明治00年創業 呉服と小物の店 特選呉服 結城屋

全日本きもの研究会 きもの春秋終論

Ⅴ 呉服の常識と言われていることは常識か? ⅳ常識は変わる?

きもの春秋終論

 きものの常識と言われていることの中には、時代と共に変わったことも多々ある。「江戸時代比べて云々」はもちろんあるが、そう昔でなくても常識は変わってきているかもしれない。

 私がこの業界に入った頃、
「羽織は着ない」
という言葉をよく聞いた。お客様に羽織を勧めると、
「最近は羽織は着ないんでしょ。」
と言う言葉が返ってきた。私は幼いころから呉服屋の現場をなんとなくではあるが見知っていた。私が幼い頃、祖父や祖母がお客様に盛んに羽織を勧める姿が脳裏に焼き付いていた。小紋を選んだお客様には、
「羽織はどれにいたしますか。」
と言う風に、いわば着物と帯を合わせるように羽織を合わせて勧めていた。

 そんな私が「羽織は着ない。」という言葉を聞くと、
「いったい何時からそういった事になったのだろう」
「本当に羽織を着てはいけないのだろうか」
といった疑問が湧いてきていた。

 間違いなく言えることは、私が幼い頃は、羽織は確かに盛んに着られていた。そして、私が業界に入った頃(35年前)には、羽織は着なくなっていた。しかし、その頃まだ羽織やコートにする羽尺と言う反物も流通していた。

 羽織はいつの間にか着なくなってしまったのである。そしてそれが「羽織は着ない」と言う常識と受け取られるようになった。

 しかし、今日羽織を仕立てる人が増えてきた。やや長めのコートの代わりに着るような長羽織である。若い人を中心に、ややレトロ調の長羽織である。

 さて、昔着られていた羽織は何故着なくなったのだろう。原因は、私か業界から離れていた時代(子供の時と業界に就職した間隙)の事なので良くは分からない。しかし、推測するに、着物を着る人が少なくなり、相対的に着物を着る人の中でお茶をやっている人の割合が多くなった。茶席では羽織を着ない。お茶会に出るときは羽織は必要ない。したがって「羽織は着ない」(羽織はいらない)となったようにも思える。きもの人口の減少が羽織を葬り去ったと言えるのかもしれない。

 一方、最近羽織を仕立てる人が増えたのは何故か。これも原因ははっきりとは分からないが、若い人たちの間でささやかながら着物ブームも起きている。しかし残念ながら業界ではそれをまともに受ける度量がなく、着物を着たいと思っている若者は古着屋へ向かった。古着屋には古い着物がたくさんある。若者の目は着物を着たいという関心と共にレトロへの魅力に向かった。

 古着を着る若者の中には好んでレトロな着物を着る人が少なくない。着物を生業とする人間の目には、
「ちょっと寸法が・・・。」
とか、
「それは男の着物だけど女性が・・・。」
と思えることが多々あるけれども、若者はものともせずに着こなしている。そのレトロの好みに羽織はぴったりだったのだろう。

 羽織は再び復権する兆しを見せている。さて、この流行の変遷は常識の変遷なのだろうか。常識とはいつまでも変わらないものではないのだろうか。

 同じようなことは他にもある。私が子供の頃、入卒式の父兄(母親)は決まって色無地に黒の絵羽織だった。今よりも着物を着て式に参加する母親が多かったので、皆黒の絵羽織を着ている姿は、制服なのかと思える程だった。

 しかし、これも最近は見かけない。私が京都にいた頃(35年前)にはまだ黒の絵羽織は売り場の片隅にあった。しかし、既に黒絵羽織を着る習慣はなくなり、わずかに昔の習慣にこだわる人が娘の為に仕立てる程度だった。その後、黒絵羽織は全く見かけなくなった。

 戦前は、婦人の正装は縞お召に黒羽織だった言う。しかし、今はその姿にはお目にかからない。更に時代を遡ると、戦国時代に武将は辻が花染の華やかな柄物の小袖を着ていた。現代は、男性は基本的には染物の着物は着ない。着るとすれば地味な江戸小紋やその類の柄の細かい小紋で色は単色である。今時戦国時代の辻が花のような大柄で多色遣いの着物を着るのは、芸能人かよほどの変わり者だろう。

 着物の常識は時と共に変わってきたと言えるだろう。では、何を切っ掛けに常識は変わるのだろう。

 それまでの常識に反する、または全く新しい着物の着方は度々散見される。ここ二~三十年の間にも様々な反常識ともいえる着物が登場している。

 「紬の絵羽物」、もともと紬や絣は普段着として扱われてきた。そして絵羽という形式は主にフォーマルの演出でもあった。しかし、紬の絵羽物は三十年位前から生産されている。どう言った時に着るものなのか、私は未だに分からない。それでも問屋ではよく売れているという。間違いなく着る人がいるのだろう。今までの常識にはない着物である。

 「浴衣の伊達衿」、伊達衿は重ね着の演出である。おそらく十二単衣に源を求めることができるのかもしれない。伊達衿は暖かさの表現である。衿元にもう一枚重ねることによって見る人に暖かさを感じさせる。そして、衿に色を重ねることによってお洒落にもなる。しかし、暖かさを表現する伊達衿を夏のゆかたにするのか。私には理解できないのだけれども、ゆかた用の伊達衿も売られている。

 浴衣と言えば、浴衣に帯締めや帯揚げをする人がいる。私の店にも「浴衣用の帯締めはありますか。」と言って来店される方もいる。浴衣に足袋を履いて帯締、帯揚げをするというのは一昔前にはとても考えられなかった。

 このような例は他にもまだまだあるが、それらは常識の域に達しているとは言えないものの新しい試みとして常識を揺さぶっているのは間違いない。このような試みが着物の常識を変えてゆくのだろうか。

 こう言った試みは、全て受け入れられるわけではない。メーカーや若い人の思い付きで始まったものもあるが、日本人の感性に反するものは淘汰されて消えている。丈の短い浴衣や背が大きく開いた浴衣などが売れ出されたことがある。しかし、それらは直ぐに姿を消している。

 二部式の着物と称して紐で止める上着と巻スカートを組み合わせたものが一時出回った。こちらは相当普及していたが、結局姿を消した。流行りに乗じて作った商品が、最後には山積みでバーゲンに付されていた。

 結城紬の留袖をメーカーが売込に来たことがあった。普段着の代表格である結城紬の留袖など考えもしなかったし、受け入れるべくもない。しかし、メーカーの人は結城紬の留袖の正当性を説明し、これから普及させるつもりだったようだが、それ以後聞いたことがない。

 いろいろと新しい試みが行われているが、やはり日本人の感性に合わないものは自然に淘汰され消えている。突拍子もない若者の試みやメーカーの販売戦略ありきの商品は簡単に受け入れられるものではない。

 いくら着物が縁遠くなり、着る人が少なくなったとは言っても、日本人には日本人の感性があり、それに反するものは受け入れられない。形式的な常識は、時と共にこれからも変わってゆくかもしれない。しかし、長い間に育まれてきた日本人の感性は、そう簡単に変わることはない。その日本人の感性こそ、日本人の常識であり、着物の常識なのではないだろうか。

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