる。必要であれば色を染め変える等、洋服では考えられないことを着物では常識として行われる。

 では、具体的に着物の仕立て替えや加工はどのようにできるのか、古い着物はどのように活用できるのかを考えて行こう。

【きものの仕立替】

 上述したように、着物は洗い張りをして仕立て替えることができる。ただし、無条件にどのような寸法でもできるわけではない。

 きものには、それぞれの寸法がある。着物の持ち主と、仕立て替えようとする人の身長体系がほぼ同じであれば、ほぼ間違いなく仕立て替えはできる。寸法の中でとりわけ仕立て替える際に問題となるのは、「身丈」「袖丈」「裄丈」である。

【身丈直し】

「身丈」は、その人の身長によって決まる。

 身長だけでなく、腰紐をどの位置にするのか、その人の着方によっても身丈は左右される。腰紐を上にする人は身丈が長くなる。反対に腰紐を下にする人は身丈が短くなる。腰紐の位置により、おはしょりのつまみが大きくなったり小さくなったりする。腰紐の位置を変えることによって、自分の身丈とは少々違った着物でも着ることができる、といったメリットもある。

 仕立て替えで身丈を変える場合、身丈を短くすることは容易にできる。つまり、身長の高い人の着物を身長の低い人用に仕立て替えることはできる。その反対に、身長の低い人の着物を身長の高い人用に仕立て替える場合、身丈を伸ばさなくてはならない。短い布を長くすることはできないが、方法としては二つある。

 着物を仕立てる際、あらかじめ身丈を長く仕立て替えられるように「内揚げ」をしている着物がある。「内揚げ」とは、身丈寸法を必要以上に生地を裁ち切り、余分な分を胸のあたりでつまんで襞をとって仕立てる。洗い張りをして伸ばせば、より長い生地になって、その分身丈を伸ばすことができる。

 仕立て上がった着物を見ると、内揚げがあるかないかは容易に見分けられる。胸のあたりに襞がとってある。背中にも襞がとってあるが、これは「くりこし」の為の襞である。前身頃、胸のあたりに襞があれば内揚げがあるのがわかる。

 内揚げのつまみが1寸であれば、解けば2寸身丈を伸ばすことができる。1寸5分であれば3寸身丈を伸ばすことができる。

 内揚げがない場合は、身丈を伸ばすことはできないが、更に方法がある。

 余り布があれば、これを剥いで身丈を伸ばすことができる。剥ぐのは帯の下に隠れるような位置で行うが、小紋など染物では、剥ぎが目立ってしまうので余り行わない。紬やウールなど、極普段着を仕立て替える際に行われる。つぎはぎで着物を仕立てるようだけれども、生地を大切に、最後の最後まで使おうと言う先人の知恵のようで、そういった着物の着方をされる方には喜ばれる。

 以上は、小紋や紬の話で、訪問着や留袖など、いわゆる絵羽物ではこれとは違ったルールがある。

 絵羽物は着物全体で一つの柄を成すもので、柄付けが縫い目を越えて屏風絵のようになる。訪問着や留袖、付け下げがそれにあたる。柄の位置が決められているために白生地を着物の形に裁ってから柄付けをする。小紋の場合は、身丈の長さに応じて反物を裁つけれども、絵羽物の場合は、着る人の身長がわからないので十分な身丈で絵羽付けする。従って仕立てる時には長い分内揚げをする。余計な分は縫い込んでおくのである。

  仕立てる前の仮絵羽状態で、絵羽物の身丈は4尺5寸から4尺7寸(170cm~178cm)ある。女性の着物の身丈は、身長位が標準なので、たいていの女性は内揚をして十分に仕立てられる。身長160cmの人が仕立てようとする訪問着の身丈が170cmの場合、10cm短くするために5cmつまんで内揚をする。

 絵羽物は身丈(裁ち切り)を十分に採ってあるので余程の長身でなければ身丈は十分に伸ばすことができる。身長175cmを超えるバレーボール選手のような背の高い人の場合は仕立てられない事もある。この場合は別染等で対応することになるが、これは例外として考える。

【袖丈直し】

 次に、仕立て替えで袖丈を変更する場合、変更しようとする袖丈ができるのかどうかも着物を解く前に検証しなければならない。

  仕立て替え後の袖丈の寸法が以前のそれよりも短ければ問題はない。言わば、袖丈を縫い詰めるだけなので、袖丈は十分に確保できる。しかし、袖丈を長くしようとする場合、いくつかの問題がある。

 まず、袖丈が確保できるかどうかは解いてみれば分かる。1尺4寸の袖丈に仕立てようとする場合、洗い張りした袖の長さが、1尺4寸×2+縫い代があれば仕立て替えができる。しかし、洗い張りをして袖を図ってみたら袖丈の寸法が足りなかったでは仕立て替えはできない。通常、仕立て替えて袖丈を伸ばそうとする場合、袖先にどれだけ余分に縫い込んであるかを触って検証する。

  1尺3寸の袖丈を1尺4寸にしようとした場合、1寸3分程度の縫い込みがあれば仕立て替えができる。しかし、怪しい場合は袖先の一部を解いて縫い込みが実際どれだけあるのかを実測してみる。それで仕立て替えをするかどうかを判断することはよくある。

 注意しなければならないのは、古い着物の袖丈を伸ばす場合、袖先の折痕が残らないかどうかの判断である。

  着古した紬の場合、袖先が擦り切れている場合がある。その場合、十分な縫い込みがあったとしても、袖丈を伸ばせば袖の先に擦り切れた線が入ってしまう。このような場合、前と全く同じ袖丈で仕立て替えようとしても、擦り切れて仕立てられない場合もある。袖先の同じところをもう一度縫うのが難しくなるからである。そんな時には普段着であれば、袖丈を少々短く仕立てることもある。擦り切れを避けて仕立てられるぎりぎりの線で仕立てる。いくらか袖丈が短くなってしまい襦袢の袖丈と合わなくなってしまうが、着られないことはない。

  襦袢の袖丈は、着物の袖丈よりも短ければ着物の袖の中で泳いでしまい、襦袢の袖が着物から出てしまうことがあるが、襦袢の袖丈が長ければ着物のそでの中で泳ぐことはない。寸法差が1寸あるいは2寸も違えば不都合が生じるが5分程度であれば許容範囲である。

 もっともこれは正当な着物の着方ではなく、自分が許容できるかどうかの問題なので、個人の判断に任せたい。このような着方は、普段着を大切に長く着ていた名残と思っていただきたいが、毎日着物を着る人にとってはそういったやり方もあるのである。

  紬ではなく染物の場合、今度は擦り切れとともにヤケの問題がある。古い染の着物には少なからずヤケがある。袖を解けば、表に出ていた部分と縫い込まれた部分の色が違っている場合がある。そのまま袖丈を伸ばして仕立てれば、はっきりとした色の境ができてしまう。ヤケは直すこともできるが相応の金がかかる。ヤケがあるかどうかは、あらかじめ袖先を解いて検証する必要がある。

