全日本きもの研究会 きもの春秋終論
Ⅳ きものを取り巻く問題 ⅳ寸法について
私は着物の寸法について危機感をもっている。具体的にどのような危機感かと言えば、一つは「このままでは着物は仕立てられなくなるのではないだろうか」
、もう一つは
「将来、着物の着易さや形が今までのものとはおよそ違ったものになるのではないだろうか」
と言ったものである。
余りに漠然としてお分かりいただけないと思うので、数回に亘って詳しく述べようと思う。
今回は、着物仕立てに関する根本的な要因をお話し致します。
日本の着物は反物と呼ばれる巾3~40cmの布で仕立てられる。3~40cmと言ったのは、反物にも巾の広いものから狭いものまである。現在織られている縮緬の反物は1尺(鯨尺、約38cm)が主流だけれども、1尺5分(約40cm)、1尺1寸(約42cm)の反物も織られている。
昔の反物は巾が狭く、8寸5分(約32cm)の物も見たことがある。
反物の長さは鯨3丈(約12m)。3丈というのは単位で言えば30尺。1尺は約38cmなので3丈は11.4mになるが、普通絹物の一反は13m前後が多い。この辺の事情は、「続きもの春秋7.曲尺と鯨尺」に詳しく書いておいたので、そちらをお読みいただきたい。
この反物を使って着物は仕立てられる。仕立ては直線裁ちが原則で、洋服のように曲線に裁ったり、立体裁断ということはしない。
それともう一つ、洋服と大きく違うのは、着物は形が皆同じということである。夏物でも冬物でも形は同じである。フォーマルとカジュアル(訪問着とゆかた)も形は同じである。男物、女物ですら基本的に形は同じである。
細部まで見れば、男物には身八つ口はなく、おはしょりはしないので丈が違う。フォーマルは袖が長く、カジュアルは短いなどの違いはあるが、基本的には同じである。洋服のようにデザイナーが自由な造形を創る事はない。
洋服は、生地を自由に裁断する為に、広幅の生地が使われる。ヤール巾と呼ばれる巾約90cmのものやダブル巾と呼ばれる約140cm巾の生地である。
着物の反物巾を業界では「一巾(ひとはば)」と呼んでいるが、この反物巾がきものに自由な造形を与えなかった理由の一つでもある。
何故一巾(反物巾)が9寸から1尺程度なのか。それは、日本人の体形に深く係わっているように思える。
昭和の初め頃よりも今の反物の方が巾が広い。徐々に反物巾は広くなり、キングサイズと呼ばれる巾1尺1寸、1尺1寸5分の反物も織られている。これは、日本人の体形が大きくなっているせいである。
戦国時代の甲冑を見るととても小さい。当時の男子平均身長は160cm程度と言われている。着物はその頃から変っていない。当時の仕立て方が現代に生き、これからの世代に受け継がれようとしている。しかし、残念ながら着物はこの事から派生する仕立ての問題を抱えている。
「残念ながら」と言うのは、このまま守り続けたいが、どうなるのだろうかと言う不安を意味している。
これについて、次回から詳しく語ってみたい。
反物生地は、縦に使われる。長い反物は垂直に使われている。そして、巾は水平方向に使われる。垂直方向というのは、身丈、袖丈。水平方向というのは身幅、袖巾、肩幅、裄丈である。
12~13mという限られた反物生地で仕立てられるかどうかは、その寸法が生地の範囲で仕立てられるかどうかに掛かっている。
もしも2メートルを超える身長の女性がいたとしたら、一反では長さが足りなくて仕立てられないだろう。本当にそんな寸法が必要であれば、四丈物(通常の3丈の反物以外に4丈の反物も織られている。主に振袖や共八掛の色無地用)かあるいは二反使えば仕立てられる。
しかし、そんなに背の高い人はまずいない。170cmを越える女性はいるが、その程度であれば通常の三丈物の反物で事足りる。180cmを越えるバレーボール選手のような人であれば少々足りないかもしれないが、それは例外として対処することだろうと思う。
女性の身長が昔に比べて伸びたとは言え、旧来の反物の長さで対応できる範囲だと言えるので反物の長さについてはそれほど問題ではない。
さて、次に水平方向すなわち身幅、袖巾、肩幅、裄丈であるが、これが問題である。
それぞれの寸法が反物巾より広ければ仕立てられないことになる。実際は縫い代があるので反物巾より寸法が狭くなければ仕立てられない。
身巾はまず問題はない。ギネスブックに名を連ねるような肥えた方は別として、通常の肥えている方で身幅が35cm(9寸2分)を超えるような人はいない。私の経験でも身幅が採れなかった人は記憶にない。問題は、袖巾、肩幅、裄の寸法である。
「裄丈=肩幅+袖巾」という計算式はご存知だろうと思う。1尺巾の反物を使えば、肩幅、袖巾を最大に採れば裄丈は2尺。縫い代を引いても1尺9寸程度はできる勘定になる。1尺9寸と言えば72cm。それ以上の裄丈は仕立てができない。