【裄丈直し】

 裄丈直しは、私の店のお直しの中でも最も多いお直しである。その原因として、現代の人はたいてい親よりも背が高く親の寸法では裄が短い。また、洋服を着慣れているせいで、より長い裄丈を要求する人が多い。きものとして余りにも長い裄丈を要求された場合は、着物の採寸の仕方を説明して諭す場合もあるが、一般的に昔よりも裄丈を長く仕立てる人が多い。

 裄丈直しは、裄を長くする場合と短くする場合があるが、後者はほとんどない。前述の理由でほとんどが裄丈を伸ばすお直しである。

 さて、裄丈を直す場合、袖付けを解いて裄丈を伸ばす(又は縮める)ことになるが,縮める場合、問題はない。

 問題と言うのは、第一に生地が足りるかどうかである。裄丈は肩幅+袖幅である。反物の幅がそれぞれ肩幅、袖幅になるので、理論的に裄丈は、「反物幅×2-縫い代」だけ採れる。裄丈を縮める場合は、生地を縫い込むだけなので問題はない。

 しかし、裄を出す場合は上述の方程式「反物幅×2-縫い代」で足りない場合がある。現在織られている反物は幅が約1尺が基本である。この反物で仕立てる場合、裄は「2尺-縫い代」になる。1尺9寸~1尺9寸5分程度の裄はできる。しかし、昔の反物は反物幅が狭かった。従って、親から譲られた着物は指定の裄丈ができないものもある。戦前戦後におられた古い反物は幅が8寸5分程度のものもある。その反物では、裄丈が所謂並寸(1尺6寸5分)しかできない。古い着物の場合は、反物幅があるかどうかを検証しなければならない。

 裄丈直しでもう一つ注意しなければならないのは、折痕とヤケである。これは、袖丈でも触れたけれども、寸法を伸ばすときの問題で、縮める時は問題にはならない。

 袖付けを解いて裄丈を伸ばすと、袖や肩あるいは双方に折痕やヤケの痕が出てしまう。

 折痕は「折消し加工」で解消する。実際に裄丈直しの工賃は、当社で5,000円だけれども、裄を出すための折消し加工に5,000円かかる。裄を縮める場合は5,000円で済むけれども、裄を出す場合は10,000円掛かることになる。

 紬の場合、特に細かい格子柄の場合など折痕が目立たない場合は折消し加工はせずに裄丈直しをする人もいる。昔は、普段着を加工する時には、アイロンを掛けるぐらいで折消し加工などしなかっただろう。

 染物の場合は折消しに加えてヤケの問題がある。紬でもヤケ痕が出てしまうものもあるが、先染めの紬は染物よりも堅牢に染まっているので、それほど目立たない。染物では古ければ少なからずヤケが生じている。色によってヤケ易い色とヤケ難い色がある。余り目立たなければ折消し加工のみで加工する事もあるがヤケがひどい場合はヤケ直しをする必要がある。染物は晴れ着が多いために、紬と違ってヤケの処理には気を遣う。大切な着物、思い入れのある着物であれば、少々加工代はかかるけれどもヤケの完璧に直すことができる。

 先に、「反物幅×2-縫い代」と言う方程式を示したけれども、実は更に裄を出すための裏技もある。1尺幅の反物であれば、ほとんどの女性の裄丈は十分に採れる。しかし、中にはバレーボール選手のような背の高い女性もいるし、体格の良い男性の中には、裄丈が2尺以上必要とする人もいる。関取の着物はもっと裄が長いだろう。

 そのような時には、袖付け部分の袖に剥ぎを入れて袖幅を広くして裄丈を確保する。1尺幅の反物で2尺1寸の裄丈にしようとすれば、肩幅9寸5分、袖幅9寸5分に2寸の剥ぎを入れる。

  剥ぎを入れるには共の生地が必要である。関取の場合は相当の裄丈が必要(身幅も必要かもしれない)なので、初めから二反で仕立てると言う話も聞いたことがある。しかし、普通の人ではいくら裄丈が長くても、二反は必要ない。生地は、余り布があればそれを使う。古い着物の場合は余り布がないので余っている部分の生地を使う。襟の裏を使ったりもする。特に男性の場合はバチ衿なので、衿を解いて中の生地を欠いて使う。

  足りない生地をどこから工面するのか、素人には難しく思われるが、熟練の仕立士は実に巧妙に生地を工面して、そして物の見事に要求された寸法通りに仕立て上げる。私もお客様から与えられた難問に直面した時、仕立士に相談して簡単に解決することも多々ある。

 そういう意味でも、日本の着物は仕立て直しをしながら長く着られる工夫がされているのだと思う。

  仕立て直しや仕立て替えに困ったときには、呉服屋に相談すれば、思ってもみない解決法が示されるはずである。寸法が違って着られない着物をもらった時には、あきらめず呉服屋に相談してみたらよいと思う。必ず解決されるとは限らないけれども、様々な提案をしてくれるはずである。

【裾直し】
 袷の着物の裾は表地と八掛地(裾回し)が裏表になっている。八掛地の方が表地よりもわずかにはみ出している。これは、見た時に表地の裾に八掛地の色が重なって見える視覚的効果もあるが、実は表地を保護する役割を担っている。

 着物を着ていると裾が擦れるために、長い間着ていると裾が擦り切れてしまう。しかし、八掛地が出ているので、まず八掛地が擦り切れる。表地が擦り切れないように、八掛は言わば表地を守る防波堤の役割を果たしている。

 擦り切れた裾では見栄えが悪いので直さなければならない。完璧に直すには、解いて仕立て替えをする。洗い張りをして、擦り切れた八掛は除いて(ずらして)仕立てる。これで全く元通りになる。ぼかしの八掛の場合、制限はあるが、無地の場合は理論的には八掛がなくなるまで仕立て替えられる。八掛が短くなれば胴裏で補うことにはなるけれども、胴裏が足りなくなれば、見えないところなので剥いで継ぎ足すことができる。

 八掛を消耗品として何回でも仕立て替えられる機能が着物には備わっている。日本人の着物を大切に長く着るという思いがここにも見て取れる。

 さて、仕立て替えできるとはいえ、裾が擦り切れて仕立て替えするのは大仕事である。現代では普通の人であれば、同じ着物を着るのは年に数回かもしれない。その程度で裾が擦り切れるには数年かかるだろう。擦り切れとともに汚れがついて洗い張りをしなければならない時には、その機会に八掛をずらして仕立てるのも良いだろう。

 しかし、しょっちゅう(毎日)来ている人の裾は意外とすぐに切れる。料理屋の女将さんや毎日のように着物を着ているお客様からは私の店にも裾の切れたお直しが頻繁に持ち込まれる。

 頻度に関わらず仕立て替えは大変である。手間も大変ではあるが、加工代もばかにならない。洗い張りをして仕立て替えると、私の店では4~5万円掛かってしまう。余りにも汚れてしまったり、他にも補修すべき箇所が多かったりすれば仕立て替えも良いだろうけれども、汚れが丸洗いで対応できる範囲であれば、その度に仕立て代を支出するのはもったいない話である。

 私の店にいらっしゃる方には、裾が切れた場合次のような提案をさせてもらっている。

 擦り切れた裾を解いて折り込んで閉じる。非常に単純な対処法だが、お客様には喜ばれている。加工代は5,000円足らず。仕立て替えの十分の一である。

 ただし問題は、丈が短くなることである。仕立て替えであれば、丈は元のまま指定寸法で仕立て上がるが、この方法では折り込んだ分だけ丈が短くなる。

 折り込みによって短くなる丈は、裾の切れ具合によっても違うが約8分前後である。この方法で裾を直すことによって丈(衿下)が1寸弱短くなる。丈が短くなれば当然不都合が生じるが、女性の着物はおはしょりで調整できるので、着られないことはない。丈が1寸短くなった場合、腰紐の位置を5分下にすれば着丈は同じになる。

 私のお客様で度々裾直しをされる方がいる。毎日着物をお召しになるので何度か丸洗いをすると裾が擦り切れてくる。その度に裾直しをするが、同じ着物の裾を二度三度直す。三度裾を直すと3寸近く丈(衿下)が短くなるので、さすがに着難くなるとおっしゃっているが、それでも仕立て替えするよりはずっと安く上がるので重宝していただいている。もちろん三度直してまた裾が切れれば仕立て直しをしていただいている。

 ただし、絵羽物の場合裾に柄があるので柄が切れてしまう場合はこの方法ではできない。

 着物は古来日本人が普段に晴れに着て来たものである。その構造も仕立てや直しも鷹揚にできている。昨今の着物を見る目は、TPOや柄合わせ、仕立て等々実に厳しい目で見られている。いつ何の着物を着るのか、仕立ては正確か、織傷や染難はないか等、それらは日本人の品質に対する厳しい感覚であり、悪いことではない。しかし、着物は実に合理的で鷹揚にできている面があることを忘れさせているようにも思える。

 裾が切れて少々丈の短い着物を着る事に抵抗を感じる人もいるかもしれない。そのような方には仕立て替えをしていただければ、着物は元通りに再生する。しかし、皆がそれに右倣いした場合、「着物のメンテナンスは何と高いのだろう。それは着物を着るなら覚悟しなければならない事」と思ってしまうかもしれない。着物をもっと気軽に来てもらうには、昔から日本人が積み上げてきた着物の鷹揚さをもっと利用していただければ、着物をもっと身近に感じていただけるのだけれども。

【染替】

 古い着物を持ち込んで染替を頼まれることがある。先日も、お客様の派手になった色無地を地味な色に染替えて仕立て、大変喜ばれた。着物は染替が可能である。

 しかし、何でもかんでも染替えられるわけではない。仕立てられた着物を解いて洗い張りをする。そして、色を抜けば白生地に戻りそれを染めて新しい着物にする、と言うのが染替である。染替という技術の裏には、貴重な絹の生地を大切に使ってきた日本の心があると言ってよい。派手になってしまった着物を地味に染替えて着る。親が着ていた着物を染め変えて娘が着る、と言ったことは洋服では到底まねができない。日本の着物ならではかもしれない。

 私の店ではあらゆる加工の相談にのっているので、様々なケースが持ち込まれる。
「色無地の色を替えたい。」
は良くある相談で、他には、
「この小紋を別な柄の小紋に染替えたい。」
「この訪問着はもう着ないので、色無地に染替えたい。」
「色留袖が派手になったので地色を地味にしたい。」
等等。

 いずれも、着物を大切に着たいという気持ちからの要求で、着物は染替えられると親や誰かから聞かされてきたのだろうと思う。しかし、今そういった要求には応えられなくなってきている。

 一つの理由には、元々できない物もある。例えば、黒留袖を薄い紫の色無地に変えるというのは初めから困難である。黒留袖の黒の地色を白生地に戻すことは困難である。もしも、それができたとしても、裾の柄の色を抜いて薄い紫に染めるのも困難が伴う。裾柄を抜いてほぼ白生地に戻すことができたとしても、薄い色に染めた場合、裾柄が炙り出しのように浮き出てしまう。また、特殊な染料を使った場合色が抜けないこともある。

 そのような場合、昔の人はどうしたのだろう。留袖に限らず、小紋を染め変えた場合、元の柄が浮き出てくる可能性は十分にある。それでも昔は小紋を別な小紋に染替えることをやっていた。

 昔(30年位前)は、染替えの需要も今よりはたくさんあったし、染替える職人もたくさんいた。その当時染替用のカタログがあったのを覚えている。着物を持ち込めば指定の柄に染替えてくれる。しかし、掲載されている柄の多くは、色の濃いものか更紗のような多色の入り混じった柄だった。色の薄い小紋の柄もあったけれども、それらは白生地から染める柄、と制限があった。

 柄物のきものを柄物の着物に染替える場合は、前の柄が浮き出ても目立たないような柄に染替えるといったルールがあった。そういったルールを無視して染替はできないのである。

 二つ目の理由に、以前できた染替も、着物を取り巻く環境の変化で困難になっている事情がある。技術的には染替が可能でも、コストを考えると実際には踏み切れないケースもある。

その裏には、絹に対する日本人の価値観と絹そのものの価格の変化がある。昔、絹は大変貴重品だった。日本産の絹は、その品質から世界中でもてはやされ日本の主要な輸出品だった。「輸出羽二重」と言う言葉があるように外貨を稼ぐ手段として大量に輸出されたためかどうか、国内でも絹は貴重品だった。「正絹」と言う言葉が「貴重品」と同意義に用いられていたように思う。絹の生地は、わずかな切れ端さえも大切にとって置かれた。

 それほど貴重に扱われた絹だけに、仕立てられた着物は、仕立て替えたり染替えたりして大切に扱われた。しかし、絹の価値は下がってきている。若い人の中には「正絹」と言う言葉を知らない人もいるし、その重みを解さない人も多い。その裏には、絹がそれほど貴重に扱われなくなくなってしまった事情がある。

 今、日本産の絹は大変な危機に直面している。かつて全国で生産された絹は、今では群馬県と山形県のみになってしまった。それも補助金を受けながら生産してきたが、その補助金も打ち切られてこの先どうなるかは分からないという。補助金なしで生産を続けた場合、価格は三倍にもなるという。高品質を保持し続けてきた日本産の絹は、今でもこれからも貴重品であり続ける。

 しかし、一方で中国やブラジル等から外国産の絹が非常に安い価格で入ってきている。当社でもお客様の要望にお応えするために、数種類の胴裏地を用意しているが、外国産の胴裏地は6,000円。標準品で12,000円。純国産品は20,000円以上になるが、この先もっと値上がりするという。