巾が足りなくて裄がとれない時にはどうするのか。その対策は昔からある。それは袖に剝ぎを入れる。お相撲さんのように非常に体格が良い人の場合は袖に剝ぎをいれて裄丈を確保している。
しかしながら、背が高く裄丈の長い女性、背が高くなくても長い裄丈を要求された場合、袖に剝ぎを入れればよいのかと言えば、そのような単純な問題ではないところに私の不安がある。非常に複雑な問題なので、以下詳しく説明する。
着物には「並寸」と呼ばれる寸法がある。「並寸」というのは「標準寸法」というよりは、「基準寸法」と思ったほうが良い。身幅や裄丈など並寸で指定されているが、これはその数値そのものにも意味があるが、寸法相互間のバランスも表している。
例えば身幅について言えば、前巾は6寸(22.5cm)、後巾は7寸5分(28.5cm)ということに成っている。採寸する場合は、「前を並より少し広目に。」とか「後ろ巾は並より五分出し。」というように使われる。
並寸を基準としてどの位広く(狭く)するのか、と言う数値的な意味もあるが、前巾と後巾のバランスも考慮して決める。巾の拾い人は、前巾後巾を必ずしも同じ割合で広げるとは限らないが、相互のバランスは並寸を基準にして考慮する。
さて、女性の裄丈の並寸は1尺6寸5分(62.5cm)である。最近の女性の体格がよくなったことから、並寸の裄丈で仕立てる人はほとんどいない。大抵は5分出し(1尺7寸)や1寸出し(1尺7寸5分)が多い。また1尺8寸という人もいる。しかし、中には1尺9寸(通常の反物巾で出せる最大の裄丈)以上を要求して、「私は裄が長いから着物は着れないの。」と言って行く人もいる。身長が180cmというような特別背の高い人ではなく、せいぜい165cm位の人である。これはどういうことなのだろうか。
次の表は、某アパレルメーカーのブラウスの標準裄丈である。(単位 : cm)
号数 | 3号 | 5号 | 7号 | 9号 | 11号 | 13号 | 15号 |
ゆき丈 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 | 78 |
号数が必ずしも身長を繁栄したものではないが、最も短い3号サイズの裄丈が72cm。最も長い15号の裄丈は78cmである。現代の日本人の中で最も裄の短い人は72cmと解釈できる。もしも、背は低いが身幅が広い15号サイズの人は裄丈を72cmに直すことになる。
日本人のブラウスの最も裄の短いサイズは72cm。しかし、前述したように通常の反物でできる最大の裄丈は1尺9寸(72cm)。洋服のサイズ表に従えば、ほとんどの日本女性は通常の反物で裄丈が確保できずに着物は仕立てられないか、袖に剝ぎを入れることになる。
並寸と言われる裄丈は、1尺6寸5分(62.5cm)。3号サイズの裄丈よりも更に10cm近く短い。3号サイズと15号サイズのブラウスの裄丈の差は6cm。並寸が昔の人を基準にしたとは言え、昔の日本人女性はそれほど小さかったのだろうか。そんなことはない。因みに裄丈が62.5cmの洋服と言えば、身長140cmの子供服である。並寸が用いられていたのはそう昔ではなく、私の知っている範囲でも着物を長く着ている人であれば、裄丈はせいぜい1寸出しである。戦前戦後の人達の平均身長が140cmと言うことは絶対にない。
これは何を意味するのか。
着物と洋服では、適正な裄丈の測り方が異なるのである。
洋服の裄丈は腕を下ろして、首の付け根の中心から巻尺で肩から腕に沿って測る。一方、着物の裄丈は腕を横に真っ直ぐ伸ばして首の付け根より手首まで直線に測る。
実際に測ってみれば分かるけれども、洋服の方が長くなる。3号サイズの人が着物の並寸の人と同じだとすれば約10cmの差がある。
それ程裄の長さが違えばどうなるのか。きもの場合、腕を横に伸ばした場合は手首が隠れるが、腕を下ろした場合、手首は隠れず露になる。それでは、冬は寒かろうと思われるが、きものの裄丈とはそのようなものである。昔の人の着物姿を見ると、ほとんどが腕を露にしている。中には「半袖では?」と思われるような裄丈の人もいる。
何故着物の裄丈は(洋服に比べて)短いのか。節約するために幅の広い反物を織らなかったのかもしれないが、本当のところは分からない。ただ、私が推測するに、もしも腕を下げたときに手首まで裄が有ったとしたら、手を横に伸ばせば袖が手の甲に被ってしまう。また、洋服と違って筒袖ではないので、袖が邪魔になるといった事情もあったかもしれない。
とにかく覚えておかなければならないのは、裄丈の計り方が洋服とは違い、ずっと短いと言うことである。
それでも最近は洋服の影響があり裄丈は体格以上に長くなっている。
さて、裄丈が長いのは個人の好みとも言えるので、長い裄丈を要求する人に対して仕立て可能な範囲であれば、無理やり短くさせることはできない。
しかし、そこで別の問題が起こってくる。
先に、1尺幅の反物で裄丈は1尺9寸は仕立て可能であることは書いたが、通常の体格の女性が裄を1尺9寸にした場合問題が生ずる。