 海外の絹は大量に輸入され、アパレル業界でも使われている。シルクのブラウスやシルクのジーンズまでも見かけたこともあるが、それほど高い価格ではない。アパレルだけでなく、シルクのタオルやハンカチなど日常品に使われるようになっている。それは絹が安い価格で流通するようになったからに他ならない。

 国産の絹と海外の絹では品質に決定的な差があるといえども、全体としては輸入品が圧倒的に多く、平均的な価格は昔よりもはるかに安くなっている。

 絹の話になってしまったが、生地の価格が下がったために、絹に対する意識と扱いが変わってきた。

 染替をする場合、洗い張り、しみぬき、ハヌイ、色抜き、染代がかかる。その加工代と新しい白生地を比べてコスト的にどうなるかを考えなくてはならない。もちろん国産の生地で染めたきものであれば、染替えたほうが安くつくけれども、海外の安い白生地であれば、出来合いの色無地との価格差はそれほどなくなってしまう。

お客様に染替を頼まれた時には、そう言ったことを含んでアドバイスしている。やはりお客様には、生地や染替について良く理解していただく必要があると思う。

 三つ目の事情として、染替をする職人が減っていること、加工代が上がっていることがある。職人の減少は染職人に限ったことではなく、呉服業界全体で言えることだけれども、染替えに従来よりも時間がかかるようになった。

 白生地を単純に無地染めしてもらう場合でも、従来であればはっきりとした納期があった。しかし、最近は仕事が少ないために注文が貯まらないと仕事をしないという。職人にしてみれば、いつも窯を温めているわけにはいかない。注文が貯まった時点で窯を温めて染めるらしい。一見悠長に見えるけれども、ここにも呉服業界の問題がある。職人の年齢が上がっているために年金を貰いながら片手間の仕事の人が多いと聞く。この先後継者はどうなるのだろうかと心配するのは染職人だけでなく、織職人仕立て職人も同じである。

 当社でも染の加工をお願いする業者が少なくなっている。中には職人としての資質が問われるような処も出てきている。それまで無地染、紋入れをお願いする時には、指定の色(色見本)と仕立て上がりの寸法を記載すれば無地の紋付を染めてくれた。ところが、ある加工先では、
「紋をどこに入れたらよいのか指定してください。」
と言ってくるようになった。プロであれば寸法が分かれば紋の位置はわかるはずなのだが、どうなっているのだろう。それ以来、その加工屋には頼まず昔取引があった加工屋に頼んで何とか加工先を確保した。

 ただの無地染、染め替えならばまだ十分に対応できるが、複雑な染替になると果たして受けて良いものかどうか心配になってくる。

 二十年位前に色留袖の染替を頼まれたことがあった。色留袖の地色を染め替えるのである。色留袖は裾に模様がある。地色を染め替える時には、模様の部分を糊伏せして地色を染め替える。非常に手間と技が必要な加工である。当時は受けてくれる加工屋があったのでお願いして染替ができた。お客様にも喜んでいただいた。

 当時としても加工代は10万円以上かかったと思う。しかし、今同じような注文を頂いた場合どうだろうか。まず請け負ってくれるところがあるかどうか。技術的には可能なことなので探せば何とかなるだろうと思う。さて加工代はいくらになるかと言えば、即答できない。お客様に注文を受ければ、すぐに価格の見積もりをしなくてはならないのだけれども、まことに難しくなったものである。

 染替は昔に比べてやりにくくなったことは確かである。しかし、大切な着物、思い入れのある着物であれば遠慮なく呉服屋に相談していただきたい。必ずしも満足できる回答ができるかどうか分からないが、呉服屋の使命としていくつかの選択肢は用意できるはずである。実際に染替するかどうかはそれから決めればよいのである。

【染替の裏技】

 若い時に着た着物を持ち込んできて、
「これ派手になっちゃったのよ。なんとかならないかしら。」
と相談されることがある。訪問着、小紋、紬など、着物であれば何でも歳とともに派手になるのは道理である。その着物に愛着や思い入れがあれば誰でも何とかしたいと思う。

 染替については、すでに書いたように無地染め以外は中々難しいところがある。

 訪問着の場合、地色を替えようと思えば色留袖以上に手間がかかるし、地色を替えた場合、指定した色に地色を染め替えしたとしても、柄の色との組み合わせがイメージした通りにならない場合がある。

 小紋の場合、地色を替えるのはまず難しい。無地染めにしようと思っても柄が邪魔して余程濃い色でなければ染替は困難である。先染めの紬に至っては、色を抜くことはできない。何とも困り果てるのであるが、実は最後の手段がある。

 この方法は邪道であり、呉服屋として余りお勧めできないのでお客様の同意を要する。

 その方法とは、全体に色を掛けるのである。つまり、派手な着物に色をかけて地味な着物にする。

 実際に、どのようにするかと言えば、着物を解いて洗い張りをする。格別シミがあればしみ抜きをする。古いシミのしみ抜きで少々色が抜けたとしても、掛ける色が濃いければあまり問題はない。(本人が気にするかどうかの問題だけれども。)羽縫いした反物に色を掛ける。仕立てて出来上がり。

 ここで問題は、どんな色を掛ければどんな色になのかである。この予測は大変難しい。例えば赤い着物にグレーを掛ける。果たしてどんな色になるのか。私も的確に予想はできない。しかし、地味な着物になるのは間違いない。

 今までに数人、このような加工をしたが、今のところ皆に喜ばれた。染の紬に色を掛けたり、鮫小紋に色を掛けたりした。

 赤い鮫小紋にグレーの染料を掛けたが、白い地色だった鮫小紋がグレーの地色に渋い鮫柄になり、何とも面白い鮫小紋に仕上がり、お客様にも喜んでいただいた。

 この方法は、どのような仕上がりになるか分からないというリスクがあり、あくまでも裏技である。私も積極的にお勧めする方法ではないけれども、着物は色々な可能性を秘めているということだけはお伝えしたい。

【振袖】

「この振袖、どうしたらよいでしょう。」
そう言って振袖を持ち込まれるお客様がたまにいらっしゃる。格別汚れていたり、古くてどうしようもないわけではないけれども、
「どうしたらよいでしょう。」
の言葉の裏には、
「もう着ないので。」
「着る予定はないので。」
と言う意味が隠されている。

 振袖は二十歳前に仕立てるのが普通である。十七,十八歳で仕立てる人もいるが、振袖の晴の本番は成人式である。最近は、成人式でしか振袖を着ないので、誂えずに貸衣装に頼る人もいる。いや、最近は貸衣装派が多数を占めると言う。

 成人式が終わると、正月に着る人もいるが、最近は少数派である。結婚式も振袖の出番なのだが、昔と違って兄弟の数も減り、結婚式自体が減っているようである。そして、本人が結婚すれば振袖を着る機会は永遠に逸してしまう。

 そんな状況を考えれば「振袖は、前撮りと成人式の二回しか着ませんでした。」と言う人も出てくる。これでは、お役御免の振袖を持って
「この振袖、どうしたらよいでしょう。」
と呉服屋に来るのもうなずける。

 昔は、今よりもずっと振袖を着る機会はあっただろうし、兄弟も多かったので、姉妹が着まわしたり、従妹に譲ったりと言った使い方もしただろう。昔は、
「この振袖、どうしたらよいでしょう。」
と言う相談はなかったように思う。

 さて、そうは言っても目の前にあるお役御免の振袖はどうしたものだろう。

 相談にいらっしゃる方の中には、
「袖を切って訪問着にできると聞いたのですが。」
と言って来る方もいる。確かに形式的には、袖を短くすれば絵羽の訪問着になる。ただし、袖の柄が切れてしまう。

 私が京都にいた三十数年前には、訪問着にできるように柄付けされた振袖が創られていた。袖の柄が一尺四寸位のところで柄が一旦切れて、また柄付けした飛柄の袖であった。当時でも振袖の後利用について染屋でも腐心していたようだ。

 振袖の袖を切って訪問着にする、と言うのは的を得ているようだけれども私は余り感心しないしお勧めできない。振袖の柄はあくまでも振袖柄であり、訪問着のそれとは全く別物である。振袖の大胆な柄は袖を切ったとて訪問着になるとは思えない。振袖の柄は振袖柄、訪問着の柄は訪問着柄である。

 留袖の柄を考えてみても、上に柄を足したとしても訪問着の柄とは異なる。色留袖の袖や胸、背中に柄を足しても訪問着にはなり得ない。

 そんな訳で振袖の袖を切って訪問着にするのは余りお勧めできない。

 また、振袖をバラして油単や鏡のカバーにしたいという方もいらっしゃる。それはそれで一つのアイデアである。

 私の店に持ち込まれる振袖はやや年代物が多い。
「母親が着た振袖を取って置いたけれども誰も着ないので」
また母親の振袖を娘に着せたけれども、
「もう取って置いてもしょうがないから」
と言うケースが多い。最近新調した振袖を成人式が終わったからと言って再利用を考える人はいない。目の前に広げられる振袖を見ると再利用の方法よりも「もったいない」の気持ちが私の中では起こってしまう。

 最近の振袖もピンキリだけれども、プリントやインクジェットによる染が多い。しかし、私の店に持ち込まれる振袖は、れっきとした手描きや本型染、本刺繍の物が多い。今はもう作っていない(作れない)振袖もある。私には、
「この振袖を着る人がいればどんなに良いことか。」
と思える。そのような振袖は、再利用を考える前に手を通した人の人生のモニュメントとして取って置くことをお勧めしたいがどうだろうか。

「古い着物はどうしたらよいか」の題名で結論付けるには余りにも芸がないと思われるかもしれないが、私にはそうとしか言えないのである。

【古い訪問着】

 古い訪問着を持ち込んで相談されることもある。

 古いと言っても、母親の訪問着であったり叔母から貰った訪問着であれば仕立て返してお召しになるのをお勧めしている。体格が余り違わないのであれば、仕立て替えも必要ない。少々の寸法の違いは着物では吸収できるので、柄が気に入れば丸洗いして着る事ができる。

 問題になるのは、それ以前のもっと古い訪問着である。50~60代の人であれば、その母親の嫁入りで仕立てた昭和20~30年代の訪問着である。それらの訪問着を仕立て替えて着るのに抵抗があるのにはいくつかの理由がある。

 まず、柄が古い事。日本の着物においては柄の流行はなく柄に古い新しいはない。とは言っても、今は余り描かれない柄を見ると、「古くさい」と感じてしまうのだろうか。確かにその気持ちも分からないでもない。

 次に、昔の反物は今よりも幅が狭いので、背が高く裄の長い人は、仕立て替えても十分に裄丈が採れない。裄丈は、不用意に長く仕立てている人もいるが、これは、仕立て替えられない決定的な理由となる。仕立て替えられない着物は、役に立たない古着でしかなくなってしまう。

 三番目に、シミやヤケ、擦れなどがあって、仕立て替える気になれないものもある。シミは直ぐに対応すればほとんどきれいに抜けるのだけれども、数十年放置されたシミは取れないものが多い。また、汗が付いたまま長年保管していたために黄色く黄変しているものがある。ヤケや擦れも古い着物にはつきもので、これらも仕立て替えて着ようとする気持ちを萎えさせてしまう。

 以上の様な理由で古い訪問着を仕立て替えせずに処分、またはそのまま捨てずに箪笥の底に眠らせてしまうケースが多い。

 しかし、私の目には、昔の訪問着はとても魅力的に見える。染は、現代のそれとは違って大胆ではあるが非常に繊細に染められている。プリントや型染、果てはインクジェットの染といった手法のなかった昔の染は手を掛けて染められている事が感じられる。

 さて、仕立て替えられないそれらの訪問着はどのようにしたらよいのだろうか。

 軽度のシミやヤケであれば、ヤケを直したり濃い色の地色に染めることもできるが、前述したように物によっては加工代が掛かってしまう。希少品であったり思い入れのある訪問着であればそれもお勧めする。それほどでもない場合は、子供用に仕立て替えを考えて見てはいかがだろうか。私の店では何度か仕立て返して喜ばれた。

 子供の着物であれば生地の幅は問題ない。シミの位置やヤケの位置を考えながら四つ身や一つ身に仕立て替えるのである。四つ身と言っても幅を狭くするわけだから、絵羽柄がきちっと会うわけではないし、一つ身(祝い着)と言っても一つ身ではなく、背縫いが入ってしまう。完全な形で仕立て替えられるわけではないけれども、今はない染の良さと母親や祖母が着た着物に対する思い入れを大切に仕立て替えるのである。

 今、手描きの四つ身や一つ身にはお目にかからないし、あったとしてもとても高価である。その点、母親が着た手描きの訪問着を娘の祝い着として娘に纏わせるのはとても意味のある事かと思う。

 呉服屋としてお客様にそのような提案をするのだけれども、そこにはお客様の理解が必要である。仕立士は最新の注意と知恵を絞って訪問着をどのように裁って、どのように縫い合わせるかを考える。絵羽柄が崩れるのはしょうがないとしても、如何にして絵羽の雰囲気を壊さないように裁って縫い合わせるのか。シミやヤケがあった場合、どのようにしてそれを避けて仕立て上げるのか。それは職人技と言える。

 しかし、出来上がった着物をみて、
「絵羽柄がずれている」
「柄が切れている」
「本来の四つ身とは柄付けが違う」
「目立たないところだけれどもシミが残っている」
と言う評価を受けるようであればお勧めできない。

 出来上がった着物をどのように評価するかは消費者である。現代の消費者の目は、画一的、工業規格品を見るような目で見る傾向がある。手作りによる染や織の誤差を難物と見られてしまう。注染の折り返しにできるわずかな染難、紬糸のやや大きな節を手造り故の味と見るか難物と見るかは消費者の目に掛かっている。