裄が1尺9寸とすると、肩幅9寸5分、袖幅9寸5分にしなければならない。縫い代をとった反物幅いっぱいである。それで裄丈は採ることができる。
しかし、着物の構造を考えてみると、肩幅は後幅とつながっている。後幅の並寸は7寸5分。肩幅が9寸5分とするとその差が2寸(約8cm)になる。後の裾から肩まで1枚の布で出来ている。後巾で裾から上がって来た布は、身八つ口の辺りから次第に広がり肩幅となる。その差が2寸である。イメージとしては裃の形を考えればよい。腰の辺りの巾よりも遥かに広い肩幅。そして、きものの場合は、そこに袖が付いてくる。裃に袖を付けたとしたらどのような着物になるか想像がつくだろう。着物として形が治まらなくなる。
弊害は見た目ばかりではない。後巾の寸法は、その人の体形を反映している。標準体形であれば極端に肩幅の広い人はいない。肩巾は腰の巾と比べてそう大きな差はない。従って、肩幅は後巾よりもやや広い程度が普通である。肩幅が広ければ、自ずと前巾(上半身)も広くなる。
前巾が広いと胸の辺りで布が余り、しっくりこない。袖付けの辺りにヒダができてしまう。洋服では言わば好きなだけ裄丈を伸ばすことが出来、伸ばすことによって身頃に影響することはない。しかし、着物は裄を伸ばすことによって身頃に影響し、着難さの原因ともなるのである。
寸法、特に裄丈の問題について詳細に説明してきたつもりだけれども、細かい数字を羅列してよく判らなかったかもしれない。結論的にまとめると次のようである。
① 着物の裄丈の測り方は洋服とは異なる。
② 構造上、腕を下に降ろせば手首が出てしまう。(これで正しい)
③ 肩幅は後巾とリンクしている為、肩幅を好きなだけ採れるわけではない。
④ 肩幅を規定以上に広くした場合、着物の形が崩れ着心地に影響が出る。
⑤ 通常の身長・体形であれば裄丈は充分に採れる。
以上のような事は、着物の構造や歴史を知るものにとっては充分に理解しているはずである。にも係わらず、異常に裄の長い着物を着ている人が後を絶たない。
初めて着物を着る人、初めて着物を仕立てる人は分からなくても当然である。現代人は洋服に慣れている。洋服の裄丈に慣れている人は、洋服と同じ裄丈を要求してもおかしくはない。しかし、着物を仕立てる呉服屋や仕立屋は分かっているはずである。着物を初めて仕立てるお客様には、着物の仕立てについて説明し着物らしい着物を仕立てる義務がある。
洋服を着たことのない人がスーツを仕立てようとした時、もしも「フォーマルスーツのズボンの丈を膝まで」と言われたら、その仕立屋はその通り仕立てるだろうか。心あるとまで言わなくても、普通の洋服屋であれば、
「お客様、通常スーツの裾はこの位でございます。短めがお好きでしたら、せいぜいこの位がよろしいかと思います。」
そう言って常識的なスーツを仕立てるのではなかろうか。
しかし、現代の呉服屋は、お客様言うままに寸法を仕立てているようである。否、呉服屋自身がとても着物ではありえない寸法をお客様に勧めているのではないかとさえ思える。
私は今日呉服業に携わる人達が既に着物の知識を逸している。
以前、浴衣を仕入れに行った時、異常に裄丈の長い既製浴衣があった。男物で裄が2尺3~4寸位あったと思う。広幅の生地を使い、袖丈よりも袖巾の方が広い。まことにおかしな形の浴衣だった。わざわざ広幅の生地を使ってまで袖巾を広くしているのである。
何故そのような既製浴衣を創ったのか。担当者を問い詰めると、某百貨店の売り場からの要請で創ったという。呉服を担当している者がわざわざ広幅の生地を使って、特定の人用ではなく、既製の浴衣として販売しようとしていた。着物を理解しているはずの人が何故そのような浴衣を創らせるのか理解に苦しむ。呉服に携わる人達が自ら着物を破壊している。
成人式では裄の長い振袖を見かける。最近の若い女性は昔に比べるとスタイルが良い。健康的でないくらいスタイルの良い人も多い。そんな人達が裄の長い振袖を着ているのを見ると、「後巾はいくらだろう。肩幅はどれだけ採っているのだろう。」と疑問に思う一方、「華奢な身体に肩幅の広い振袖ではさぞ着難かろう。」と人事ながら思ってしまう。
何故そのような振袖がまかり通るのか。仕立てた呉服屋は、お客様の要求に迎合したか、それとも着物を売る人自身が寸法の知識がないかどちらかなのだろう。どちらにしてもこのままでは着物本来の形、着易さが無視されて、益々着物は毛嫌いされていかないのか私はとても心配である。
きものの正しい知識を伝授するはずの人達が日本のきものを乱しているように思える。日本人の体格の向上と共に、きものの寸法も自ずから変っていくのは否めない。しかし、本来のきものの形を否定して、いわばいいかげんな寸法をまかり通させようとする姿勢は反省を要する。
将来、着物の形は現在とは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。その時私は呉服屋はとてもやってはいられないだろう。