 工業規格品通りの成果を期待される方には訪問着を子供の着物に仕立て替えるのはお勧めできない。しかし、きもの本来の染の良さや思い入れを大切にするのならば、古い訪問着の利用法を考えて、呉服屋に相談して見てはいかがだろうか。本当の呉服屋であれば知恵を絞ってくれるはずである。

【トピックス】

 思わぬニュースが入ってきました。
「古い着物はどうしたらよいか」
は、さておいて、この件に付いてコメントいたします。

 思わぬニュースと言うのは、「染の北川」倒産のニュースです。今時、残念ながら呉服業界では倒産、廃業はそう珍しいことではなくなりました。しかし、「染の北川」の倒産は私にとってある意味ショックでした。

 昨年、西陣の老舗織屋「北尾」が倒産しました。それに続く「染の北川」の倒産です。これからの呉服業界を暗示しているようで複雑な思いです。

「染の北川」は染呉服のメーカーですが、消費者でもその名を知っている人は多く、お客様の中には、
「この小紋は北川です。」
と言えば余り説明しなくてもわかる方もおられるぐらいです。

 私が京都の問屋にいた時分、「染の北川」は仕入れ先の一つでした。担当者は度々やってきて商品を納めていました。私はまだ呉服業界に入りたての頃で、染屋織屋の名前もよくわからず、会社の規模も力関係も分かりませんでした。当時先輩社員が言った言葉が妙に印象的でした。「北川ばっかりで、うちの染物は皆北川になっちゃうんじゃないか。」
その言葉の裏には、
「北川はしっかりした商品を創っている。」
と言う意味がありました。決してひいき目ではなく、
「良い染物を仕入れようとすると北川の商品になってしまう」
と言う意味合いがあったように思えます。

 当時一度だけ北川の会社に行ったことがありました。きれいな建物で、受付嬢が迎え、売り場に入ると所狭しと染物が並べてありました。一緒に行った先輩が、余りの商品の数に驚いている私に、
「北川は全部受注取りしているから、これらは全部売れるんだよ。」
そう言ってまた私を驚かせました。当時は今よりはずっと呉服も売れていた時代ですが、
「こんなに売れるものかな。」
と感心していました。

 今でも展示会に行くと、北川のブースには昔世話になった社員がいて、
「結城屋さん、待ってました。」
と商品を勧めてくれていました。北側の商品は染がきちっとしているけれども、その分高価でそれほど仕入れることはできない。それでも、「昔のよしみで」と算盤をはじいて仕入れた商品はお客様にも評判は良かった。

 昨年倒産した西陣の織屋「北尾」も同じようだった。「北尾」の帯に初めて出会ったのは京都の問屋に入ってしばらくしての事だった。私がいた問屋は総合問屋で、呉服に関する商品は何でも扱っている。袋帯も山積みしてあったが、その中に目についた袋帯があった。近くに織物担当の部長がいたので、
「この帯は?」
と聞くと、
「ああ、それは北尾さんの帯だよ。」
と言われた。
「他にもあるんですか。」
と聞くと、
「北尾の帯は高いからそんなにないよ。」
と言う返事だった。帯に付いている札の符丁を見ると他の帯に比べてずば抜けて高い。高いなりに良い織物であることは業界に入りたての私でも分かった。

 それ以来、「北尾の帯」は私の憧れだった。憧れと言うのは、呉服屋として、
「北尾の帯を売ってみたい。」
「北尾の帯の良さを分かってくれるお客様に会いたい。」
と言うものだった。


「北川」「北尾」どちらも京都の染、織を代表するメーカーである。他にも良い染物、織物を創るメーカーはたくさんあるが、この二社の倒産は今後業界の行く末を暗示させる。

 呉服商品の生産は激減していると言っても過言ではないが、需要も激減しているので量的に不足と言うことはない。しかし、問題はどのような商品が創られているのか、どのような商品が創られなくなっているのかにある。

 呉服業界も時代とともに技術革新が進み、海外生産にも頼るようになってきた。染物は手描き友禅から型友禅、捺染プリントからインクジェットへと安価に染める技術が開発されてきた。織物は、手織りから織機へ、紋紙はコンピューターのプログラムが取って代わり、コンピューターと連動した織機は手織りでは考えられないような緻密な織物を創りだす。コンピューターが織り出した緻密な織物が人間の感性にどう響くのか、私には甚だ疑問なのだけれども、一方で職人が一筬一筬打って織り出した織物が姿を消してゆく。

 二社の倒産は、そのような呉服業界、いや日本文化の流れを表しているように思えてならない。

【黒留袖】

 黒留袖と言えば、女性のフォーマル着物の最上位である(皇室では黒留袖は着ないので色留袖が一番、と言う説もあるが)。以前は結婚する時に嫁入り道具として黒留袖を仕立てる人が多かった。

 黒留袖は親族の結婚式での既婚者の装いである。また仲人(雌仲人)も黒留袖を着る。実際に黒留袖を着るのは、娘や息子、孫の結婚式。若い人であれば兄弟姉妹、従妹の結婚式である。もっとも、どこまでの親族が黒留袖を着るかについては地方により違いがあるらしい。

 昔は「嫁入り道具に」、「息子が結婚するので」と仕立てられた黒留袖だが、今黒留袖を仕立てるのをあまり見かけなくなったのには訳がある。

 一つは現代の少子化がからんでいる。昔は兄弟が四人、五人というのも珍しくはなかった。しかし、今は子供が一人か二人が普通で、三人、四人というのは稀である。嫁入り道具に黒留袖を仕立てても、着る機会があるかどうか分からない。自分の兄弟が既に結婚していたり、嫁ぎ先には兄弟がいなかったり、姉妹は全員既婚であったりすると黒留袖の出番はない。

 また、結婚を取り巻く風習も昔とは変わってきている。仲人を立てない結婚式が多くなり、仲人の黒留袖の出番はなくなっている。結婚披露宴も昔のような厳かなものではなく、よりカジュアルな披露宴が増えてきている。レストランウエディングや中には友人だけで居酒屋で行うこともある。

 それでもまだまだホテルや結婚式場での披露宴は多いが、黒留袖を着るのは新郎新婦の母親に限られてきているようにも思われる。私の結婚式の時には、母、姉、叔母(二人)従妹が黒留袖を着ていたが、今は結婚式でもそれ程黒留袖姿は見られない。

 さて、すっかり出番を失った感のある黒留袖だけれども、時折黒留袖について相談を受ける。
相談が多いのは季節のTPOに関するものである。6月~9月の結婚式には何を着たらよいかと言う相談である。着物のTPOをそのまま当てはめれば、6月、9月は単衣、7月、8月は絽の留袖と言うことになる。しかし、単衣や絽の留袖を持っている人は少ない。いや、皆無と言っても良いかもしれない。

 相談にいらっしゃる方のほとんどは新郎、新婦の母親である。自分の息子や娘の晴の席で間違いがあってはならないという気持ちからだろう。

 絽の留袖は最近見かけないけれども作られてはいる。単衣の留袖は八掛をはずして仕立てればよいので、どちらも手に入らないことはない。しかし、
「6月でしたら単衣でしょう。」
「7月でしたら絽の留袖を着るべきです。」
とは私も中々言い難い。

 しかし、実際に6月、7月に袷仕立ての留袖を着るのは何とも耐え難い。かと言って、着る機会があるのかないのか分からない着物を仕立てるのももったいない。そのような悩みでお出でになるお客様には、次のようにアドバイスさせてもらっている。

 絽の留袖は無理にしても、6月から9月までは、やはり単衣の留袖の方が良い。本人が袷の留袖を持っていても、それを単衣に仕立て替えるのは忍びない。また、袷に仕立て替えなくてはならないかもしれないのだから。

 昔は留袖を仕立てる人は多かったので、母親や祖母の黒留袖がタンスの底に眠っている場合が多い。そんな留袖があれば、それを解いて単衣の留袖に仕立て替えるのである。もちろん、解いて洗い張りをして仕立て替えなければならないが、新調するよりはずっと安価に仕上がる。また、母親や祖母の思いの籠ったものであれば結婚式にも最適である。

 タンスの底に眠っている黒留袖を生かす方法としてはいかがだろうか。
尚、余りに古くて仕立て替えに耐えられないものは別として、通常解き洗い張り、仕立て替えをして十万円も掛からない。

【まとめ】
 古い着物や着なくなった着物の対処法として具体的なことを書いてきたが、ここでまとめてみよう。一口に「古い着物」「着なくなった着物」と言ってもケースは様々だけれども、次のようなパターンに分類できる。
① 今自分は着物を着ないのに、昔親が作ってくれた着物や親の形見の着物がタンスに眠っている。
② 譲られた着物が沢山あるけれども、多過ぎてどれを着てよいのか分からない。
③ 着たい着物があるけれども、シミや破れがありそのままでは着られない。
④ 譲られた着物があるけれども、寸法(特に身丈、裄)が合わないので着られない。

 まず①のケースについて考えて見よう。着もしない着物がタンスに山ほど眠っているのは珍しいことではない。昔と違って、着物を着なくなった今日、着物に興味のない人にとっては、親のきものなど何の興味もない。このような方々にとっては、タンスを占めている着物をどのように処分するかは頭を悩ませる問題のようだ。

 しかし、このような方々は私どものような呉服屋にいらして相談されることは余りない。時折
「古着は引き取ってもらえますか。」
とやってくる人はいるが、引き取ってもらえないと分かると早々に帰ってしまう。

 中には、ごみ同然に処分してしまう人もいると聞くが、処分するにしても手間が大変だろうと思う。

 また、古着屋さんに二束三文で処分してしまう人の話も聞く。どのような着物を処分したのかは分からないが、作った時の価格からすればただ同然と言えるものも多いだろう。しかし、いらないものを「置いていてもしょうがない」と思えば持って行ってもらうだけでもありがたいのだろう。

 以前、東京の方から相談されたことがあった。
「着物には興味があり、その内に着たいと思うのだけれども、今は忙しくて着る時がない。叔母からたくさんの着物を貰ったけれども、どうしたらよいか分からない。」
と言うものだった。どうしたらようか教えてほしいとの事だったので、とりあえず全部送ってもらって私の所見をお伝えすることにした。

 送ってきたのは段ボール箱四箱分だった。紬から訪問着まで、羽織、コートから既成の防寒コートまであった。私は、それらを一つ一つ点検して分類していった。

 全て取っておくことはできないだろうから、仕立て替えや丸洗いをしても取っておくべき価値のあるものをまず選び出した。中には少々古いけれども、手描友禅の訪問着もある。

 それから、それらにはシミや破れなどの瑕疵がないかどうかを調べた。古いだけに、シミや汚れは取れない可能性が高い。良い物でも、目立つところに大きなシミがあっては着る事はできない。

 そうして選び出した着物を今度は寸法の面から分析した。そのお客様は以前浴衣を仕立てたことがある。仕立て替えをした場合、その寸法が確保できるかどうかを調べた。

 特に検査するのは、身丈、裄である。寸法が短ければ、内揚は採っているか、反物幅は十分にあるのかなどである。また、染物の場合はヤケていないか。変色していないかを調べる。裄を出したり身幅を出したりすると色に差が出てしまうからである。

 そうして数着(三着だったと思う)選び出して、加工して取って置くようにアドバイスした。結局、その三着を仕立て返して納めさせていただいた。もちろん他の着物はお返しした。加工して納めた着物は、今頃次の出番を待ってタンスで眠っているはずである。あるいはもう活躍しているかもしれない。

 タンスに眠っている着物の中には、捨てるには惜しい、すばらしい着物も含まれている。
「着ないから捨ててしまう」
のは簡単だけれども、捨てる前に呉服屋さんに相談してみたらいかがかと思う。自分が着なくても次の世代に伝えられる着物も含まれているかもしれないから。

  ②の場合(とりあえずシミや破れなどがないものと仮定して)、きものをくれたのが親であれ叔母であれ、また他人であれ問題となるのが寸法である。身長や体形が極端に違う人から貰った着物はそのままでは着られない。しかし、同じ人から貰った着物が必ずしも同じ寸法で仕立てられているとは限らない。一つ一つ寸法を当ってみなければならないのだけれども、それでは時間が掛かる。

 まずやるべきことは、寸法に関わらず自分が着てみたい着物かどうかで篩にかけてみることである。着てみたい訪問着や締めてみたい帯、素敵だと思うコートなど、まず自分の目で選んでみる。数が絞られれば寸法の検討は容易である。

 身丈や裄の変更は可能かどうか。裄出しや仕立て替え(身丈、身幅の変更)にはいくらぐらいかかるのかを調べて対処すればよい。加工の詳細や金額は呉服屋に相談して、どのようにするか(仕立て返して着たらよいかどうか等)を判断されては、と思う。

 篩に掛からなかった着物は、自分が着たくないのであれば無理して加工する必要はない。全て処分してしまうという手もあるだろう。しかし、その前に誰かに(呉服屋さん等)見てもらってはどうだろうか。①で記したように、次の出番を待つべき着物があるかもしれないから。もしも、残してある価値のある着物があれば、丸洗い等の処理をしてタンスに眠らせておくことを進めたい。

 次にシミや破れのある③のケースについて。

 取れないシミや破れがあるからと言って、直ぐに捨ててしまったり処分するのは早計である。着物は解いて洗い張りをすれば元の反物に戻る。シミや破れのある着物は、元通りに仕立て替えるのは困難だけれども、その着物にとって第二の人生を選択できる場合もある。

 まず目の前にあの着物の中から、自分が好きなものを選ぶ。②のケースと違って必ずしも「着たい着物」ではなく、「好きな柄」「好きな生地」という感覚で。

 選んだ着物をどのように加工するのかはシミの位置や破れの位置によってケースバイケースである。中には仕立て替えのしかたによっては、そのまま着られる場合もある。

 例えば絣や紬の場合、シミが軽度で裏まで通っていない場合は、身頃を裏返しして仕立てられる。身頃だけでなく、袖も同じで、軽度なシミは裏返して仕立てる。また、裏返せば上前は下前となる。従って、上前のシミは、より目立たない下前に移すことができる。袖口近くにある目立つシミを袖付けの目立たないところへ移すこともできる。

 破れや擦り切れも同じである。裏返して目立たない場所に移すことができる。そして、破れや擦り切れの場合は補修することも可能である。襟の裏から生地を掻いて破れや擦り切れを補修する。

 これは、染物では難しいが、普段着として着る紬類であれば、妥協できる選択肢もふえるので、検討する余地は十分にある。

 染物やしみの目立つ紬の場合は、解いて他の物に仕立て替えを考えなければならない。シミのある使えない部分を除いてどのくらい用尺が残るかで判断しなければならない。小紋を解いて染帯に仕立て替える。紬を羽織や茶羽織に仕立て替える等。様々考えられる。ただし、長着を羽織にする場合は、衿に剥ぎが入る場合もある。「完璧に仕立て替える」と言う気持ちを妥協させれば考えるのも楽しいし、昔の人はそうやって着物を長く大切に扱ってきたのである。

 好きな染物や織物であれば、バックや小物を作るのも一興である。

 次に④について考えて見よう。譲られた着物、特に祖母の時代など昔の着物の場合は寸法が全体的に短いものが多い。これには二つの理由が考えられる。

 現代人は昔の人に比べて体格が良く、昔の人は小さかったことが挙げられます。

 織田信長の妹、お市の方は身長165cmで、当時としてはとてつもない大女と言われていました。当時の男性でも160cmに満たない人も多かったわけですから今とは大分違います。もっともこれは400年前の話ですが、それでもここ100年位の間に日本人の体格は急激に変わりました。

 明治生まれの私の祖母は158cmでしたが、その当時は背の高いほうで150cmに満たない人も多かったようです。しかし、今では160cmは普通で170cmを超える女性も珍しくはありません。

 165cmの人が155cmの人の着物を着るにはやはり無理があります。

 昔の人と着物の寸法差が大きい理由に着物の採寸法が変わっていることにあります。

 問題となるのは主に身丈と裄です。身丈は、着る時にお端折を作りますが、昔は腰紐を文字通り腰のあたりに、下に締めたのですが、最近は着付け教室でも腹のあたりに締めさせるところも多いようです。従って同じ身長の人でも、昔の人よりも現代の人の方がお端折を大きく採りますので身丈が長く必要になります。

 裄に関しては、現代人は昔よりも裄を長く採る傾向にあります。(続々きもの春秋 14.きものの裄丈について 参照) 洋服を着慣れた現代人にとっては裄を長めにしたくなるのはとうぜんかもしれませんが途轍もなく長い裄寸で仕立てをする人もいる。

 さて、身丈が短い場合は内揚げがあるかどうかが問題である。内揚げを伸ばして身丈を確保できるのであればそれでよし。足りない場合は着物の鷹揚さで、身丈をいっぱいに仕立ててお端折を短く、すなわち腰紐を下にして着れるかどうか。着てみたい着物であれば少々我慢して着てもらいたい。

 裄が短い場合は、これはどうにもならない。長い余り裂があれば、剥ぐこともできるが、古い着物の場合、余り布が残っていることは少ない。

 ただし、裄の問題として前述したように着物の裄丈としては以上に長い裄丈を寸法としている人もいる。その場合、裄丈の寸法を再考してみてはどうだろうか。許容できる範囲であれば、裄丈をいっぱいに採り、既成の襦袢で着てみるのも良いでしょう。

 ここでもやはり呉服屋さんと納得の行くまで相談して進めることが大事です。

 古い着物や着なくなった着物の対処法として、ケースバイケースで様々な対応ができる事を述べてきたが、多くのケースとして「呉服屋に相談」と言うキーワードを使ってきた。寸法や技術的なことは消費者には分からないことが多い。是非とも専門的な知識が必要である。

 古い着物の加工を呉服屋に相談するのに抵抗がある方もいらっしゃるかもしれない。

 消費者にとってみれば、
「呉服屋の玄関をくぐろうものなら着物を買わせられてしまう」
と言う感覚が身についてしまっているようだ。

 これは、呉服屋の私としても大変頭を悩ませる問題である。呉服屋は本来、着物を売る事、仕立てる事、仕立て替えやしみ抜きなどのメンテナンス、そして着物に関する消費者からの萬相談を受ける商売である。それが何故、消費者が敬遠する対象となってしまったのか。業界の人間として恥ずべきことである。私は、もっと着物に関する相談に消費者がやってもらいたいと思っている。

 確かにインターネットを開けば、「呉服屋の悪徳商法」なるものがずらりと並んでいる。そこには、呉服屋にどんなひどい目に遭わせられたかの経験が語られている。私にしてみれば、消費者が何故そのような呉服屋に着物を買いに行くのかが不思議でならないのだが、その類の呉服屋の手練手管は消費者の理性を凌駕しているのだろう。

 それでは、うかつに呉服屋に近づこうとしない消費者が増えるのもうなづける。古い着物の加工を頼みに行けば高価な着物を買わせられるといったこともあるのだろう。

 しかし、である。私は消費者に冷静な対応をお願いしたい。

 着物はメンテナンスによって寿命が延び、使い回しができ、他の着物に仕立て替えることもできる。物を徹底的に使い、リサイクルすると言った実に日本的な性質がある。それを存分に感じてこそ着物の本質が分かり、着物の良さが分かるのである。ひいては着物を好きになってもらえる要因がそこにある。

 しかし、その目を摘み取っているのが当の呉服業界である。このままでは、
「着物は高価で着られなくなったら捨てる他ない。」
「また新しい高価な着物を買わせられる。」
と言う印象が定着しかねない。

 消費者には冷静な目で呉服屋を判断し、メンテナンスの相談を受け付けない又はろくに相談に応じずに新しい着物を売りつけたがるお店は「呉服屋」ではなく「着物売り屋」であることを自覚していただきたい。

 全国にはまだまだ本当の呉服屋は多くあると思う。消費者が本当の「呉服屋」に出入りすることにより、呉服業界は淘汰されインターネットに名を連ねる「悪徳商法の呉服屋」はなくなるだろうし、着物はもっと好きになっていただけるはずである。

 きもののメンテナンス、どれだけのことができるのかご存じない方も多いと思う。困ったことがあれば是非「呉服屋」の戸を叩いていただきたい。着物の世界はもっと広がり、身近になると思う。

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